ケプロン(読み)けぷろん(英語表記)Horace Capron

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ケプロン」の意味・わかりやすい解説

ケプロン
けぷろん
Horace Capron
(1804―1885)

アメリカの農政家。連邦農務省長官(第2代)、退役陸軍少将。開拓使顧問兼教師頭。1871年(明治4)6月、北海道の開拓使十年計画推進のため、開拓使次官黒田清隆(くろだきよたか)の要請に基づき、大統領グラントの推挙で、開拓使顧問として多くの技師を伴って来日。各種の調査にあたり、開拓方針確立のために尽力し、以後の北海道開発方針の基礎をつくった。3年10か月在日したが、帰国に際して残した「ケプロン報文」は彼の献策精髄であり、札幌農学校開設などその献策の多くが実施された。岩倉遣外使節同行の津田梅子ら5少女のアメリカ留学生の派遣も彼の建言による。1885年2月22日ワシントンで82年の生涯を閉じた。

[梅溪 昇 2018年8月21日]

『逢坂信忢著『黒田清隆とホーレス・ケプロン』(1962・北海タイムス社)』『原田一典著『お雇い外国人13 開拓』(1975・鹿島出版会)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ケプロン」の意味・わかりやすい解説

ケプロン
Capron, Horace

[生]1804.8.31. マサチューセッツ,アトルバラ
[没]1885.2.22. ワシントンD.C.
アメリカから来日した北海道開拓使顧問。陸軍士官学校卒業。南北戦争で北軍に属し,陸軍少将で退役,U.グラント政権で農務長官に就任した。あたかも北海道開拓事業の推進を急務と考えていた日本政府から,明治3 (1870) 年,アメリカに派遣された開拓使次官黒田清隆が,ケプロンの来日をグラントに要請。この結果,翌年,開拓使顧問として多数のアメリカ人技術者を伴い着任した。北海道の地形鉱山の綿密な調査,測定,西洋式農業経営の導入,農業教育機関の創設など,総合計画に基づく開発政策を立案,指導し,1875年6月辞任,帰国した。

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