5~9世紀にかけて,イングランドに渡来・定着したアングロ・サクソン人が形成した小部族王国。東南部のケント(ジュート人が建国),テムズ川下流を占めたエセックス,西部に発展したウェセックス,南部のサセックス(以上サクソン族が建国),東部のイースト・アングリア,中部のマーシア,北部のノーサンブリア(以上アングル族が建国)の7国をいう。これら諸国は先住のブリトン人と戦って征服をすすめる一方,相互の間でも覇権をめぐって抗争し,6世紀末にはエゼルベルフト(エセルバート)王(在位560-616)治下のケントが有力になった。この王のもとではじめてアングロ・サクソン人のキリスト教改宗がすすめられた。次いで7世紀前半にはイースト・アングリアが一時台頭したが,同世紀半ばにはノーサンブリアが強勢を誇り,その王エドウィン(在位617-632)はスコットランドに遠征をおこなった。8世紀にはマーシアが強大となり,とくにその王オファ(在位757-796)は他の諸国に宗主権をふるっただけでなく,ウェールズとの境界に〈オファの防塁〉と呼ばれる長大な土塁を築いてブリトン人を圧迫し,またフランクのカール大帝と対立するなど,大いに威を示した。
9世紀には,マーシアに圧せられていたウェセックスのエグバート王が勢力を増大,829年マーシアを破って七王国に覇をとなえるに至った。しかし8世紀末ごろから海上より略奪活動を開始したバイキング(デーン人)が,9世紀前半より本格的な侵入を開始した。エグバートは一時これを撃破したが,9世紀後半までには,ノーサンブリア,イースト・アングリアおよびマーシアの大半はバイキングの占領下に入った。ウェセックスのアルフレッド大王はアングロ・サクソンを率いてこれと戦い,同世紀末ようやく彼らの侵入をくいとめた。10世紀前半のウェセックス諸王はバイキングに奪われた地を回復,統一イングランド王国を形成したので,七王国の分立もここに解消した。
執筆者:青山 吉信
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グレート・ブリテン島に波状的に侵入してきたアングロ・サクソン諸族は部族国家に分裂していたが,6世紀末頃までに七つの王国にまとまりをみせた。七王国とされるのは,ケント,エセックス,サセックス,ウェセックス,イースト・アングリア,マーシア,ノーサンブリア。こののち9世紀前半にウェセックス国王エグベルトによって統一され,イングランド王国が成立した。
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…イギリス,イングランド東部の歴史的地方名。もとは中世のアングロ・サクソン七王国の一つ,イースト・アングリア王国の支配領域を指し,地名は〈東アングル族〉を意味する。北はウォッシュ湾から南はテムズ河口にまで及び,東は北海,西はフェンランドの低地と接する広大な地域で,現在のノーフォーク州,サフォーク州を中心に,ケンブリッジシャー,エセックス両州の一部をも含む。…
…イギリス,イングランド南部地方の古名。もとは中世のアングロ・サクソン七王国中の一つの王国名で,ほぼ現在のハンプシャー,ワイト島,バークシャー,ウィルトシャー,ドーセット,サマーセット,エーボンの各州にまたがる領域を支配した。地名はウェスト・サクソンWest Saxon族に由来。…
※「七王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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