オランダの理論物理学者。1871年ライデン大学を1年で終え、夜間高校の講師をしながら論文を準備して、1875年学位を取得した。1878年、母校ライデン大学の理論物理学教授。以後の20年間は研究に専念し、後半生はその業績と語学力により国際的会合の中心になり、物理学以外の面でも内外の要職についた。1918年から8年間、ゾイデル海締切工事に関係した調査委員会の長として行った海水位予想の仕事は有名。1912年以降テイレル財団が設けた物理学研究部に勤め、ライデン大学員外教授として講義を続けた。
分子の存在についての確信に基づき、未完成でまだ理解者も少なかったマクスウェル電磁理論を「オプティミズムをもって」(ノーベル賞講演)分子論へ適用し、物質の光学的性質を調べることから研究を始めた。学位論文で物質の密度と屈折率の関係や、そのほか電磁光学の多くの基礎的問題を扱い、その後一貫して「電子論」を展開した。そこでは、物質を、可秤(かひょう)物質、荷電微粒子(光に対し容易に共振し、初め軽イオンとよばれた電子に相当する粒子)、エーテルから構成され、とくに後の二者がそれぞれ違う役割を担って物質の光学的・電磁気的性質が決められるとする。電子がエーテル中の電磁場によるローレンツ力を受けて運動し、一方エーテルを媒質とする電磁場が電子の電荷と電流を源とするマクスウェルの方程式に従う、という定式化は1892年ごろに完成、物理的実在としての電磁場概念を確立した。こうしてエーテルは物質とともに運動しないという静止エーテル仮説の下に、運動物体中の電磁現象や地球とエーテルの相対運動の効果を考察した。その結果、水流中の光速に関するフィゾーの実験の説明を与え、マイケルソンたちの実験結果を導くために運動物体の長さに関する短縮仮説を提唱し、さらに互いに一様な速さで運動する座標系間の座標の関係式(ローレンツ変換式)をみいだした。またゼーマン効果(1896)を電子論により説明し、電子の電荷の符号と大きさを決め、質量が原子よりはるかに小さいことを導き、電子の発見に寄与するとともに電子論の描像の正しさを明らかにした。「希有(けう)の明晰(めいせき)さと論理的一貫性と美とを備えた」(アインシュタイン)電子論によりローレンツは現代物理学への転換を準備し、それへの橋渡しをする重要な役割を果たした。ゼーマンとともに「磁場が放射現象に与える影響の研究」により、1902年ノーベル物理学賞を受けた。
[藤井寛治]
『広重徹訳『電子論』(1973・東海大学出版会)』▽『巻田泰治・高橋安太郎訳『電子論』(1974・講談社)』
ウィーン生まれのオーストリアの動物学者。エソロジーの創設者の一人。ドナウ川周辺のアルテンベルク(ウィーン郊外)の豊かな自然のなかで育った。ウィーン大学で医学を学んだのち、比較解剖学、心理学を学んだ。1931~1941年にコクマルガラスの行動、本能の概念、ガン・カモ類の比較行動学などエソロジーの重要な論文の研究はすべて故郷アルテンベルクでなされた。ハイイロガンの雛(ひな)が生後1、2日以内に動くものを、あたかも親とみなして追従する「刷り込み」現象、生得的な固定的行動型を解発させる「リリーサー」を研究し、また、本能の概念などエソロジーの多くの基本概念を提唱した。ローレンツは思索的、思弁的であり、自らは多くの実験をしなかったが、日常的に動物と接しながらエソロジーを創設した特異な科学者である。啓蒙(けいもう)書の『ソロモンの指環(ゆびわ)』(1949)には、彼の研究方法と動物へ接する態度がうまく描かれている。1940年、ケーニヒスベルク大学(現、イマヌエル・カント・バルト連邦大学)教授になり、第二次世界大戦後はミュンヘンのマックス・プランク研究所の初代所長を務めた。1973年、ティンバーゲン、フリッシュとともにエソロジーの優れた研究業績でノーベル医学生理学賞を受賞した。
[川道武男]
『日高敏隆訳『ソロモンの指環』(1963・早川書房/ハヤカワ文庫)』▽『ローレンツ著、日高敏隆他訳『攻撃――悪の自然誌』(1970/新装版・1985・みすず書房)』▽『ローレンツ著、日高敏隆他訳『動物行動学』全4冊(1977~1980・思索社/上下、ちくま学芸文庫)』
オランダの理論物理学者。ライデン大学に学び,1875年《光の反射と屈折の理論について》と題する論文により学位を取得。78年に,ライデン大学に新設された理論物理学教授となり,1912年にP.エーレンフェストを後任に迎えるまで在職した。19年から8年間は政府の教育委員会のメンバーとなり,19年にはゾイデル海の埋立てに関する委員会の会長に任命され,必要な堤防の高さなどを計算した。また27年から5回連続してソルベー会議の議長を務めた。
