イタリアの劇作家、詩人。イタリアの先駆的なロマン主義者といわれている。1月16日アスティに生まれる。父はピエモンテの富裕な貴族(伯爵)。誕生後まもなく父を亡くし、9歳のときにトリノの士官学校に送られるが、学校の古くさい教育に嫌気がさし、文学書を読み、詩を愛した。1766年に学校を出ると、イタリア、フランス、イギリス、ドイツ、ロシア、スペイン、ポルトガルと、旅をしてまわった。1772年にトリノに帰り、続く3年間は恋愛と著作のために過ごした。1775年その最初の悲劇『クレオパトラ』を上演し、成功を収めた。イタリアの古典作家たちが用いたトスカナのことばを学ぶためにフィレンツェへ行き、ダンテ、ペトラルカ、アリオスト、タッソなどを読み、数々の作品をイタリア語で書いた。その地でマキャベッリを読み、パッツィの陰謀の主題で悲劇を書くように勧められたが、『専制政治について』という政治論を書いた。
1777年にオルバニーの伯爵夫人ルイザ・ストルバーグと知り合う。それ以後のもっとも多産な時期に、イギリス(1783~1784)とフランス(1787~1792)を旅行。パリで『自伝』を書き始め、自分の悲劇集(19編)の新版を編んだ。そのうち『サウル』と『ミッラ』は、彼の最高傑作である。その地でフランス革命の勃発(ぼっぱつ)に立ち会い、『バスティーユなきパリ』という詩を書いた(1789)。だが革命が暴力と流血の惨事に埋没するのに失望し、批判的になる。1792年ストルバーグ夫人とともにフィレンツェへ戻る。晩年はギリシア語を独習し、ギリシア悲劇やホメロスやアリストファネスなどを読み、風刺詩や喜劇作品を書いた。1803年10月8日没。フィレンツェのサンタ・クローチェ教会に埋葬された。彼の作品はイタリアのロマン主義文学やイタリア民族独立運動に霊感を与えた。
[佐藤三夫]
『Bruno MaierAlfieri (1973, Palumbo Palermo)』▽『Leonello VincentiAlfieri e lo Sturm und Drang e altri saggi di letteratura italiana e tedesca (1966,Olschki Firenze)』
イタリアの悲劇作家。北イタリアの裕福な貴族の家柄の出で,トリノで教育を受けた。その後ヨーロッパ各地を旅行。何一つ不足ない身ながら,偉大なものを求めて自己の存在に対する不安と憂愁とに身を任せる。その点ではロマン派的だが,一方,ボルテール,ルソーらの啓蒙思想の影響も受け,専制君主制に徹底的な反感を示し,文筆活動を通して,外国支配に苦しむイタリアの解放と統一の意識を人々の心に呼び起こした。ただしその貴族的性格から,民衆政治を認めることはできず,フランス大革命の際パリに居合わせたが,初めはバスティーユ奪取を賛美しても,民衆側の行き過ぎが現れると,王制に対するよりさらに激しく反発しフランスを去っている。《反フランス論》があることも見逃せない。自由を求める闘いを描いた作品には《メアリー・スチュアート》《ブルトゥス》《パッツィの陰謀》などがあるが,政治的意図が前面に出て文学的価値は少ない。傑作に数えられるのは《アンティゴーネ》《サウル》《ミーラ》などで,その情熱的な長科白(せりふ)のぶつかり合いの中から劇的な緊張がかもし出されている。悲劇は19編を数え,他に多くの詩作,政治論等がある。恋愛遍歴を重ねた後,1774年オールバニー伯夫人と出会い,一生の恋を得て,以後フィレンツェに住み,生涯を終えた。サンタ・クローチェ教会に葬られている。
執筆者:西本 晃二
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…ゴルドーニが啓蒙主義の流れに身をひたしていたのに反し,ゴッツィは19世紀になって主流を占めることになるロマン主義の先駆者であったといえる。またイタリア最大の悲劇作家V.アルフィエーリが18世紀後半に活躍し,歴史,神話,聖書に材をとった悲劇作品を多く書いた。
[19~20世紀初頭]
ロマン主義の後,自然主義的演劇がヨーロッパでは生まれてくるが,イタリアではこれは〈ベリズモverismo(真実主義)〉と呼ばれた。…
…イタリア語
[啓蒙主義と新古典主義]
〈マリニズモ〉の極端な装飾表現(G.マリーノ)を修正するべく,1690年にアルカディア学会(アルカディア)が創立されてからは,P.メタスタージオが喜劇と悲劇の融合をはかり,メロドラマを創案して《見棄てられたディドーネ》(1724上演)を著し,その影響を受けながらG.パリーニは,啓蒙主義のアルカディア精神とペトラルカの詩をめざす新古典主義のはざまにあって,代表作の長詩《一日》(1801)を発表した。また演劇の分野では,17世紀に仮面や道化の即興劇〈コメディア・デラルテ〉が盛んであったのに続いて,C.ゴルドーニがイタリア喜劇を改革し,C.ゴッツィが民話劇を考案し,V.アルフィエーリが古典に題材を得て荘重な悲劇《サウル》(1782),《ミラ》(1787)などを著した。 18世紀末,フランス革命の余波とナポレオン1世の征略によって,各地に共和制が敷かれ,イタリアは旧体制から新体制へ,またナポレオン失墜からウィーン会議により再び旧体制へと,めまぐるしく政情が移り変わった。…
※「アルフィエーリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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