ボイル(読み)ぼいる(英語表記)Kay Boyle

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボイル」の意味・わかりやすい解説

ボイル(Robert Boyle)
ぼいる
Robert Boyle
(1627―1691)

イギリスの化学者、物理学者。初代コーク伯リチャード・ボイルRichard Boyle(1566―1643)の第14子としてアイルランドリズモア城に生まれる。家庭とイートン学校で教育を受けたのち、1639年から5年間ヨーロッパ大陸に遊学し、ジュネーブの家庭教師のもとで古典の教養とプロテスタントの信仰を身につけた。また、この間にガリレイらの新しい科学に接した。1644年ピューリタン革命のさなかのロンドンに帰国、まもなく「インビジブル・カレッジ(見えざる大学)」とよばれるロンドンの科学者グループに加わり、自然科学への関心を深めた。ドーセットシャー、スタルブリッジの荘園(しょうえん)に住んで化学の研究を始めたが、1654年オックスフォードに住居を移し、この地の科学者グループに参加して本格的に科学活動を開始した。これらの科学者グループは、実験に基づいた人間生活に有用な科学を推進するというベーコン主義の理想を掲げて、王政復古後の1662年ロイヤル・ソサイエティー(王立協会)を創立した。

[内田正夫]

近代化学確立への努力

ボイルは1657年ころゲーリケの真空実験のことを知ると、助手のフックの協力によって空気ポンプを製作し、さまざまな実験を行って、その結果を『空気の弾力に関する自然学的新実験』(1660)として発表した。空気の体積がその圧力に反比例するというボイルの法則は、この書に対するリヌス神父Franciscus Linus(1595―1675)の反論に答えた第2版(1662)のなかで、明らかにされた。

 この当時、力学や天文学は近代科学として形成されつつあったが、化学物質に関する仕事はまだ一般に錬金術とか、あるいは薬剤師や職人の経験的な技(わざ)とみなされていた。ボイルはこのような考えに反対し、化学を一つの合理的な科学にしようと努力した。いくつかの小論を書いたのち、1661年『懐疑的な化学者』The Sceptical Chymistを刊行し、スコラ派の四元素説や医化学派の三原質説を批判した。すなわち、物質の分解蒸留の生成物を元素と解釈してみせるだけのこれらの学説に対し、豊富な化学実験を行い、物質の多様な変化を正確に把握すべきことを主張したのである。また、種々の指示薬や沈殿生成を利用した物質の同定法など、化学実験の基本的な方法を確立した。

[内田正夫]

実験主義と粒子哲学

このような実験によって認識される物質の変化と多様性を合理的に説明するため、ボイルは、ガッサンディデカルトによって復活され、新しい科学の基本的物質観となりつつあった原子論を取り入れて、それを化学に有効な独自の粒子哲学に仕上げた。それはとくに『形相と質の起源』The Origin of Forms and Qualities(1666)において展開されている。すなわち、物質の諸性質は、スコラ派の実体的形相や実在の質によってではなく、物質を構成する粒子の組織と運動によってのみ合理的に理解できること、そして化学変化は階層的な構造をもつ物質粒子の組み換えによって説明できることが主張された。彼は近代的な化学元素の概念に到達することはできなかったが、実験主義と結合した粒子哲学によって、化学変化を具体的な物質の結合・分離として考察することを可能にしたのである。

 ボイルは優れた設備と大ぜいの助手を使って無数の実験を行い、明確で詳細な実験報告を膨大な著作として残した。そのなかには上述の理論的課題を例証する諸実験のほか、「色」(1664)、「冷たさ」(1665)、「リン」(1680)、「鉱水」(1685)などに関する実験誌的研究が含まれる。スズの灰化における重量増加を確認し、その理由を火の粒子の付着に帰したこと(1673)や、ガラス容器で水を繰り返し蒸留したときに生じた白い粉を、水から土への変成の例としたこと(1666)などもよく知られている。

 1668年ロンドンに移り、姉のレイネラ子爵夫人Katherine Jones, Viscountess Ranelagh(1615―1691)宅に寄寓(きぐう)して実験と著述を続け、ロイヤル・ソサイエティーの主要メンバーの一人として活動した。神学上の研究や伝道活動にも熱心であった。

[内田正夫]

『田中豊助・原田紀子訳『懐疑の化学者』(1987・内田老鶴圃)』『Marie Boas HallRobert Boyle on Natural Philosophy (1966, Indiana University Press)』


ボイル(Willard S. Boyle)
ぼいる
Willard S. Boyle
(1924―2011)

カナダ生まれのアメリカ人物理学者。カナダ・モントリオールのマックギル大学で博士号を取得後、アメリカのベル研究所の研究員となり、通信科学部門の本部長を務めた。2009年にジョージ・スミスとともに「電荷結合素子(CCD:Charge Coupled Device)センサーの発明」によりノーベル物理学賞を受賞した。

 ボイルはスミスとともに1969年に光を電気信号に変える素子を集積し、画像として記録する方法を考案。これは画像を電気信号に変換する際、光から発生した電荷を受光素子が読み出し、これを電荷結合素子とよばれる回路素子を用いて転送する方法である。現代ではデジタルカメラ、デジタルビデオ、内視鏡などに応用されるようになった。また、望遠鏡で天体の微弱な光をとらえることもできるため、天体写真の撮影の分野でも大きな貢献をした。

