ハリー(読み)はりー(英語表記)Edmund Halley

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ハリー」の意味・わかりやすい解説

ハリー
はりー
Edmund Halley
(1656―1742)

イギリスの天文学者。ハリー彗星(すいせい)の認定者。ロンドンの富商の息子として生まれる。数学・天文学に興味をもち、16歳でオックスフォード大学に入学、10代で天体観測術と軌道計算法に熟達、1676年中退してセント・ヘレナ島に遠征した。18か月の滞在期間中に南天351個の恒星位置を決定したうえ、水星の太陽面通過を観測して太陽視差決定法を考案した。1678年帰国後、母校から卒業認定を受け、かつ22歳でロイヤル・ソサイエティー会員に推挙された。1679年『南天恒星目録』を公刊するに及んで、その名声を確立し、1682年大彗星の出現を観測し、その正体究明に打ち込んだ。これが、1456年、1531年、1607年とほぼ76年ごとに回帰する周期彗星であると同定し、その軌道の力学的研究を試みた。この道の先達者ニュートンを訪ねて、楕円(だえん)軌道の可能性を教示された。14歳年長のニュートンとはこの期に知己を得て、師弟の間柄以上の友好を結び、彼の力学原理を出版するよう懇請し、1687年に『プリンキピア』の公刊となった。その際ハリーは執筆の激励、資料の提供、原稿の校読、校正の点検、出版費の負担を果たした。また自らも1705年に『彗星天文学概要』を著述、以後、例の大彗星はハリー彗星とよばれる。そのほか、1693年に月の長年加速を、1718年に恒星の固有運動を発見した。1703年オックスフォード大学教授に就任、1720年グリニジ天文台第2代台長に就任した。

[島村福太郎]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ハリー」の意味・わかりやすい解説

ハリー
Harry(Henry) the Minstrel; Blind Harry

1470~92年頃活躍のスコットランドの盲目の吟遊詩人。 18世紀にいたるまで人気のあった長編詩『ウォレス』 The Acts and Deeds of the Illustrious and Valiant Champion Sir William Wallace,Knight of Elderslieの作者とされている。これはスコットランドの愛国者 W.ウォレスの英雄的な偉業をたたえる約1万 2000行の叙事詩で,チョーサーの影響がみられる。

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