オズボーン(読み)おずぼーん(英語表記)John Osborne

デジタル大辞泉 「オズボーン」の意味・読み・例文・類語

オズボーン(John Osborne)

[1929~1994]英国の劇作家。既成の社会秩序を批判する処女戯曲「怒りをこめてふり返れ」で世に衝撃を与え、「怒れる若者たち」という言葉を生んだ。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「オズボーン」の意味・わかりやすい解説

オズボーン(John Osborne)
おずぼーん
John Osborne
(1929―1994)

イギリスの劇作家。ロンドンに生まれる。大学中退後、業界新聞に勤めるかたわら詩や短編小説を書いていたが、19歳ごろから劇界に入り、俳優として舞台にも立った。クライトンとの合作『ジョージ・ディロンの墓碑銘』など二、三の劇作ののち、新人発掘に熱意のあったイギリス舞台協会に送った『怒りをこめてふり返れ』(1956)の大成功で、彼自身新進劇作家の先頭にたつとともに、現代イギリス演劇興隆にきっかけを与えることになった。ローレンス・オリビエが依頼し、かつ主演した次作の『寄席(よせ)芸人』(1957)は、舞台にしたミュージック・ホールを通して過去のイギリスの栄光への郷愁が色濃くにじみ出ている。

 ついでミュージカル仕立ての『ポール・スリッキーの世界』(1959)、ブレヒト風の叙事演劇ルター』(1961)、カフカ不条理劇を思わせる『認められぬ証言』(1964)、ジェームズ朝悲劇に似た翻案物『支払われた負債』(1966)、写実的な風俗劇『アムステルダムホテル』(1968)など、ほとんど一作ごとに変化する作風で執筆している。彼のいちばんの長所は、初期の作品に多くみられる、ほとんど一人芝居といってもよい主人公の台詞(せりふ)のエネルギーにあるように思われる。その後も戯曲を発表し続けていたが、あまり評判になることはなかった。

[中野里皓史]

『小田島雄志著『ジョン・オズボーン』(1970・研究社出版)』


オズボーン(Henry Fairfield Osborn)
おずぼーん
Henry Fairfield Osborn
(1857―1935)

アメリカの古生物学者。コネティカット州の生まれ。1891年ニューヨークのアメリカ自然史博物館の標本管理者、1896年にはコロンビア大学動物学教授に就任した。1902年にはワシントン州のカーネギー研究所古生物学および動物学委員会の委員長に、1906年にはスミソニアン研究所の事務局長に選出された。ニューヨークの自然史博物館から、アフリカ、中国、モンゴルなどの各地に探検隊を派遣し、膨大な化石標本を収集した。哺乳(ほにゅう)動物化石および石器について優れた研究を行い、『哺乳類時代』(1910)や『旧石器時代の人類』(1915)などの古典的労作を残した。とくに長鼻類の一連の研究(1934~1942年刊行)は今日もなお重要な文献となっている。コープ定向進化説を継承し、脊椎(せきつい)動物の進化を説き、適応放散の法則を具体的に裏づけた。

[大森昌衛]


オズボーン(Thomas Osborn)
おずぼーん
Thomas Osborn
(1859―1926)

アメリカの獄制改革者。ニューヨーク州オーバーンの農機具商の家に生まれ、ハーバード大学に学んだ。大学卒業後、オーバーン市の新聞を発行したり、同市の市長を務めるなど、社会的、政治的に活躍した。1913年ニューヨーク州刑務所改良委員会の委員長となって以来、獄制改革運動に身を投じた。刑務所は犯罪者を罰する所ではなく、責任感を養う自主的教育の場であり、社会に復帰させることが目的でなければならないとして、自ら志願囚としてオーバーン刑務所に入り、その体験を生かして刑務所内に囚人による善行組合Mutual Welfare Leagueをつくった。1914年1月にはオーバーン刑務所で、同年11月にはシンシン刑務所で、のち1917年ポーツマス連邦刑務所所長になってからは同刑務所で、囚人自治制を試みるなど、受刑者の規律的生活のあり方に一つの指針を与え、彼の思想はしだいに各国に取り入れられるようになった。

