日本の近代化過程において,幕府や諸藩あるいは明治維新後の文明開化時代に,政府や民間会社などが欧米の先進文化を移入するために,各部門にわたって指導者として雇用した外国人をいう。その部門は,政治,法律,軍事,外交,経済,金融,諸産業,交通,教育,学問,芸術など広範囲にわたっている。御雇外国人のもっとも早いものとしては,幕末期に幕府や薩摩藩が近代産業をおこすために,オランダ,イギリス,フランスから招いた数人の技術者であるが,外国人の雇用は明治政府が富国強兵・殖産興業政策をすすめる過程で本格化し,1874-75年ころ頂点に達し,政府雇用者だけで520名を数えた。しかし,政府雇用者はその後しだいに減少し,代わって民間の雇用がふえ,92年に570名に達した。職務別では,政府雇用の場合,技術者と学校教師が圧倒的に多く,とくに政府が工部省を中心に近代工業の移植に積極的な対応をみせていた1870-85年には,技術者が延べ580名にものぼった。このうちイギリス人が450名で77%を占め,ついでフランス,ドイツ,アメリカの順となっている。また教師ではドイツ人がもっとも多く,ついでイギリス,アメリカ,フランスの順となっている。この順序は,明治政府が近代化をすすめるにあたって,鉄道,機械,造幣や銀行,会社などの産業面ではイギリスを第一に模範とし,法律,軍事や学問,芸術ではドイツの学問,制度をもっとも重視したことと関連するものであろう。当時御雇外国人は,日本の近代化に不可欠の頭脳として尊重され,経済的に優遇された。そのため,当時日本の太政大臣の月給800円,大臣の月給600円をこえる手当をもらうものがかなりいた。そして彼らは,祖国を遠くはなれて生活環境の異なる日本にありながら,日本のために誠実に働き,その近代化に貢献した。こうして,日本の近代的社会制度や教育・学芸のめざましい発展が,これら御雇外国人によって導かれた面は大きい。しかし同時に,御雇外国人の雇用にも日本の政治社会状況が反映し,国籍についても時期と部門によって選択がなされた。この結果,部門相互間の技術的・精神的交流が阻害され,後までひずみとなって残った面もある。なお,御雇外国人によって著された当時の日本の記録は歴史的文献として貴重である。
→明治時代
執筆者:中村 尚美
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幕末~明治期に,欧米の近代文明や技術を短期間に摂取するため,幕府や藩,明治政府,民間会社などが臨時的に高給で雇い入れた外国人教師。幕末期には,1855年(安政2)長崎海軍伝習所で雇ったオランダ人をはじめ,おもに軍事分野でフランス人やイギリス人などが雇われた。明治期に入ると,政府は近代化政策を推進するため,政府雇外国人を急増させた。74年(明治7)には858人(英433人・仏145人・米94人・独62人など)に達している。この時点では工部省の392人が圧倒的で,文部省は107人,兵部省は142人であった。しかし政府雇外国人の数は同年をピークとして94年には77人にまで急減し,明治20年代で彼らの指導的役割は終わった。一方,私雇外国人は以後も増加を続け,88年に588人,97年には765人を記録している。
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