古代ギリシアの哲学者。シチリア島の町アクラガスの名門に生まれ、政治家や奇跡家や医師としての活躍も伝えられる。『ペリ・フュセオース』(自然について)、『カタルモイ』(浄(きよ)め)とよばれる六脚韻を踏む2著作があるが、残存するのは断片だけである。『ペリ・フュセオース』は、万物のもとのもの(アルケー)を地水火風とし、この不生不滅の四つの元素(「根」)が、「愛」と「憎」によって結合したり分離したりして、世界のいろいろな状態が現出するが、それらは、愛が完全に支配する時期(四元素の混じり合った球体、スファイロスがつくられる)、憎の支配が伸長する時期(世界と生物がつくられる)、憎が完全に支配する時期(四元素の別々に分かれた同心球的4集塊がつくられる)、愛の支配が伸長する時期(世界と生物がつくられる)といった四つの時期をこの順序で反復する、と説くものであって、多元論の立場から宇宙の構造を歌った自然学詩である。『カタルモイ』のほうは、罪を犯したダイモーン(神霊)が木や魚や鳥や獣や人といったさまざまな生物に生まれ変わり、3万季節(ホーライ)の間、輪廻(りんね)転生を繰り返したあげく、ふたたび神に戻ることを歌った教訓詩であって、オリンピアで吟唱されたという伝承もある。彼の死についてはいろいろ伝えられるが、エトナ山の噴火口へ投身自殺したという伝承がとりわけ有名である。
[鈴木幹也]
科学者としては、水吸器クレプシドラを考案し、空気の重さを初めて測ってその物質性を示したことがあげられる。またパルメニデスの論理的一元論に対し、近代まで維持された四元素説を唱えて感覚的経験を擁護するなど、観察・実験の重要性を強調した。
[肱岡義人]
『藤沢令夫訳「エンペドクレス」(『世界文学大系63 ギリシア思想家集』所収・1965・筑摩書房)』
古代ギリシアの哲学者。シチリア島のアクラガス生れ。ディオゲネス・ラエルティオスの記載した彼の伝記は華やかであり,死者をよみがえらせたとか,神としてあがめられるため火山エトナの火口に身を投げて死んだとかいう話までが伝えられている。ニーチェはこの伝記をもとにしてエンペドクレスを〈医師と魔術師,詩人と雄弁家,神と人,学者と芸術家,政治家と僧侶〉のいずれともきめかねる中間的,活動的人間としている。彼には二つの著作《自然について》と《浄め》があった。ともに詩の形式で書かれ,両者をあわせると5000行になると伝えられているが,ほとんど散逸して現在は断片を残すのみである。彼の哲学を解釈するにあたって,もっとも大きな問題はこの二つの著作の関係である。《自然について》は地水火風の四元素(四大)と,愛と憎という二つの力とを中心にして展開する宇宙論である。愛は四元素を結合する力,憎は分離する力であるが,この二つの力の勢力の消長交代によって宇宙は四つの時期に区分されながら永遠に回帰する。第1期は愛のみが支配し四元素は完全に融合して一つの巨大な球を形成する。第2期は憎が作用しはじめ球が解体するが,同時に愛の力も働いているので,四元素のさまざまな合成が実現し,各種の生物も発生し,宇宙が具体的な形を示す時期。第3期は憎のみが支配して四元素は完全に分裂し,四元素からなる四つの集団に分かれる。第4期は愛がふたたび力を振るい,四元素がさまざまに結合して第2期と同じ様相を示す。そして宇宙はもとの球の姿にもどる。これに対して《浄め》はダイモンと呼ばれる不死なる魂が愛のみの支配する天上の国から地上に転落し,輪廻転生の苦をなめながら,ふたたび天上に帰り行く救済を歌う宗教的詩である。学者たちは二つの詩を科学と宗教との対立と見てきたが,その見方には問題が残る。
執筆者:斎藤 忍随
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前492頃~前432頃
多面的な活動と性格を持った古代ギリシアの哲学者。シチリアのアクラガスの貴族の出。地,水,火,風の4元素(根)の愛と憎(争)による結合,分離から万物の生成,消滅を説明した。
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…日常語としては坪内逍遥《当世書生気質》などに定着した用法が見られ,また西田幾多郎《善の研究》では知覚と並んで哲学用語としての位置を与えられている。 哲学史上では,エンペドクレスが感覚は外物から流出した微粒子が感覚器官の小孔から入って生ずるとしたのが知られる。それに対しアリストテレスは〈感覚能力〉を〈栄養能力〉と〈思考能力〉の間にある魂の能力の一つととらえ,それを〈事物の形相をその質料を捨象して受容する能力〉と考えた。…