科学上の業績は光学と電磁気学の分野,とくに両者を統一的に説明した電子論の形成にあった。J.C.マクスウェルは光の電磁波説を提唱し光学を電磁気学で説明する契機を作ったが,具体的な現象を説明できず,1880年代までは旧来の光学理論である光の弾性波動論が主流であった。こうした中で,ローレンツはすでに学位論文において,マクスウェルの理論を基礎にし,光の反射と屈折の法則を導き,1878年には《光の伝搬速度と媒質の密度および組成との関係について》と題する論文の中で,1860年代に有機化学者が精密な測定により示した,物質の屈折率と媒質の密度との関係を,物質内に荷電粒子を仮定することで公式化した(ローレンツ=ローレンツの式)。その後も86年に光行差,92年に吸収媒質中の光の反射という光学の問題を扱う中で,92年には電磁場としての〈絶対静止エーテル〉と荷電粒子という二つの概念を明確にし,さらに95年には論文《運動物体中の電気的・光学的現象の理論の研究》において,ベクトル解析を用いることにより,マクスウェルの電磁理論を体系化した。ローレンツの理論は電子を中心にして,電磁気的・熱的・光学的性質を説明することから,電子論と呼ばれるようになった。96年には,助手のP.ゼーマンが発見したゼーマン効果をこの理論に基づいて説明,電子の存在の確立に寄与し,1902年にノーベル物理学賞を受賞した。しかし彼の電子論は異常ゼーマン効果を説明できず,また地球がエーテル中を運動する際に電磁的,光学的な現象にも運動の影響が現れるという電子論からの帰結は,マイケルソン=モーリーの実験によって否定された。後者に対してローレンツはローレンツ収縮などの仮定を用い,形式的にはアインシュタインの特殊相対性理論と同じ方程式を得たが,時空概念の変革までは行わなかった。こうした電子論の限界は,M.プランクやアインシュタインらにより克服された。
執筆者:河村 豊
オーストリアの動物学者。父親は高名な外科医。ウィーン大学で比較解剖学,動物学,カント哲学を学ぶ。1940年よりケーニヒスベルクのアルベルトゥス大学心理学教授。第2次大戦に軍医として従軍し,ソ連軍捕虜となるが,48年に帰国。61年から73年までマックス・プランク行動生理学研究所長をつとめる。1930年代より魚類,鳥類を主とした動物の行動の研究を行い,刷込み,リリーサーなどの概念を提唱し,動物行動学(エソロジー)という領域を開拓した。これに対して73年にK.vonフリッシュ,N.ティンバーゲンとともにノーベル生理学・医学賞が与えられた。
《社会性カラスの行動学について》(1931),《鳥の環境世界における仲間》(1935)などの論文によって,動物行動学を基礎づけ,生得-学習という古来の論争に本能行動の解析を通して新たな光を与えるなど,以後20年間の動物行動学の研究を方向付けるとともに《ソロモンの指環》などの一般向きの著書も多く発表している。また,動物行動学の理論と方法は人間諸科学にもさまざまな影響を与えている。《攻撃》(1963)において,人間の攻撃性が動物の攻撃性と同根のものであることを指摘することによって多くの論議を巻き起こした。晩年は人間論,文明論,認識論を含む体系的な著作を発表したが,ナチス政権時代の態度や動物行動学と優生学との関係などの問題もからんで,彼の思想体系に対する批判も少なくない。
執筆者:小林 伝司
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…自由電子に対して,原子や分子などの中に束縛されて自由に運動できない電子は束縛電子bound electronと呼ばれる。物質中の自由電子の概念は,20世紀の初め,ドイツのドルーデPaul Karl Ludwig Drude(1863‐1906)とH.A.ローレンツが,金属の価電子が自由電子のガスとして存在すると考えると,金属の電気伝導,熱伝導,光学的性質などをおおよそ説明できることを示したのが最初である。このような考え方を古典自由電子模型と呼んでいるが,この成功の一つは,金属の電気伝導度と熱伝導度との比は同一温度では金属の種類によらず同一の値をもつというウィーデマン=フランツの法則を説明できたことである。…