[須々木主一]

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改訂新版 世界大百科事典 「オズボーン」の意味・わかりやすい解説

オズボーン
John James Osborne
生没年:1929-94

イギリスの劇作家。ジャーナリスト,俳優を経て,《怒りをこめてふり返れ》(1956)によって劇壇に登場。イングリッシュ・ステージ・カンパニーによって上演されたこの劇は,既成秩序や旧来の価値観に容赦のない批判を浴びせる青年ジミー・ポーターを主人公にし,常識的には不道徳と考えられる男女関係を扱った。この劇は激しい非難と共感の両方を呼びおこし,従来の上品な客間喜劇とは異なるリアリスティックな劇の相次ぐ発表をうながす一方,反体制的な青年を指す〈アングリー・ヤング・メン〉の言葉を生んだ。その後の戯曲にはL.オリビエが主演した《寄席芸人》(1957),《ルター》(1961),《認めえぬ証言》(1964),《アムステルダムのホテル》(1968)などがあり,できばえにむらはあるが,既成の価値観に疑問を呈する姿勢は一貫している。作品の多くを演出したT.リチャードソンとともに,1958年映画プロダクションを設立,自作の映画化のほかに《トム・ジョーンズ》(1963)のシナリオを執筆した。
執筆者:


オズボーン
Henry Fairfield Osborn
生没年:1857-1935

アメリカの古生物学者。コネティカット州フェアフィールドの生れ。プリンストン大学を出て,ヨーロッパに学び,T.H.ハクスリーに師事し,C.ダーウィンにも会って影響をうけた。プリンストン大学,ついでコロンビア大学の教授となり,1908年以降アメリカ自然史博物館長を兼任した。北アメリカ西部のほか,アフリカ,中国,モンゴルなどの探検を組織し,多くの脊椎動物化石を発掘し,収集した。彼はおもに哺乳類と爬虫類の化石を研究し,進化についても深い関心をもち,適応放散など重要な概念を提出している。とくに《長鼻類Proboscidea》(1936-42)では,多数の象化石を記載・分類し,その進化をまとめた。
執筆者:


オズボーン
Thomas Mott Osborne
生没年:1859-1926

アメリカの監獄改良家。ニューヨーク州オーバーン市の旧家に生まれ,ハーバード大学を卒業し,家業を継いで農業機械製造会社の社長として活動した。1904年オーバーン市長に選ばれ,10年州上院議員となり地方政界でも活躍したが,13年州監獄改良委員会の長をつとめていた際,志願囚としてオーバーン刑務所で1週間を過ごし,以後,監獄改良のために一生をささげた。彼は囚人自治制を推奨し実践したが,これには賛否の議論が渦巻き,14年シン・シン刑務所長に就任したものの,1年で職を退き,あとはおおむね野にあって〈休みなき闘い〉(彼の伝記の表題)を続けた。主著《監獄と社会》。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オズボーン」の意味・わかりやすい解説

オズボーン
Osborn, Henry Fairfield

[生]1857.8.8. コネティカット,フェアフィールド
[没]1935.11.6. ニューヨーク,ギャリソン
アメリカの古生物学者。プリンストン大学卒業 (1877) 。翌年イギリスに留学し,F.バルフォア,T.ハクスリーに師事。プリンストン大学自然科学助教授 (81~83) ,比較解剖学教授 (83~90) ,コロンビア大学教授 (91~1935) 。その間アメリカ自然史博物館古生物部主任 (1891~1910) ,同館館長 (08~35) を兼ねる。自然史博物館に世界で最もすぐれた脊椎動物化石のコレクションをつくり上げて,標本の陳列方法を改良し,古生物学の普及に寄与した。北アメリカ各地,アフリカ,モンゴルに調査旅行を行い,古生物学で幾多の業績を上げた。そして,もともと一つの種であった動物あるいは植物がその分布を広げるにつれ,それぞれの生活環境に適応するように変化をとげて別々の種となるという「適応放散」の概念をつくり,進化の機構を説明した。『哺乳類の時代』 (10) ,『長鼻類』 (上巻 36,下巻 41) など古生物学の著書のほか,進化思想の歴史を扱った『ギリシア人からダーウィンまで』 (1894) がある。