…こうしたエレア学派の批判により,イオニアの自然学は根本的な修正を余儀なくされ,そこに多元論者が登場する。エンペドクレスやアナクサゴラスは,それぞれ,パルメニデスの〈存在〉と同様にそれ自身不変で自同的ではあるが,しかし互いに性質を異にする〈万物の四つの根〉(地,水,空気,火)や無数の〈万物の種子〉を認め,これらの離合集散によって,すべての生成変化を説明しようとした。これに対しデモクリトスは無数の質を同じくする不変な〈原子(アトム)〉が互いに形態や配置や位置を異にし,〈空虚〉のなかを運動して結合分離することにより森羅万象が生ずるとした。…
…ここで気がつくことは前6世紀,〈水〉という一者から始まったギリシア哲学が,ほぼ1000年後に少なくとも形式的には,同じ一者に帰ったという事態であり,この点にギリシア哲学全体の一つの特徴を理解する鍵があるように思われる。 たしかにタレスの〈水〉やアナクシマンドロスの〈ト・アペイロンto apeiron〉,アナクシメネスの〈空気〉を中心にした単純な一元論の哲学と,例えばエンペドクレスやアナクサゴラスの多元論,あるいはデモクリトスの原子論との間には大きな差異があるように見える。けれどもエンペドクレスの四元素の始原の状態,すなわち宇宙の第1期における状態は混然一体をなした,字義どおりの一者であったし,つづく時期に生ずる個々のものもいずれはもとの一者の状態に帰るしかけになっている。…
…さらに前5世紀初め,ヘラクレイトスは万物がたえず運動し変化してとどまることがないことから,変化こそ自然の姿であり,万物流転を示す火が唯一の根本成分であると唱えた。同世紀の中ごろエンペドクレスは,上述の4種の一元論を統合して,土,水,空気,火を万有の基本とする四元素説を唱え,この四元素説は長く人心を支配した。柴田雄次の現代的解釈によれば,風,水,土はそれぞれ物質の気,液,固の3相を表し,火はエネルギーに対応する。…
…つまり四大は日常の具体的物質というより,物質の形で想定された自然の構成原理である。このような意味での元素観はタレスに始まり,ヘラクレイトス,エンペドクレスらを経て上記の説に至った。各元素は固定的な実体ではなく,相互に流動,変化,循環を行い,その対立や調和が自然の理法をなす。…
…
【ギリシア自然哲学】
ミレトス学派のアナクシマンドロスは,大地の泥の中に原始生物が生じてしだいに発達し,さまざまの動植物ができ,最後に人間があらわれたと説いた。エンペドクレスは,動物の体のいろいろな部分が地中から生じて地上をさまよいながら結合し,適当な結合となったものが生存して子孫を残したとのべた。またアリストテレスとともにプラトンの弟子であったスペウシッポスも,生物が単純なものから複雑なものに進み,ついに人間を生じたとしている。…
…訳語は明治30年代からのもので,40年代には定着し,ほかに〈複元論〉とも訳された。 一と多との対立はピタゴラス学派,クセノファネス,パルメニデスとヘラクレイトスとの対立に起源するが,多元論者の代表は哲学史上,古代では,世界を構成する地・水・火・空気の四根rizōmataの愛・憎による結合・分離を説くエンペドクレス,無数の種子spermataを精神nousが支配して濃淡・湿乾などが生じ世界を成すとするアナクサゴラス,形・大きさ・位置のみ差のある不生不滅で限りなく多数の原子atomaが,空虚kenonの中で機械的に運動して世界が生じるとするデモクリトス,さらにはエピクロスなどを挙げることができる。近世では,表象能力と欲求能力とを備えて無意識的な状態から明確な統覚を有する状態まで無数の段階を成すモナドを説くライプニッツ,近代ではその影響下にあって経験の根底に多数の実在を認め心もその一つとするJ.F.ヘルバルト,真の現実界は物質界を現象として意識する自由で個体的な多数の精神的単子から成ると説くH.ロッツェなどである。…
…自然現象における力として注目すべき最初の理論的発想は,擬人主義的な〈愛(引力)〉と〈憎(斥力)〉であろう。ギリシアでは古くエンペドクレスが,物質混成における支配原理としてこの2力を立て,プラトンは相異なるものどうしの間の引力を,アリストテレスは逆に相似るものどうしの間の引力を措定している。古代中国でも《周易参同契》など錬金(丹)術文献に同様の着想が登場することからもわかるように,こうした物質どうしの選択的な〈親和性〉もしくは〈親和力(引力)〉という概念は,その逆も含めて,錬金術的な自然学の中で永く生き続ける。…
※「エンペドクレス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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