クビスリング(読み)くびすりんぐ(英語表記)Vidkun Abraham Lauritz Jonssøn Quisling

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クビスリング」の意味・わかりやすい解説

クビスリング
くびすりんぐ
Vidkun Abraham Lauritz Jonssøn Quisling
(1887―1945)

ノルウェー政治家。1918年以来陸軍大尉としてソ連関係の情報の収集活動に従事。1931~1933年農民党内閣で国防相を務め、1933年に反共政党国民連合党を組織するが国会選挙に敗退。1939年ナチスに接近し、資金援助を受けた。翌1940年ドイツの自国占領後、対独協力計画がヒトラーに認可されなかったにもかかわらず、自ら首相に名のり出たが、ノルウェーの抵抗は鎮まらず、弁務官テルボーベンによって閑職に移された。だが、ヒトラーの容認した唯一の党総裁であるとの立場を利用してクビスリングはナチス側を懐柔し、1942年国民連合党員が大多数を占める弁務官大臣会議の首相に就任。率先して教会、学校のナチス化、ユダヤ人迫害、対独協力部隊の編成を行い、レジスタンス対立。ドイツ指揮下のゲルマン連邦の一翼をノルウェーに担わせるという夢想的計画を抱いた。ノルウェー解放後、戦犯裁判で処刑された。

[大島美穂]

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改訂新版 世界大百科事典 「クビスリング」の意味・わかりやすい解説

クビスリング
Vidkun Abraham Lauritz Jonssøn Quisling
生没年:1887-1945

ノルウェーの軍人,政治家。ファシスト。農民党政権の国防相(1931-35)。農民党の左傾に伴い,ノルウェーのファシスト党〈国家統一Nasjonal Samling〉を組織。1939年ヒトラーと会見,ナチス・ドイツの祖国侵入の日にラジオで歓迎放送を行う(1940年4月9日)。ナチスに対して自分の〈政府〉によるノルウェーのファシスト化を請け負うが,国民の抵抗にあい失敗。戦後死刑となる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クビスリング」の意味・わかりやすい解説

クビスリング
Quisling, Vidkun Abraham Lauritz Jonsson

[生]1887.7.18. フュレスダール
[没]1945.10.24. オスロ
ノルウェーの政治家,ファシスト。キスリングとも表記される。 1933年にペデル・コルスタート首班の農民党内閣の国防相を辞任し,国家統一党創設。 40年ドイツの侵入にあたり協力内閣を組織。第2次世界大戦後反逆罪で処刑され,「クビスリング」は「裏切者」の同義語となった。

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世界大百科事典(旧版)内のクビスリングの言及

【第2次世界大戦】より

…戦闘の大勢は緒戦で決した。しかしノルウェーの抵抗は強く,クビスリングらの親ナチス派が政権を樹立しえたのは42年春のことであった。このノルウェー戦の敗北をきっかけとしてイギリスのチェンバレンは辞任し,チャーチルが挙国一致政府を指導することになった。…

【ナチス】より

…デンマークでは,30年に〈デンマーク国民社会主義労働者党〉が結成され(指導者はクラウセン),その突撃隊は褐色の制服を着用,ナチスの25ヵ条綱領をほぼ全文,借用した。ノルウェーにおいては,33年5月クビスリングが〈国家統一党〉を創立,反マルクス主義,反ユダヤ主義をとなえ,階級闘争と政党政治の絶滅を強調。42年はじめ,第2次世界大戦中のドイツ軍占領下にクビスリングは首相に就任,また突撃隊の充実に努力した。…

※「クビスリング」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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