…それは,電磁波は真空や物質の中を一様に満たしているエーテルという仮想的な媒質の中を伝わるというものであり,マイケルソン=モーリーの実験(これも静止したエーテルの存在を実験的に見いだそうとしたものである)が,これに対して否定的な結果を与えた後も,この考えはなかなか捨てられなかった。このような仮想的な物質を仮定することは,かえって困難を増すのみであったが,H.ローレンツとG.フィッツジェラルドは,それぞれ独立に,エーテル説に立ったうえで,マイケルソン=モーリーの否定的実験を説明するためには,速度vで動く物体は,その進行方向に倍短くなると考えればよいことを示した(ローレンツ収縮)。しかし,あらゆる物体が,その種類をとわず一様に収縮する機構を説明することはできなかった。…
…マクスウェルの理論に欠けていた第2の点は,電荷や電流の本性は何かということである。これに答えようとしたのは,物質の電気的・磁気的性質を物質の原子的構造から説明することを目ざす,H.A.ローレンツの〈電子論〉であった。電子論では,仮説として,物質が正負の電荷をおびた微粒子からなるという考えを導入するが,真空放電の研究に続く陰極線の発見を経て,96年にローレンツおよびJ.J.トムソンが,それぞれゼーマン効果,陰極線粒子の比電荷の研究によって電子の存在を確認するにおよんで,電子論の基礎はひじょうに強固となった。…
…マイケルソン=モーリーの実験は,絶対静止系(エーテル系)の存在を否定するものであったが,H.A.ローレンツはなおエーテル説との両立を求め,エーテルに対して速度vで動く物体は,光速度をcとすると,その方向にの割合で短くなると考えればよいことを示した(1893)。この仮説をローレンツ収縮,またはローレンツ短縮という(G.F.フィッツジェラルドも独立にこの仮定を立てており,フィッツジェラルド=ローレンツ収縮ともいう)。…
…気体の屈折率をn,密度をρとし,その気体の分子の分子量をM,分極率をα,アボガドロ数をNA,真空の誘電率をε0とすると,で表される。この関係式は,オランダのH.A.ローレンツとデンマークのL.V.ローレンツLudwig Valentin Lorenz(1829‐91)によってそれぞれ独立に導き出されたもので,気体の屈折率nは,本質的にその気体の分子の分極率αが与えられれば求められることを示している。右辺の量はR0と書かれ,モル屈折と呼ばれる。…
…しかしその反面トゲウオの例でみたように,攻撃性は単純な刺激によって解発される生得的な行動パターンの一つとみることもでき,もし攻撃性の発現を抑えられると,別の代償対象に攻撃性を向ける動物の例も数多く知られている。ここからK.ローレンツは,人間の場合にも攻撃性を完全に抑制することは不可能であり,適当な形での攻撃性の発散が必要であると主張している。【奥井 一満】
【人間の攻撃性】
攻撃性という用語は,人間の場合,一般に怒り,憎しみ,不満などに基づき,自己,他者,あるいはその他の対象に損傷,恐怖などをひき起こす行動,ないしはそのような傾向と考えられ,ときにはその攻撃行動を生む本能,あるいはその本能のもつエネルギーなどの意で用いられることもある。…
…動物の行動を引き起こす最も基本的なしくみと考えられるもので,遺伝的にプログラムされた行動の発現を説明する機構。解発機構(ドイツ語でAuslösemechanismus)の語はK.ローレンツの提唱になる。動物の生得的な行動の背後にはそれを発現する潜在的エネルギーがつねに蓄えられた状態にあり,これを引き出すリリーサー(あるいは,それに含まれる鍵刺激)によってその行動が発現するという考えに基づくもの。…
…生物および生命現象を対象とする学問分野。biologyという語は,1802年にJ.B.ラマルクとG.D.トレビラヌスにより独立に提唱され,普及した。ただし最初の使用はブルダッハK.F.Burdachによる(1800)。生命biosの学logosという表現は,個別知識の蓄積から進んで一般原理を求めるようになった状況をよく反映している。あらゆる科学と同じく,生物学の起源も,実用と知的好奇心との両方に求められる。…
…このフロイトの死の本能をヨーロッパの精神分析学者は支持しているが,アメリカの精神分析学者の多くは死の本能を認めず,攻撃は欲求不満への反作用と考えている。 本能説にはもう一つK.Z.ローレンツによる動物生態学からの有力な理論(1966)がある。彼はフロイトよりも攻撃本能を肯定的に考え,それは動物の進化に役だつとした。…
※「ローレンツ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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