「けばけばしさ」や「古臭さ」や「安っぽさ」などを意識しながら、それらの性質や状態を、あえて積極的に利用しようという美意識のあり方。ドイツ語のKitsch(まがいもの、いい加減なもの)に由来する。ここにはいささか差別的な見方や考え方が含まれていることは明らかであり、キッチュという美意識そのものを否定する人も少なくない。
観光地の土産物(みやげもの)店で売っているような時代錯誤的な壁飾り、通俗的で安っぽい絵皿、はでな色彩の低俗な玩具(がんぐ)類、ディスカウント・ストアで売っているような目新しさをねらっただけのがらくた小物、ごてごてと飾りたてた食器類、いかにも安物と思われる装飾品、こういったものの使用が、この美意識の対象となる。
「よい趣味」をもち「経済力に富んでいる」人が、あえて「悪趣味」な「安物」を使用するときの楽しさをどう考えるべきか、また、使用された様態を、第三者はどう評価するべきかなど、むずかしい問題といわざるをえない。もともと悪趣味な人や経済力のない人などが「けばけばしいもの」や「古臭いもの」や「安っぽいもの」などを使用した場合、それをキッチュとはよばないのである。
[武井邦彦 2018年10月19日]
大衆文化の通俗的なイメージを芸術領域において活用した美術家として、ロイ・リクテンスタイン、アンディ・ウォーホル、トム・ウェッセルマンTom Wesselmann(1931―2004)、ジェームズ・ローゼンクイスト、クラエス・オルデンバーグなどがあげられる。彼らの作品においては、大量生産された大衆文化的な商品(どこにでもあるような陳腐なもの)のイメージが利用されることが多い。ポップ・アートとよばれる彼らの作品群では、反芸術的な志向のもとに、キッチュなイメージがモチーフとされているのである。
舞台美術や室内装飾などの領域において、キッチュと似たキャンプcampという美意識が発揮されることがある。俗っぽさや古臭さなどを意識的に生かすことにより、ドラマティックな演劇空間や、気のきいた生活空間が演出される。むろん、それらを評価できない人々に対する冷笑を含んだ演出であることは明らかである。
建築領域では、ロバート・ベンチューリやチャールズ・ムーアCharles Willard Moore(1925―1993)などの設計態度にも、キッチュあるいはキャンプな傾向をうかがうことが可能である。
[武井邦彦 2018年10月19日]
なお、上述したのは、芸術という視座による「キッチュ」の意味についてであるが、一般的な生活における若い世代の用語法は、これとはいささか様相を異にしていることに留意しなければならない。古めかしさを伴っていっぷう変わったものであり、かわいいというイメージを惹起(じゃっき)する対象を褒めることばとして、若い人たちは「キッチュ」という語を使用する傾向にある。それは服飾品や生活小物や店舗設計のあり方などに対する彼らの評言であるといいうるが、芸術とは異なる次元の価値判断であることは確かである。
[武井邦彦 2018年10月19日]
『谷川晃一著『がらくた桃源境――がらくた・キッチュ・フォークアート東西南北縦横無尽』(1988・勁草書房)』▽『マティ・カリネスク著、富山英俊・栂正行訳『モダンの五つの顔』(1995・せりか書房)』▽『ピーター・ワード著、毛利嘉孝訳『キッチュ・シンクロニシティ――20世紀消費社会における悪趣味文化の変遷』(1998・アスペクト)』▽『石子順造著『ガラクタ百科――身辺のことばとそのイメージ』(2000・平凡社)』
まがいもの,俗悪なものの意。消費社会の発達に伴いその概念は拡大され,美と醜の二分法では分析し尽くせない複雑化した大衆文化の美的現象を包括的にさす言葉として使われるようになった。キッチュという言葉は,品物の形をさす場合もあれば,人間と物との関係を意味する場合もあって,必ずしも定義しやすい概念ではない。しかしキッチュは,ブルジョア社会のどんな地域,どんな文化にも生じる普遍的な現象であり,繁栄する社会でしだいに主役にのし上がってきた凡庸な人間の美的態度,生活術と結びついている。真正な芸術を俗化する点では反芸術に近く,無償的である点では現実よりも芸術に近い。キッチュは,文学,美術,建築,音楽など広範な領域にひろがるが,いわば陳腐な画一主義と創造的な作品の中間に位置するといえよう。したがって,驚異や奇嬌さもひとつの特徴として含むが,さりとてそれによって現状を乗り越えていこうとする態度をもつわけではない。
〈キッチュ〉という言葉は,南ドイツで使われていた言葉(たとえば〈低俗化する〉を意味するフェアキッチェンverkitschenなど)に由来し,1860年ころミュンヘンで,初めて近代的な意味で使われるようになった。すなわち,ブルジョア社会の宮殿ともいうべき百貨店の黄金時代に,そこで売られる品物の美的性質を言い表す言葉になったのである。以来,キッチュと呼ばれる物,現象に対する各時代の態度は,その時代の文化の性向を示している。たとえば1920~30年代の機能主義は,キッチュに決定的に対立しそれを克服しようと努めた。同じ時代に,あらゆる芸術にはキッチュ的要素があることを見抜いた文学者H.ブロッホの場合にも,キッチュは芸術における〈悪の体系〉と表現された。60年代に,近代合理主義に対する批判が活発になると,人間の非合理性を再評価するきっかけにキッチュが登場した。日本では美術評論家石子順造(1929-77)の主張がその代表的なものであった。60年代末からの記号論と,それに伴うフランスの社会学者ボードリヤールJean Baudrillard(1929-2007)らの消費社会論の進展により,キッチュがほとんど意識されない共示的意味(コノテーションconnotation)の現象であり,消費社会の生み出す美的経験には違いないが,反近代主義者が期待したほどの積極的な役割はないことも明らかにされてきた。キッチュの概念の精密化は,現代社会で生み出される物やできごと,したがって文化全般の分析に有効な手段を提供することになった。19世紀の百貨店の時代から20世紀後半のスーパーマーケットの時代になると,物の様相,物を介して作用する社会の戦略は変わった。この状況を受けて,フランスの情報美学者モルAbraham A.Moles(1920-92)はキッチュの概念を拡大し,ネオ・キッチュNeo-Kitschと呼ばれる物の働きを見いだすようになった。それは,機能性も記号化する工業デザインや無償な小物(ガジェットgadget)の産出についての視野を開くことであった。
執筆者:多木 浩二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…現在,デザインが文化にとってもつ意味を考えるうえでは,このもう一つの文化の流れを考慮にいれなければならない。その一つが19世紀後半のキッチュで,これは大衆がその限界のある経済力によって相対的な満足を手にしようとするところから生じた美的な〈まがいもの〉である。バウハウスなどの近代デザインは,決定的に反キッチュとして成立している。…
※「キッチュ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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