翻訳|Orphism
古代ギリシアにおいて,宇宙と人間との生成について独特の教義をもち,とくに一般庶民の間に帰依者を見いだしていた宗教の一派。神話的人物とはいえ,オルフェウスという個人を創始者と仰ぎ,個人の魂の救済を目的とし,聖典ともいうべき文書を備えていた点において,宗教が国家的集団的で教典の類を欠いていた古代ギリシアでは特異なものであった。オルフェウスの名の下にこの派の文学として伝えられてきたものには,87編の《オルフィク賛歌》(ほとんど2世紀以後にできた一種の祈禱書),《アルゴナウティカ》(成立年代は不明であるが4世紀以後のもので,アルゴ船の物語をオルフェウス中心に語りかえた内容),《リティカ》(宝石の不思議な効力を叙事詩形で語ったもの。成立年代不明)が残されている。それらはいずれも特異な教義を含むものではなく,宗教思想的にはるかに重要なこの派の宇宙生成論,人間論などを内容とする聖典は,前5世紀のエウリピデスやプラトンの言及で知られてはいるが失われてしまい,はるか後代の引用,摘要(ローマ帝政期から4~6世紀の新プラトン派の手になるものが大半)で伝えられるにすぎない。したがって整合的な形に再現することは困難な上,そうした教義がいつの時代にまでさかのぼるかについては,学者の間に大きな見解の相違がみられる。
まず宇宙生成論については3種ほどが伝えられるが,そのうちもっとも詳しいものを紹介すれば大要次のようである。最初に水と大地(ガイア)があった。両者の結合から老いを知らぬクロノスChronos(〈時間〉の意。ゼウスの父クロノスKronosとは本来別の語であるが,その解釈として〈時間〉が提示されたとも考えられ,両者はしばしば混同される)が生まれた。それは牛とライオンの頭をもつ蛇で,胴には神の面があり,翼をつけた混成物で,その傍にはアナンケAnankē(〈必然〉)とアドラステイアAdrasteia(〈避けがたい復讐〉)が控える。クロノスから光(アイテルAithēr),カオス,闇(エレボスErebos)が,さらに男女両性具有の宇宙卵(オーオンŌon)が生じた。そこから黄金の翼をもち,脇腹に牛の頭,頭上に巨大な蛇をつけた神が生じた。これがプロトゴノスPrōtogonos(〈最初に生まれた者〉の意)ともゼウスとも呼ばれるのだという。以上はヘシオドスの宇宙生成説を前提としつつ,そこにない奇怪で太古的なイメージを混入してでき上がっており,エジプト神話の影響を指摘する学者もいる。
宇宙生成論よりもさらに重要なのは,この派の人間の生誕についての説であろう。ゼウスは世界の支配を息子のディオニュソスに委ねようとした。だがティタン神たちが嫉妬して子どものディオニュソスを八つ裂きにして食べた(このディオニュソスをザグレウスともいう。ディオニュソスの神話と祭儀につきものの野獣の八つ裂きと生の肉食とがこの神みずからを対象としてなされたことになる)。これを知った父ゼウスは腹を立て,稲妻で彼らを焼き殺した。彼は残されたディオニュソスの四肢をアポロンに命じてデルフォイに埋葬させたが,心臓はアテナが救い出しゼウスのもとに持ち来たった。ゼウスはこれから第2のディオニュソスを再生させ,かくして彼はゼウスとともに現在も世界を支配しているのだという。歌人オルフェウスはアポロンと深い関係を持つとともに,彼の教義の中心にはこのようにディオニュソスがある。ところで焼き尽くされたティタンの灰から,ゼウスは現在の世代の人間を創った。そのため人間はティタンのような反抗的な悪の性質を持つとともに,ティタンの食ったディオニュソスに由来する神的な要素をも秘めている。したがって人間はティタン的要素を克服し,神的要素を助長することで救いに達することができる。このように人間の内なる善悪二つの要素が強調され,善が魂に悪が肉体に配されることによって,それまでのホメロス的見方が転倒されることになった。現世で秘教に入会し,善行を積む者には来世は影のような生存ではなく,浄福な生活が約束された。そのためには動物の屠殺,肉食の禁止などの具体的な日常の規制が設けられていた。輪廻(りんね)転生をはっきりこの教派の教義に帰している文献はないが,当然それが前提となっているように思われる。オルフェウス教はその点でピタゴラス学派とたいへん近く,両者はほぼ同じアルカイック時代に台頭し,相互に影響し合い,ときに区別がつけられなくなっていたように思われる。ただプラトン,テオフラストスなどがもっぱら軽蔑的にのみこの教派に言及しているところから判断すれば,古典時代には秘教の全般的な退潮とこの派の一部のいかがわしい売僧の横行などのために,いわばピタゴラス学派の民衆版として社会の片隅に沈滞し,古代末期の危機的状況下に再び浮上し,とりわけ新プラトン主義者などによりプラトン形而上学の先駆的思想として高く評価されるようになったものと思われる。
執筆者:辻村 誠三
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古代ギリシアの密儀宗教。紀元前7世紀ごろから前5世紀ごろに栄え、とくに南イタリアのギリシア植民都市、シチリア島にかけて広く信仰された。プラトン、ピンダロス、アリストファネスなどもそれに言及しているが、オルフェウス教の特色は、輪廻(りんね)転生の教説にあり、肉体は牢獄(ろうごく)であり、それに対して魂(プシケ)は永遠不滅の本質であるとみなしている点であろう。そうした人間の二元性はディオニソス・ザグレウスの神話によって説明されるとしている。つまり、魂はディオニソス・ザグレウスの神的要素に由来し、肉体はティタンの悪の要素を受け継いでいるというわけである。オルフェウス教の目的は、過去の罪によって肉体に幽閉されている魂を救済することにある。そうした教義や肉食を避ける慣習、浄(きよ)めの儀式など、さまざまな点でピタゴラス派の宗教運動ときわめて似た特徴を備えているが、ともに北方系の宗教の影響が色濃いとされている。
[植島啓司]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
オルフェウスによって,前7世紀に始められたと伝えられるギリシアの新興宗教。肉体を魂の墓場として賤(いや)しみ,魂の輪廻(りんね)転生を免れるには,肉食を断って清浄な生活を送るべしと教える。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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