改訂新版 世界大百科事典 「青年イタリア」の意味・わかりやすい解説
青年イタリア (せいねんイタリア)
Giovine Italia
リソルジメント期のイタリアの政治結社。1831年マッツィーニが亡命地マルセイユで創設。イタリアの統一と共和制の実現を目標にかかげ,蜂起と宣伝活動を重視した。結社名は旧世代の運動への不信を表しており,カルボナリ党的な秘密結社方式の克服を目ざした。創設とともにイタリア国内にも急速に浸透し,地下出版物も多くもちこまれた。34年2月のサボイア蜂起計画の準備過程で,ヨーロッパにおける革命運動の主導権をとるのはイタリアかフランスかをめぐってブオナローティ派の組織と対立した。この対立を通して青年イタリアの運動にはナショナリズムの性格が強められた。サボイア蜂起は失敗に終わるが,計画に加わったポーランド,ドイツの活動家の間で,それぞれ青年ポーランド,青年ドイツがつくられ,34年4月これらナショナリズム運動の連帯のための青年ヨーロッパが結成された。マッツィーニはその後,スイスを経て37年ロンドンに亡命地を移し,この地で接したチャーチスト運動から労働者の組織化の必要を学び,青年イタリアの一部門としてイタリア労働者連合を設立する。一方アイルランドでは,イギリスからの独立を目ざす青年層が青年イタリアを範とした青年アイルランド党を結成した。国内の青年イタリアは40年代にも相次いで蜂起行動を起こし,イタリア解放運動の中心を占めるが,蜂起はすべて失敗に帰し,犠牲も大きかった。48年革命でヨーロッパに新しい情勢が生じると,マッツィーニは青年イタリアを解散して,別の結社による運動を進めていく。青年イタリアの組織は48年でなくなるが,結社の精神はこれ以降の運動にも受け継がれ,多くの影響を残した。
執筆者:北原 敦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報