ローレンツ(読み)ろーれんつ(英語表記)Hendrik Antoon Lorentz

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ローレンツ」の意味・わかりやすい解説

ローレンツ(Hendrik Antoon Lorentz)
ろーれんつ
Hendrik Antoon Lorentz
(1853―1928)

オランダの理論物理学者。1871年ライデン大学を1年で終え、夜間高校の講師をしながら論文を準備して、1875年学位を取得した。1878年、母校ライデン大学の理論物理学教授。以後の20年間は研究に専念し、後半生はその業績と語学力により国際的会合の中心になり、物理学以外の面でも内外の要職についた。1918年から8年間、ゾイデル海締切工事に関係した調査委員会の長として行った海水位予想の仕事は有名。1912年以降テイレル財団が設けた物理学研究部に勤め、ライデン大学員外教授として講義を続けた。

 分子の存在についての確信に基づき、未完成でまだ理解者も少なかったマクスウェル電磁理論を「オプティミズムをもって」(ノーベル賞講演)分子論へ適用し、物質の光学的性質を調べることから研究を始めた。学位論文で物質の密度と屈折率の関係や、そのほか電磁光学の多くの基礎的問題を扱い、その後一貫して「電子論」を展開した。そこでは、物質を、可秤(かひょう)物質、荷電微粒子(光に対し容易に共振し、初め軽イオンとよばれた電子に相当する粒子)、エーテルから構成され、とくに後の二者がそれぞれ違う役割を担って物質の光学的・電磁気的性質が決められるとする。電子がエーテル中の電磁場によるローレンツ力を受けて運動し、一方エーテルを媒質とする電磁場が電子の電荷と電流を源とするマクスウェルの方程式に従う、という定式化は1892年ごろに完成、物理的実在としての電磁場概念を確立した。こうしてエーテルは物質とともに運動しないという静止エーテル仮説の下に、運動物体中の電磁現象や地球とエーテルの相対運動の効果を考察した。その結果、水流中の光速に関するフィゾーの実験の説明を与え、マイケルソンたちの実験結果を導くために運動物体の長さに関する短縮仮説を提唱し、さらに互いに一様な速さで運動する座標系間の座標の関係式(ローレンツ変換式)をみいだした。またゼーマン効果(1896)を電子論により説明し、電子の電荷の符号と大きさを決め、質量が原子よりはるかに小さいことを導き、電子の発見に寄与するとともに電子論の描像の正しさを明らかにした。「希有(けう)の明晰(めいせき)さと論理的一貫性と美とを備えた」(アインシュタイン)電子論によりローレンツ現代物理学への転換を準備し、それへの橋渡しをする重要な役割を果たした。ゼーマンとともに「磁場が放射現象に与える影響の研究」により、1902年ノーベル物理学賞を受けた。

[藤井寛治]

『広重徹訳『電子論』(1973・東海大学出版会)』『巻田泰治・高橋安太郎訳『電子論』(1974・講談社)』


ローレンツ(Konrad Zacharias Lorenz)
ろーれんつ
Konrad Zacharias Lorenz
(1903―1989)

ウィーン生まれのオーストリアの動物学者。エソロジーの創設者の一人。ドナウ川周辺のアルテンベルク(ウィーン郊外)の豊かな自然のなかで育った。ウィーン大学で医学を学んだのち、比較解剖学、心理学を学んだ。1931~1941年にコクマルガラスの行動、本能の概念、ガン・カモ類の比較行動学などエソロジーの重要な論文の研究はすべて故郷アルテンベルクでなされた。ハイイロガンの雛(ひな)が生後1、2日以内に動くものを、あたかも親とみなして追従する「刷り込み」現象、生得的な固定的行動型を解発させる「リリーサー」を研究し、また、本能の概念などエソロジーの多くの基本概念を提唱した。ローレンツは思索的、思弁的であり、自らは多くの実験をしなかったが、日常的に動物と接しながらエソロジーを創設した特異な科学者である。啓蒙(けいもう)書の『ソロモンの指環(ゆびわ)』(1949)には、彼の研究方法と動物へ接する態度がうまく描かれている。1940年、ケーニヒスベルク大学(現、イマヌエル・カント・バルト連邦大学)教授になり、第二次世界大戦後はミュンヘンのマックス・プランク研究所の初代所長を務めた。1973年、ティンバーゲン、フリッシュとともにエソロジーの優れた研究業績でノーベル医学生理学賞を受賞した。

