旧日本陸軍の連隊旗をいう。歩兵・騎兵各連隊の創設に際し天皇より親授されたもので,廃止連隊の軍旗は宮中へ返還された。単なる旗章としてではなく,現人神(あらひとがみ)たる天皇の分身であり,連隊の魂であるとしてこの上もなく神聖なものとして取り扱われた。
1870年(明治3)明治天皇は各藩兵に連隊旗と大隊旗を授与したが,これは当日かぎり使用したもので,後の軍旗とは異なる。74年1月,天皇は日比谷操練場で近衛歩兵第1・第2両連隊に対し軍旗を授与,同年12月太政官布告により,軍旗は全国の歩兵・騎兵・砲兵連隊に授与されることとなった。しかし現実には砲兵連隊には授与されず,騎兵連隊は1940年捜索連隊へ編制がえになり軍旗は廃止された。
軍旗は平素連隊長室の箱に納められて安置し,24時間軍旗衛兵が立哨(りつしよう)護衛した。国の祝日や連隊全部の演習などのときには,連隊旗手が捧持し,5人の旗護兵がこれをまもり,連隊長と行動を共にした。作戦・演習の際は軍旗中隊が指命され,その中隊が軍旗をまもる任務をもった。軍旗は天皇と神社以外に対しては敬礼をしなかった。年に1日軍旗祭といって,その連隊の軍旗授与の記念祭が行われた。その日軍旗は営庭に安置され,神酒・供物が供され,一般民衆にも開放して拝観させ,その日は将兵あげて無礼講の酒宴や余興が行われた。敗戦と同時に大半の軍旗はそれぞれの現地で焼却された。なお,主要国における軍旗については〈旗〉の項を参照されたい。
執筆者:栂 博
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軍隊指揮者の位置を表示し、同時に軍隊団結のシンボルとして掲げる旗。幟(のぼり)、指物(さしもの)などと同じく戦争の歴史とともにある。日本陸軍では1874年(明治7)1月、天皇から近衛(このえ)歩兵第一、第二連隊に親授されたのを初めとし、終戦までに466の歩兵、29の騎兵各連隊に授けられ、連隊旗ともよばれた。歩兵・騎兵連隊とも竿頭(かんとう)に菊花紋章をつけ、三方を紫の房が縁どり、16条の旭光(きょっこう)が描かれている。寸法は、歩兵連隊では縦70センチメートル、横1メートル、騎兵連隊では縦・横60センチメートル。海軍では軍艦旗がこれにあたる。
[寺田近雄]
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[歴史]
ふつう神が勧請されるのは神事の場であるが,別に重要な事件は戦争であった。神はつねには身近に存在せず,招きに応じて現れ,戦いを勝利に導いてくれるものであるから,そのための軍旗が必要であり,平時には不要のものであった。日本の軍旗の源流とみなされるものは,武士が台頭し,源平の二大武士団が対立抗争した12世紀に現れる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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