日本大百科全書(ニッポニカ) 「グリニジ天文台」の意味・わかりやすい解説
グリニジ天文台
ぐりにじてんもんだい
Royal Greenwich Observatory
イギリスの天文台。1675年、国王チャールズ2世の命により、ロンドン郊外グリニジに設立された。初代台長はフラムスティードで、建設当初は、台長と数人の召使いがいるという小さな天文台であった。フラムスティードの星図作成、ハリーの彗星(すいせい)の回帰の発見、ブラッドリーの光行差の発見など、天文学史に残る業績がここから生まれた。さらに子午儀や子午環による精密な天体の位置観測が積み重ねられ、これらの努力が1884年の、グリニジ天文台を世界の子午線の基準とするという決定の要因となった。
20世紀に入り、ロンドンの市街光が明るくなりすぎたため、1946年ごろから約10年をかけて、ロンドンの南方、サセックス州ハーストモンソーに天文台が移された。おもな観測器機としては、口径249センチメートルのアイザック・ニュートン反射望遠鏡をはじめ、90センチメートル反射望遠鏡、子午環、写真天頂筒、太陽写真機などがあり、位置観測や時刻測定の観測ばかりでなく、天体物理学的な観測も積極的に行われるようになった。しかし、この地方もあまり天候がよくないため、1979年にはアイザック・ニュートン反射望遠鏡がアフリカ西海岸スペイン領カナリア諸島のラ・パルマ島に移され、さらに1987年には、同島に口径420センチメートルのハーシェル望遠鏡が設置された。その後、イギリスの天文台の整理統合が行われ、1998年にグリニジ天文台は閉鎖され、所属の望遠鏡は他の機関によって運用されるようになった。
[磯部琇三 2015年5月19日]