[川道武男]

『日高敏隆訳『ソロモンの指環』(1963・早川書房/ハヤカワ文庫)』『ローレンツ著、日高敏隆他訳『攻撃――悪の自然誌』(1970/新装版・1985・みすず書房)』『ローレンツ著、日高敏隆他訳『動物行動学』全4冊(1977~1980・思索社/上下、ちくま学芸文庫)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ローレンツ」の意味・わかりやすい解説

ローレンツ
Lorenz, Konrad Zacharias

[生]1903.11.7. ウィーン
[没]1989.2.27. アルテンブルク
オーストリアの動物学者。父は整形外科医でウィーン大学教授。幼時より動物の飼育を好む。 1922年より,コロンビア,ウィーン両大学で医学を学ぶ。そのかたわらコクマルガラスを飼育してその行動を研究。 30年代よりさまざまな鳥について習性の研究を行い,国際的な評価を受ける。ウィーン大学の比較解剖学および動物心理学私講師 (1937) ,ケーニヒスベルクのアルベルツス大学心理学部長 (40~42) 。第2次世界大戦後,マックス・プランク行動生理学研究所を創設し,所長となる。異なる種類の動物にみられる行動を比較し関連づけることにより,動物の行動を近代科学の対象として研究する道を開いた。生れつきそなわっている行動が外界からの刺激によって誘発される機構を解明。生後まもなく受けた刺激が,その個体の一生を通じて行動パターンを規定することや,一見複雑な行動も単純な衝動の組合せとして解釈できることを示すなど動物の行動の理解に画期的進歩をもたらし,動物行動学ないし習性学と呼ばれる研究領域をつくり上げた。ローレンツの動物行動学は研究対象に人間も含んでおり,たとえば 63年に著わした『攻撃』 Das sogennante Böseでは動物が一般的に生れつきもっている攻撃性が人間社会の戦争の原因であると論じ,他の方法で攻撃を発散させることにより戦争の防止が可能であると説いて,大きな反響を呼んだ。 73年に,行動を科学的に解明した功績により,N.ティンベルヘン,G.フリッシュとともに,ノーベル生理学・医学賞を受賞した。

ローレンツ
Lorentz, Hendrik Antoon

[生]1853.7.18. アルンヘム
[没]1928.2.4. ハールレム
オランダの物理学者。ライデン大学を卒業,同大学教授 (1878) 。ハールレムのタイラー研究所所長 (1912) 。誘電物質や金属による電磁波の反射および屈折の理論 (1875) を手始めに,媒質の密度と屈折率の関係 (80) ,光の分散の考察などを経て,1896年,物質中における電子の存在を仮定した理論によってゼーマン効果を説明し,物質のいろいろな性質を説明するために電子論を展開した (→ローレンツの電子論 ) 。マイケルソン=モーリーの実験結果を説明するために,いちはやく局所時間の考えを提唱し (95) ,1904年にはローレンツ変換を導いて,翌年提出されたアインシュタインの特殊相対性理論と数学的にはほぼ同等の理論を打立てた。 02年ノーベル物理学賞を受賞した。

ローレンツ
Laurents, Arthur

[生]1917.7.14. ニューヨーク,ニューヨーク
[没]2011.5.5. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の劇作家,映画脚本家。1937年コーネル大学を卒業。軍隊における反ユダヤ主義を扱った『勇者の故郷』Home of the Brave(1945,1949映画化)で注目を集めた。代表作はほかに,中年の独身女性のほろ苦いロマンスを描いた『郭公の季節』Time of the Cuckoo(1952)。『郭公の季節』は 1955年,デビッド・リーン監督,キャサリン・ヘップバーン主演により映画化された(邦題『旅情』)。『ウエスト・サイド物語』West Side Story(1957,1961映画化),『ジプシー』Gypsy(1959,1962映画化)などのミュージカル台本も手がけた。

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