カオ(その他表記)Charles Kuen Kao

改訂新版 世界大百科事典 「カオ」の意味・わかりやすい解説

カオ
Charles Kuen Kao
生没年:1933-

中国・上海生れの電気工学者。グラスファイバー中に光を通して遠距離通信に用いることを提案した。ロンドン大学で学び,1960年から70年までイギリスのスタンダード・テレコミュニケーションズ・ラボラトリー社Standard Telecommunications Laboratory Ltd.に勤務。1966年にホッカムG.A.Hockhamと連名論文を発表してグラスファイバーによる光通信実用化の基礎を築いた。光はふつう直進するが,屈折率の大きいガラスを芯とし,その外側を屈折率の小さいガラスでくるんでファイバーとすると,ファイバー中に光を通すことができる。このグラスファイバーは光ファイバーとも呼ばれる。1960年代中ごろにおいては,グラスファイバー中の光伝播損失は1000dB/km以上あり,伝送帯域幅も狭く,ファイバーは折れやすかった。それゆえ光ファイバーによる通信伝送の実用性を信ずる人はほとんどいなかった。しかしカオはこの時代に,伝播損失20dB/kmのファイバーが可能であると予言した。この予言は70年に実現した。今日では伝播損失1dB/km以下のファイバーがつくられ,光ファイバーによる通信は時代の花形となっている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カオ」の意味・わかりやすい解説

カオ
Kao, Charles

[生]1933.11.4. 上海
[没]2018.9.23. ホンコン
中国生まれの物理学者。フルネーム Charles Kuen Kao。アメリカ合衆国とイギリスの市民権をもつ。1957年ロンドン大学を卒業,1957年からアメリカの通信会社 ITTのイギリス子会社スタンダード通信ケーブル研究所 STLに勤務,1960年に STL主任研究員となる。1965年ロンドン大学で電気工学の工学博士号を取得した。1970~74年に香港中文大学教授を務めたのち,ITTで 1981年から光電子技術部門副所長を務めた。1987~96年,香港中文大学学長。1993年に大英帝国三等勲功章 CBE受章,1996年に日本国際賞を受賞。2009年,光デジタル技術にかかわる重要な技術を開発した功績により,ウィラード・ボイルならびにジョージ・E.スミスとともにノーベル物理学賞(→ノーベル賞)を受賞した。カオは,光を吸収したり散乱したりする不純物のない溶融石英ガラスを使えば,キロメートル単位の長距離でも損失を低減させながら光を送ることができることを理論的に示し,光ファイバ通信に使われている光ファイバの基礎をつくったことが評価された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「カオ」の意味・わかりやすい解説

カオ
かお
Charles K. Kao
(1933―2018)

中国の物理学者、英国籍と米国籍をもつ。上海(シャンハイ)で生まれたが1948年に香港(ホンコン)へ移住し、1954年にロンドン大学電気工学部へ留学して1965年に博士号を取得した。イギリスのスタンダード通信・ケーブル研究所研究員を経て香港に戻り、香港中文大学教授、同大学長を歴任。2009年、「光通信に使用するグラスファイバーに関する革新的業績」によりノーベル物理学賞を受賞した。

 光ファイバーは光を使って情報を伝達する線材だが、1960年代当初の光ファイバーの通信距離はわずか20メートル程度であった。それは光の減衰が著しいため伝達する距離が伸びなかったことによる。カオは1966年に光ファイバーの不純物を減らすという方法で伝達距離を飛躍的に伸ばすことに成功し、1970年になって実用に耐える純粋な光ファイバーをつくることに成功した。その後、光ファイバーの製造技術は向上し、現代のインターネットや電話通信などに欠かせない線材となった。その実用化の最初の研究に大きな貢献をしたことが認められた。

[馬場錬成 2018年10月19日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android