御雇外国人(読み)おやといがいこくじん

精選版 日本国語大辞典 「御雇外国人」の意味・読み・例文・類語

おやとい‐がいこくじん おやとひグヮイコクジン【御雇外国人】

〘名〙 明治初年から大正にかけて、欧米文化を輸入するために、政府、地方官庁、諸学校などで雇った外国人の称。おやとい。
※御雇外国人一覧(1872)「御雇外国人〈姓名 給料 期限 職務〉一覧」

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デジタル大辞泉 「御雇外国人」の意味・読み・例文・類語

おやとい‐がいこくじん〔おやとひグワイコクジン〕【御雇外国人】

明治初期、西洋の技術・学芸を摂取するため、官公庁・学校などで雇った外国人。

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改訂新版 世界大百科事典 「御雇外国人」の意味・わかりやすい解説

御雇外国人 (おやといがいこくじん)

日本近代化過程において,幕府諸藩あるいは明治維新後の文明開化時代に,政府や民間会社などが欧米の先進文化を移入するために,各部門にわたって指導者として雇用した外国人をいう。その部門は,政治,法律,軍事,外交,経済,金融,諸産業,交通,教育,学問,芸術など広範囲にわたっている。御雇外国人のもっとも早いものとしては,幕末期に幕府や薩摩藩近代産業をおこすために,オランダイギリス,フランスから招いた数人の技術者であるが,外国人の雇用は明治政府が富国強兵殖産興業政策をすすめる過程で本格化し,1874-75年ころ頂点に達し,政府雇用者だけで520名を数えた。しかし,政府雇用者はその後しだいに減少し,代わって民間の雇用がふえ,92年に570名に達した。職務別では,政府雇用の場合,技術者と学校教師が圧倒的に多く,とくに政府が工部省を中心に近代工業の移植に積極的な対応をみせていた1870-85年には,技術者が延べ580名にものぼった。このうちイギリス人が450名で77%を占め,ついでフランス,ドイツ,アメリカの順となっている。また教師ではドイツ人がもっとも多く,ついでイギリス,アメリカ,フランスの順となっている。この順序は,明治政府が近代化をすすめるにあたって,鉄道,機械,造幣や銀行,会社などの産業面ではイギリスを第一に模範とし,法律,軍事や学問,芸術ではドイツの学問,制度をもっとも重視したことと関連するものであろう。当時御雇外国人は,日本の近代化に不可欠の頭脳として尊重され,経済的に優遇された。そのため,当時日本の太政大臣の月給800円,大臣の月給600円をこえる手当をもらうものがかなりいた。そして彼らは,祖国を遠くはなれて生活環境の異なる日本にありながら,日本のために誠実に働き,その近代化に貢献した。こうして,日本の近代的社会制度や教育・学芸のめざましい発展が,これら御雇外国人によって導かれた面は大きい。しかし同時に,御雇外国人の雇用にも日本の政治社会状況が反映し,国籍についても時期と部門によって選択がなされた。この結果,部門相互間の技術的・精神的交流が阻害され,後までひずみとなって残った面もある。なお,御雇外国人によって著された当時の日本の記録は歴史的文献として貴重である。
明治時代
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「御雇外国人」の意味・わかりやすい解説

御雇外国人
おやといがいこくじん

日本の近代化に貢献すべく招聘された欧米先進国の専門家たちのことで,広義には日本政府のみならず,日本の民間機関に雇われた人々まで含む。その職種は,政策顧問,教師,技術家などに分類される。活動の時期は安政年間 (1854~60) にさかのぼるが,おもに明治維新以降,1900年頃までが最盛期であった。明治政府の「富国強兵」政策は,ほとんどあらゆる側面で実質的に西洋化政策の実施であり,したがって欧米専門家たちの協力が切望された。他方,欧米列強にとっても,日本の近代化は通商の拡大につながるので,各国政府や駐日現地当局は,意欲的に日本政府の人選依頼に応じた。この結果,政治,法制,軍事,教育,産業技術,財政金融,文化,自然科学,医学など各分野に長じた専門家グループが各国から少くとも 800人以上にのぼり明治政府に続々と雇用された。彼らは,あるいは助言者として憲法制定や重要政策,文書の立案,作成など,国政の枢機にたずさわり,あるいは教育家として東京大学そのほか主要教育機関で各専門分野の学術を指導,開発し,あるいは技術家として産業,工業技術を日本に移植した。彼らのうち,日本政府から大臣・高官並みの俸給を受けた者も少くなかったが,それだけに専門家としての質も平均して高く,日本の近代化を促進させる熱意と使命感も概して強かった。また,彼らのもつ知識,技術は効率よく日本側エリート官僚,学生らにより摂取されたので,日本の西洋化は急激に早まった。反面,彼らの役割があくまで使用人,助言者の域にとどまったので,西洋文明の創造性や本質は,日本に定着しなかった。

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百科事典マイペディア 「御雇外国人」の意味・わかりやすい解説

御雇外国人【おやといがいこくじん】

明治初めの文明開化期,富国強兵殖産興業政策のもとで,西洋の学問・技術の移入,政治・経済上の国内諸制度の整備のために,政府や民間企業が指導者として雇用した外国人。日本の近代化に貢献した。多い時は,政府雇用者だけで500人を超し,いずれも高給で遇した。主として政治・軍事・医学・芸術面はドイツ,鉄道・機械・銀行など産業面はイギリスを模範とし,ドイツ人・イギリス人,次いでアメリカ人が多かった。アメリカ人のモースフェノロサなどは著名。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「御雇外国人」の解説

御雇外国人
おやといがいこくじん

幕末~明治期に,欧米の近代文明や技術を短期間に摂取するため,幕府や藩,明治政府,民間会社などが臨時的に高給で雇い入れた外国人教師。幕末期には,1855年(安政2)長崎海軍伝習所で雇ったオランダ人をはじめ,おもに軍事分野でフランス人やイギリス人などが雇われた。明治期に入ると,政府は近代化政策を推進するため,政府雇外国人を急増させた。74年(明治7)には858人(英433人・仏145人・米94人・独62人など)に達している。この時点では工部省の392人が圧倒的で,文部省は107人,兵部省は142人であった。しかし政府雇外国人の数は同年をピークとして94年には77人にまで急減し,明治20年代で彼らの指導的役割は終わった。一方,私雇外国人は以後も増加を続け,88年に588人,97年には765人を記録している。

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旺文社日本史事典 三訂版 「御雇外国人」の解説

御雇外国人
おやといがいこくじん

明治初年,近代技術・制度移入のため雇用された外国人
明治維新前後,幕府・諸藩が外国人を招いたが,廃藩置県(1871)後は政府・府県・民間団体が引き継いだ。官庁御雇外国人教師は1872年214人,'75年には527人にも達し,日本の近代化に寄与した。

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とっさの日本語便利帳 「御雇外国人」の解説

御雇外国人

明治初期、政治、経済、技術、軍事、教育など広い分野にわたり、知識・技術導入のために政府や民間の機関に雇われた外国人のこと。先進国の知恵、事例に学びつつ、日本社会の現実に応じた制度や運用方式を編み出していく上で欠かせぬ人材だった。

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