人間を柱や杭にくくりつけ,衆人環視のなかで焼き殺す刑罰。火刑,火焙(ひあぶり),火罪とも。中国では《尚書》に〈焚〉の字がみえ,またローマにおけるキリスト教徒迫害の例もあるように,史実であるか否かはともかく,古代国家の規範意識を確認・強化し,見せしめによる同種犯罪の予防に効果的な刑罰として存在していたことはたしかである。とくにキリスト教においては,〈最後の審判〉後の肉体の復活が信じられていたから,遺体の原形をとどめない焚刑は,長くもっとも重い刑とされてきた。しかし,犠牲すなわち超越的存在への祭儀的供物としての火焙の起源はたいへん古い。
殺される当人にとっては残酷きわまりない話だが,為政者にとって焚刑の行われる空間は,一種大規模なショー,不特定多数の群衆に恐怖,娯楽的要素をまじえてイデオロギーを注入するかっこうの場として利用された。ヨーロッパにおけるその典型例は,異端審問inquisitio hereticae pravitatisと18世紀後半まで続く魔女狩りである。異端を焼き,灰を捨てるのは,もともと同信者に遺物,記念品を残さないためでもあった。異端迫害で著名な〈全スペイン異端審問中央本部〉の初代長官トマス・デ・トルケマダは,在職18年間に約8000人を焚刑に処したと伝える。また魔女狩りの全盛期の1580年代,ドイツのトリールでは約7000人が焼かれ,二つの村が全滅するという悲惨な状況が現出した。また罪人になんらかの告白を公開の場でさせるというのも重要な儀式の一環で,たとえば,1546年8月3日に,異端の書を出版したかどでパリのモベール広場で焚刑(絞首された後焼かれるのと,生きたまま焼かれるのと二通りあり,ドレは前者)に処せられたエティエンヌ・ドレÉtienne Doletは,執行人に強要され,おのが罪業を認め〈……わが書物はくれぐれも注意して読まれよ〉と大声でいったと伝えられる。なお,活版印刷術の普及の後,火焙にされる人間の〈告白〉をパンフレットにつくり上げ,群衆に売りつける商売もあらわれた。ヨーロッパにおける焚刑の終期は確定しえないが,ほぼ18世紀末まで,魔女裁判の消滅と軌を一にすると思われる。
→火焙
執筆者:香内 三郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…火罪(かざい),火刑,焚刑(ふんけい)ともいい,罪人を焼き殺す刑罰。前近代には世界の各地で行われ,とくにヨーロッパにおいて異端,魔女など宗教上の犯罪に科せられた歴史は名高い。…
※「焚刑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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