[馬場錬成]


ボイル(Kay Boyle)
ぼいる
Kay Boyle
(1902―1992)

アメリカの女流作家。初期の作品はヘンリー・ジェームズ風の心理主義的作風で、しだいに極限状況下の人間の本能や葛藤(かっとう)を描くプロット中心の作品が多くなった。おもな作品には、国籍の異なる夫婦の相克を扱った『ナイチンゲールのわざわい』(1931)、第二次世界大戦後のアメリカ人とドイツ人の問題を描いた『さよならをいわない世代』(1960)があり、ほかに詩集もある。

[有賀文康]


ボイル(織物)
ぼいる
voile

英語のベールveilにあたるフランス語で、薄地で軽く、密度の粗い透けてみえる織物のことをいう。堅く締まったボイル撚(よ)りにかけた糸を経緯(たてよこ)に使い、平織または紗(しゃ)織にしたもので、一般には木綿が多いが、麻や化合繊のものもあり、縞(しま)、格子や、ときには紋を浮かせたのも織られている。用途は、婦人用肌着、スカーフ、室内装飾品など。

[角山幸洋]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボイル」の意味・わかりやすい解説

ボイル
Boyle, Danny

[生]1956.10.20. マンチェスター
イギリスの映画監督,脚本家。大胆な映像編集による活力に満ちた作品が持ち味。初めは演劇界で働き,1982~85年ロイヤル・コート劇場シアター・アップステアズ(小劇場)の芸術監督,1985~87年ロイヤル・コート劇場の副監督を務めた。1987年にテレビ映画(長編テレビドラマ)『スカウト』Scoutでデビュー。初の長編映画『シャロウ・グレイブ』Shallow Grave(1994)で注目される。1996年にブラック・ユーモアを交えて薬物常習者を描いた『トレインスポッティング』Trainspottingが国際的にヒットし,躍進の契機となった。以後の作品に『普通じゃない』A Life Less Ordinary(1997),『ザ・ビーチ』The Beach(2000),『28日後…』28 Days Later(2002),『ミリオンズ』Millions(2004),『サンシャイン2057』Sunshine(2007)など。インドを舞台とする異色の恋愛映画『スラムドッグ$ミリオネア』Slumdog Millionaire(2008)が高く評価されるとともに興行面でも大成功を収め,アカデミー賞の作品賞と監督賞を含む 8部門に輝いた。2011年演劇界に復帰してナショナル・シアターでメアリー・ウルストンクラフト・シェリー作『フランケンシュタイン』Frankenstein(1818)を脚色上演(→フランケンシュタイン)。2012年にロンドン・オリンピック競技大会開会式の芸術監督を務めた。

ボイル
Boyle, Robert

[生]1627.1.25. リズモア
[没]1691.12.30. ロンドン
イギリスの自然哲学者。化学者。物理学者。近代化学の祖といわれる。貴族の家に生れ,ヨーロッパに遊学。 1644年帰国,「見えざる大学」と呼ばれる学者グループの中心となり,自然研究における実験の重視を唱える「新哲学」の発展に専念。このグループが中心となってロンドンでロイヤル・ソサエティが設立され (1662年に勅許を得る) ,ボイルは評議員となった。共和制下の 54年オックスフォードに居を移し,活動を続け,57年助手の R.フックとともに真空ポンプの改良に着手,59年に完成。真空中での落体の実験,音の伝播への空気の寄与 (60) などを明らかにした。 62年には気体の圧力と体積に関するボイルの法則を発見したほか,多方面にわたる物理学上の研究をなし,数々の業績を残した。とりわけ化学への関心が強く,主著『懐疑的な化学者』 (61) ではアリストテレスやパラケルスス流の観念的な元素観を排し,物質の究極的要素を具体的な粒子とし,それらの離合集散が物質現象を解明する鍵となることを主張している。混合物と化合物の概念,酸とアルカリの識別の実験的手段,金属の 煆焼をはじめとする燃焼の研究,呼吸など広範な実証研究を通して,自己の粒子論・機械論を展開した。その一方でそのような機械論的科学がキリスト教と矛盾しないことを主張し,その主張をさらに推進すべく,死後「ボイル講演」が設立された。

ボイル
Boyle, Willard

[生]1924.8.19. アマースト
[没]2011.5.7. トルロー
カナダ生まれの物理学者。フルネーム Willard Sterling Boyle。1947年にカナダのマギル大学を卒業,1950年同大学で物理学の博士号を取得した。1953年にアメリカ合衆国のベル研究所に入り 1979年に退職した。2009年,光デジタル技術にかかわる重要な技術を開発した功績により,チャールズ・カオならびにジョージ・E.スミスとともにノーベル物理学賞を受賞した。ボイルとスミスは,ベル研究所でデジタルカメラの心臓部である電荷結合素子 CCDイメージセンサを開発したことが高く評価された。

ボイル
voil

やや強撚 (よ) りの糸で,密度をあらく透かしをつくった薄地平織物。原糸は各種繊維の細番手糸で,ほかに変化組織の搦織 (からみおり) など,原糸や柄により各種ある。用途は婦人子供服,ブラウス,着尺,肌着,スカーフ,カーテンなど。

ボイル

「オレリー」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

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