カウフマン(読み)かうふまん(英語表記)Константин Петрович Кауфман/Konstantin Petrovich Kaufman

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カウフマン」の意味・わかりやすい解説

カウフマン(Walter Kaufmann)
かうふまん
Walter Kaufmann
(1871―1947)

ドイツの物理学者ベルリンミュンヘンの大学に学び、ベルリンやゲッティンゲンの大学で助手や私講師を勤めた。1903年ボン大学助教授、1908~1935年ケーニヒスベルク大学教授。1902年までに、電子の質量はすべて電磁質量であること、すなわち電子の質量は電子の電荷と電磁場との相互作用に基づくこと、しかもその質量は速度に依存することを実験的に検証した。これは当時のアブラハムローレンツらの電子論(古典電子論)に根拠を提供するものであった。その後、電子の研究に関して競合していたアブラハム、ブーヘラーAlfred Heinrich Bucherer(1863―1927)、ローレンツおよびアインシュタインの各理論の決定実験を試みた。そしてローレンツとアインシュタインの理論が実験と一致しないという結果を得た。しかしプランクやアインシュタインが彼の実験データを再検討し、ブーヘラーがより精確な実験データを提出(1908)、その結果、ローレンツの理論もアインシュタインの理論(特殊相対性理論)も正しいことが判明した。

[杉山滋郎 2018年6月19日]


カウフマン(Konstantin Petrovich Kaufman)
かうふまん
Константин Петрович Кауфман/Konstantin Petrovich Kaufman
(1818―1882)

ロシア将軍、政治家。工科士官学校を卒業(1839)、1840年代にはカフカスコーカサス)で、50年代にはクリミア戦争戦闘に従事し、頭角を現した。67年からはトルキスタン軍管区司令官およびトルキスタン軍事総督として、ロシアの中央アジア進出の指揮をとった。すなわち、68年にはブハラヘ、73年にはヒバ・ハン国へ軍を進め、これらの地方征服。さらに74~76年にはコーカンド・ハン国反乱を鎮めて、これをロシア帝国に併合した。

[外川継男]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カウフマン」の意味・わかりやすい解説

カウフマン
Kauffmann, (Maria Anna) Angelica

[生]1741.10.30. クール
[没]1807.11.5. ローマ
スイスの女性画家。ウィンケルマン,ゲーテ,ヘルダー,ヨーゼフ2世,バイエルンの皇太子ルートウィヒらの知遇を受けた才媛。幼少期から父の画家ヨハン・ヨーゼフ・カウフマンとともに各地を遍歴。 1766年から 15年間ロンドンに滞在。同地のロイヤル・アカデミー創設者の一人。 R.アダムの建築の装飾壁画の制作で知られる。 1782年来ローマに定住。ロココ風の繊細さと新古典主義的様式を合わせた,個性的な作風を特色とする。ゲーテ,ウィンケルマンらの肖像画も描く。主要作品『ミランダとフェルディナント』 (オーストリア美術館) 。

カウフマン
Kaufman, Konstantin Petrovich

[生]1818.3.2. デムブラン近郊
[没]1882.5.16. タシケント
ロシアの軍人。 1839年陸軍工兵将校として軍隊に入り,44~55年カフカス(コーカサス) 勤務,57年少将,61年陸軍省軍務局長となって,陸相 D.A.ミリューチンの軍制改革を助けた。 65年ビレンスク軍司令官,67年初代トルキスタン総督となり,タシケントに赴任。軍政,外交に関する広大な権限を与えられて,68年ブハラ,73年ヒバ,75年コカンドの3ハン国を征服,ロシアの領土を中央アジアに拡大した。

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