デジタル大辞泉
「グルー」の意味・読み・例文・類語
グルー(Joseph Clark Grew)
[1880~1965]米国の外交官。1932~1941年駐日大使。太平洋戦争開戦まで日米の戦争回避に努力。国務省の親日派として戦後の対日政策立案に尽くした。著「滞日十年」など。
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グルー
- [ 一 ] ( Joseph Clark Grew ジョゼフ=クラーク━ ) アメリカの外交官。一九三二~四一年駐日大使をつとめ対日宥和外交を推進した。著書「滞日十年」。(一八八〇‐一九六五)
- [ 二 ] ( Nehemiah Grew ニイマイア━ ) イギリスの植物学者、医師。花が植物の生殖器官であることを予言し、また植物形態学に顕微解剖法を採用して、細胞説の基礎を築いた。主著は「植物解剖学」。(一六四一‐一七一二)
グルー
- 〘 名詞 〙 ( [英語] glue ) 膠(にかわ)。また、接着剤をいう。
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グルー(Joseph Clark Grew)
ぐるー
Joseph Clark Grew
(1880―1965)
アメリカの外交官。ボストンの生まれ。ハーバード大学卒業後国務省に入る。第一次世界大戦時はベルリン、ウィーンに駐在、休戦後はバーゼル、パリ平和会議に参加する。戦後はデンマーク、スイス公使を経て、中東問題の処理に関与、1927年トルコ大使となる。1932年(昭和7)駐日大使に就任。日米関係険悪化のなか、一部の宮廷勢力、官・財界との接触を深め、対日宥和(ゆうわ)外交を展開した。開戦後は国務長官特別補佐官、極東局長、国務次官(1944年12月~1945年8月)を歴任。省内の「日本派」として天皇制の存続を主張、戦後日本の徹底した民主化に反対するなど、対日戦の処理、占領政策に大きな影響を与えた。主著『滞日十年』(1944)など。
[牧野 裕]
『W・ハインリックス著、麻田貞雄訳『日本外交とグルー』(1969・原書房)』
グルー(Nehemiah Grew)
ぐるー
Nehemiah Grew
(1641―1712)
イギリスの医師。ウォーリックシャーの牧師の子として生まれる。ライデン大学で医学を学び、帰国後、コベントリーで、のちロンドンで開業。医業のかたわら動植物の研究にふけり、一時期フックとともにロイヤル・ソサイエティーの書記を務めた。主著の『植物解剖学』The Anatomy of Plants(1682)は、当時の最高水準のもので、植物各部の縦断面や横断面の顕微鏡観察の成果が、83葉の精密で美しい銅版画で示されている。彼は、植物体はレース状に編まれた繊維によって構成されていると考えた。また、雄しべと雌しべの生殖的役割を初めて明らかにした。
[檜木田辰彦]
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グルー
Joseph Clark Grew
生没年:1880-1965
アメリカの職業外交官。ボストンに生まれる。1902年ハーバード大学卒業。04年外交官生活に入り,18年にはドイツ休戦条約の締結に活躍した。その後,デンマーク,スイス,トルコなどの公使,大使を歴任したあと32年に駐日大使となった。第2次大戦前のアメリカの代表的知日家の一人であり,主著《滞日十年Ten Years in Japan》(1944)は彼の日本観を知るうえで重要である。41年の日米開戦で帰国するが,国務省顧問,極東局長,国務次官をつとめ,ポツダム宣言起草にあたっては,トルーマン大統領に天皇制を残すよう進言した。45年引退。
執筆者:中村 政則
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グルー
Grew, Joseph Clark
[生]1880.5.27. ボストン
[没]1965.5.25. マサチューセッツ,マンチェスター
アメリカの外交官。 1902年ハーバード大学卒業。カイロのアメリカ領事館書記官を振出しに外交官生活に入った。パリ講和会議にはアメリカ代表団の一員として活躍。 20年デンマーク駐在公使,21年スイス駐在公使,27年トルコ駐在大使。 32年日本駐在大使となり,41年日米開戦まで日米関係の平和的打開に努力した。 42年帰国し 44年まで C.ハル国務長官の特別補佐官。 44~45年国務次官。対日終戦工作では天皇制の廃止に反対した。 45年引退。多くの著書があるが,特に『滞日十年』 Ten Years in Japan (1944) は在日中の日記や公文書,私文書などに基づくもので,日米関係史にとって貴重な資料。
グルー
Grew, Nehemiah
[生]1641. ウォリックシャー
[没]1712.3.25. ロンドン
イギリスの植物学者,医者。父は牧師。ケンブリッジ大学卒業後,1671年ライデン大学で医学の学位を取得。故郷で開業したが,のちロンドンに移る。顕微鏡を駆使して植物解剖学の研究を進めた。植物細胞,植物の茎の道管の発見など,同時代の著名な解剖学者 M.マルピーギと業績を分ち合う部分も多いが,マルピーギが動植物の類似性を強調したのに対し,グルーは植物の独自性を追究し,「幼芽」「幼根」といった植物独自の用語もつくりだした。また,葉の裏面に気孔を発見し,空気の取入れ口であると考えた。特に有名なのは主著『植物解剖学』 The Anatomy of Plants (1682) で明らかにされた植物の生殖器官に関する知見である。マルピーギと並んで近代顕微鏡解剖学の祖といわれている。
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グルー
米国の外交官。デンマーク,スイス,トルコの公使・大使を歴任ののち,1932年から駐日大使として対日宥和(ゆうわ)外交に尽力したが,太平洋戦争勃発(ぼっぱつ)のため帰国。のち国務次官としてポツダム宣言の起草に際し,間接統治方式,天皇制存続などをトルーマン大統領に進言した。アメリカの代表的知日家の一人で,著書に《滞日十年》(1944年)がある。
→関連項目野村吉三郎
グルー
英国の医者,植物解剖学者。ケンブリッジおよびライデン大学で医学を修める。ロンドンで開業のかたわら,植物を顕微鏡で観察。当時外形的観察に終わっていた植物形態学に顕微解剖法を導入した功績は大きい。著書《植物解剖学》(1682年)。
グルー
ウガンダの北部の町。標高1100mに位置し,同国北部の行政,交通の中心地。また北部地方で生産される綿花,トウモロコシ,ピーナッツ,ゴマなど農産物の集散地ともなっている。人口13万8946人(2005)。
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グルー
Joseph Clark Grew
1880.5.27~1965.5.25
アメリカの外交官。ハーバード大学卒。デンマーク,スイスの公使を歴任,1924~27年国務次官。32年(昭和7)6月から駐日特命全権大使。日米関係の緊張緩和に努力し,柔軟な対日政策を国務省に進言した。太平洋戦争の勃発後,42年6月に交換船で帰国し,国務長官特別補佐官・極東局長・国務次官・国務長官代理を歴任し,対日処理計画の立案に尽力。日本の降伏直後に官界を引退。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
グルー Grew, Joseph Clark
1880-1965 アメリカの外交官。
1880年5月27日生まれ。国務次官,駐トルコ大使をへて,昭和7年駐日大使。満州事変後の日米関係改善につくすが,日米開戦後の17年帰国。19年国務次官となり,天皇制存続,間接統治など,終戦後の対日政策を進言した。1965年5月25日死去。84歳。ボストン出身。ハーバード大卒。著作に「滞日十年」など。
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グルー
生年月日:1880年5月27日
アメリカの外交官
1965年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報