イギリスの宗教改革者。ヘンリー8世の離婚問題について国王に有利な提言をし,認められて大陸に派遣され,1533年カンタベリー大主教に任ぜられる。ただちに国王とキャサリンの結婚を無効とし,アン・ブーリンとの結婚を認め,以後トマス・クロムウェルとともに宗教改革を推進した。エドワード6世期に《第1祈禱書》(1549),《第2祈禱書》(1552)を出し,53年には《42ヵ条》(エリザベス1世期に《39ヵ条》に改訂)を著して,英国国教会改革主義の基礎を確立するとともに,ルター派のメランヒトンに改革主義諸教会の統合を提案した。しかしメアリー1世の反宗教改革期には反逆罪で逮捕,異端として破門され,大主教位も剝奪された。一度は教皇権否認などの自説を取り消したが,最後には取消しを撤回して焚刑に処せられた。クランマーは本来,政治的であるよりは,むしろ学者的な聖職者であり,政治的・宗教的な激動期が彼の運命を翻弄したとみてよい。
執筆者:栗山 義信
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1489~1556
イングランド国教会の初代カンタベリ大主教。ケンブリッジ大学に学び,聖職につき,ヘンリ8世の離婚問題で解決策を提示し,国王の信任を得て,宗教改革を推進。エドワード6世の治世には,2種の共通祈祷書ならびに「42の信仰箇条」の制定に尽力して国教会の基礎を固めた。カトリックのメアリ1世の即位とともに罷免され,反逆罪でオクスフォードで火刑に処せられた。
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…1534年,離婚問題をめぐって教皇と対立したヘンリー8世は国王至上法によってみずから英国国教会の最高首長となり,ローマとの関係を断ち切った。ヘンリー自身は教義・礼拝様式上の変更を許さなかったが,エドワード6世の治世下ではクランマーが祈禱書と《42ヵ条の信仰告白》を作成し,教義上はプロテスタント主義を受け入れながら教会政治・礼拝面では中世教会との連続性を維持する教会の基礎を固めた。メアリー1世の時代に一時ローマ教会に復帰した英国国教会は,8年エリザベス1世の登位によって,ふたたびローマより独立した国民教会として確立した。…
…ヘンリー8世の志向する宗教改革は教皇抜きのカトリシズム,あるいは島国カトリシズムといえる。 プロテスタントとして教育されたエドワード6世が1547年王位につくと,摂政サマセット公は〈六ヵ条法〉を撤廃し,聖職者の結婚を認め,49年の礼拝統一法によって第1祈禱書が確定され,52年ノーサンバーランド公支配下ではより改革的な第2祈禱書が出,翌年T.クランマー大主教はプロテスタント的な信仰箇条〈四十二ヵ条〉を出した。 メアリー1世が即位(1553)するとカトリック復帰がおこり,議会はエドワード6世期の諸法律を廃して47年当時へ戻し,さらに54年の議会はヘンリー8世期の反教皇的諸法律を退けて,宗教改革前の状況を回復した。…
…47年ロチェスター主教に選ばれ,50年ロンドン主教に転任。エドワード6世登位後クランマーを助けて宗教改革を推進し,祈禱書,《四十二ヵ条の信仰告白》の作成に加わった。メアリー登位(1553)後,職務を剝奪され,異端宣告を受け,オックスフォードで火刑に処せられた。…
※「クランマー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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