オズボーン
Osborne, John

[生]1929.12.12. ロンドン
[没]1994.12.24. イギリス,サロップシャー
イギリスの劇作家。ジャーナリストを経て俳優となり,イギリスの既成秩序を攻撃した戯曲『怒りをこめてふり返れ』 Look Back in Anger (1956) によって劇壇に登場。この作品から「怒れる若者たち」という言葉が生れた。『ルター』 Luther (61) ,『認められぬ証言』 Inadmissible Evidence (64) ,『私のための愛国者』A Patriot for Me (65) など,個性的ないし反社会的な人物を描いた作品が多い。『トム・ジョーンズの華麗な冒険』 (63,アカデミー賞) など映画のシナリオ,テレビ・ドラマもある。

オズボーン
Osborn, Alexander Faickney

[生]1888.5.24. ニューヨーク
[没]1966.5.4. バッファロー
アメリカの実業家。アイデア開発法の一つであるブレーンストーミング (自由奔放にアイデアを出し合う会議の一種) の考案者。 1909年ハミルトン・カレッジ卒業後新聞記者として出発,1915年広告会社へ入社。 1928年アメリカ有数の広告会社バッテン・バートン・ドゥルスタイン・アンド・オズボーンを設立し,副社長となる。また創造性教育財団の創設者,バッファロー大学 (現ニューヨーク州立大学) 講師などとして創造性の教育に貢献。著書『独創力を伸ばせ』 Applied Imagination (1953) ほか。

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百科事典マイペディア 「オズボーン」の意味・わかりやすい解説

オズボーン

米国の古生物学者。プリンストン大学卒,プリンストン大学,コロンビア大学の教授を歴任。のちアメリカ自然史博物館長を兼任した。米国をはじめ,アジア,アフリカに探検隊を組織し,多数の爬虫(はちゅう)類,哺乳(ほにゅう)類の化石を収集・研究した。また適応放散など,進化に関する重要な概念を提出した。《生命の起源と変化》(1917年)など著書も多い。

オズボーン

英国の劇作家。青年ジミー・ポーターの社会への反抗を描いた《怒りをこめてふり返れ》(1956年)で一躍有名になり〈アングリー・ヤング・メン〉の中心人物となった。続いて《寄席芸人》《ルター》《認めえぬ証言》《アムステルダムのホテル》等。

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367日誕生日大事典 「オズボーン」の解説

オズボーン

生年月日:1859年9月23日
アメリカの行刑改良家
1926年没

オズボーン

生年月日:1859年8月5日
アメリカの生物化学者
1929年没

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世界大百科事典(旧版)内のオズボーンの言及

【適応放散】より

…同一の起源をもつ生物の分類群が地球上の種々の異なった環境に適応する過程で,食性や生活様式に応じて著しい形態的分化を起こす現象をいう。1917年にH.F.オズボーンがティタノテリウムTitanotheriumの研究を通して認めたのに始まるが,地質時代を通じて種々のレベルの分類群にしばしば見られる現象で,進化学上の有効な概念となっている。オーストラリア大陸では未熟の状態で生まれる子を育児囊で保育する有袋類が適応放散し,フクロネズミ,フクロモグラ,フクロモモンガ,フクロアリクイ,コアラ,カンガルー,フクロオオカミなどが,あたかも旧大陸で有胎盤哺乳類が得たと同様のさまざまの生態的地位を獲得した。…

【アングリー・ヤング・メン】より

…イギリスの劇作家ジョン・オズボーンの戯曲《怒りをこめてふり返れ》(1956)から生まれた言葉で,既成秩序に不満をもち,旧来の価値観を受け入れようとしない反体制的な青年を指す。〈怒れる若者たち〉と訳される。…

※「オズボーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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