改訂新版 世界大百科事典 「グアダルーペの聖母」の意味・わかりやすい解説
グアダルーペの聖母 (グアダルーペのせいぼ)
La Virgen de Guadalupe
スペインによるメキシコ征服後まもなく,メキシコ市の北西テペジャクの丘に出現したといわれる聖母。その信仰は初め原住民の間で広まり,その後クリオーリョ(クレオール)層にも浸透して1737年にはメキシコ市の,次いで46年にはヌエバ・エスパニャの守護聖人に宣言された。特に独立戦争の口火を切ったイダルゴ神父がこの聖母像を軍旗にして以来,メキシコ国内の政情と思潮の変転を超えて今もそのナショナリズムと不可分に結びついている。
伝承によれば,1531年12月初旬,当時改宗して日も浅い原住民フアン・ディエゴに聖母が出現,そこに聖堂を建ててほしい旨を司教スマラガに伝えるよう命じた。聖母は季節的にあるはずのないバラの花と,フアンのマントに写した自分の像を司教に見せる証拠として与えた。このマントは現在もグアダルーペ聖堂に保存されている。スマラガがどのような態度で事件にこたえたかは,今日必ずしも明白ではないが,まもなく出現の場には聖堂が建てられてたちまち多くの原住民の信仰の対象となった。
他方,テペジャクがトナンツィンTonantzin(ナワトル語で〈われらの母〉の意)を祀った征服以前からの霊場であることから,聖母出現を〈悪魔の思いつき〉として非難する声は特に修道会の中で強かった。それでも征服者と被征服者の精神的一体化の表れと見なせるグアダルーペ信仰は,時を追って盛んになっていった。ちなみにグアダルーペとはスペインのエストレマドゥラ地方にある同国の聖母信仰の中心地のひとつである。
グアダルーペの聖母はローマ教皇ピウス10世によってラテン・アメリカの守護聖人に(1910),さらにピウス12世によって南・北両アメリカの守護聖人に(1945)宣言された。祝日は12月12日。
執筆者:小林 一宏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報