カプリービ
かぷりーび
Leo von Caprivi
(1831―1899)
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カプリービ
Leo Caprivi
生没年:1831-99
ドイツの政治家,将軍。陸海軍の行政で頭角を現し,1890年ビスマルクの失脚後宰相に就任。彼の在任期間(-1894)をドイツ政治史のうえで〈新航路〉の時代という。内政では社会主義に対する弾圧立法をしりぞけ,社会政策を拡充,農業保護関税を引き下げて工業製品の輸出を促すなど,時代の変化に対応する路線をとった。外交ではロシアとの再保障条約を更新せず,イギリスとの関係改善に努めた。
執筆者:木谷 勤
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カプリービ
ドイツの軍人,政治家。プロイセン首相(在任1890年―1892年),ドイツ帝国宰相(在任1890年―1894年)。ビスマルクの後任として新航路政策への転換を行った。社会民主党と抗争し,外交面では再保障条約を更新せず,また穀物関税を引き下げてヨーロッパ諸国と通商条約を締結。
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世界大百科事典(旧版)内のカプリービの言及
【ドイツ】より
…それとともに労働者も階級的な結集を強め,89年の炭鉱ストライキ,90年の総選挙における[ドイツ社会民主党]の躍進をかちとった。同年のビスマルクの失脚と新宰相[カプリービ]の〈新航路〉政策(社会主義者鎮圧法の撤廃と労働者保護立法,また輸出拡大に向けた通商条約政策)は,こうした労働運動の発展やドイツの穀物関税引上げに起因する独露関係の悪化に対するドイツ第二帝制のいわば前向きの対応であり,それを通して労働者の体制への再統合をはかるものであった。しかしこれら一連の政策は,それまで帝制の支柱として保護されてきた農業界の不安と反発を呼び,ユンカーの主導下に広範な農民層を結集した農業者同盟や,バイエルンの農民同盟など,農本主義的な運動がくりひろげられることとなる。…
【ドイツ帝国】より
…
[ウィルヘルム時代]
1890年以後ドイツ帝国の政治はウィルヘルム2世の親政を意味してウィルヘルム時代と呼ばれる。ビスマルクのあとを継いだ宰相[カプリービ](在任1890‐94)のもとで,社会主義者鎮圧法の廃止,労働者保護立法の拡充や農業関税の引下げなど,工業社会の要求にこたえて政策の手直しが若干行われた。しかし次の宰相ホーエンローエChlodwig zu Hohenlohe‐Schillingsfürst(1819‐1901。…
※「カプリービ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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