翻訳|Brasilia
ブラジル連邦共和国の首都。連邦政府所在地で,どの州にも属さない特別な地区としてつくられた連邦区の都心部の名称である。旧首都リオ・デ・ジャネイロから約960km内陸にあり,国土のほぼ中心部に計画的につくられた人工都市。連邦区の形状は,南北6万1650m,東西10万6500mの四辺形で,面積5814km2,国土の0.07%弱に相当する。人口は,遷都当時の1960年14万,68年38万,76年85万,87年168万,95年174万,2005年238万。連邦区の地勢はなだらかな起伏に富み,トカンティンス,サン・フランシスコ,パラナイバなどの諸河川の上流に連なる小川が多い。最高地点は標高1320m。結晶岩の上に砂質土壌がのっており,地下水が豊富である。ところどころに泉があり,乾季にも川の水位は大幅に変動しない。気候は高原性のため温和である。夏(9月から11月)は暑く雨が多く,冬(6,7月)は涼しく乾燥している。南極からの気団により,ときにフリアジェンfriagemという気温の急降下現象が起きる。年平均気温19~20℃,平均湿度80%,年平均雨量1500~2000mm。熱帯雨林の外延部に属し,首都造成以前は中木樹林が散在していた。ところどころに灌木と草地が混在するカンポ・リンポ(カンポ)もある。
ブラジルの首都を沿岸部から国土の中央に移す構想は植民地時代に出現し,19世紀帝政期には,かなり明確になった。ポルトガルによる支配を思い起こさせるものとして,海港都市リオ・デ・ジャネイロは独立国家にふさわしくないと考えられたのである。共和革命(1889)後,連邦制が採用されたが,連邦政府と各州との関係をできるだけ公平良好に保つためと,外敵からの防衛上の見地から,首都の内陸移転論はしだいに支持を集めた。1957年クビチェック大統領の下で新首都建設が決定され,60年彼の任期終了前に遷都が行われた。建築家L.コスタが基本構想を,建物の設計はO.ニーマイヤーが担当した。厳密には,ブラジリアは連邦区の一部であるが,通常は連邦区をも指す名称として用いられている。近郊の農村地区には,西のブラジリア~ベレン道路沿いのブラスランディア,北のブラジリア~アナポリス道路沿いのエンジェニョ・ダス・ラジェス,ブラジリア~フォルタレザ道路沿いのソブラジニョ,南東のパプド,南のブラジリア~ベロ・オリゾンテ道路沿いのサイア・ベリャがある。農村部の土地は,野菜・養鶏用に5~50ha,牧畜,小麦,米,トウモロコシ,フェイジョン(豆),マニオク,バナナなどの大規模栽培用には50~100haを単位として,地価の5~10%に相当する地代で(最初の2年は無償で)長期貸与されている。連邦機関の技術指導がある反面,作物の種類と量にまで規制がある。耕地には水と電気が配分され,共同耕作が行われている。都心部ではしだいに人工都市の特殊な性格が薄れつつある。建設工事の比率が低下する一方,工業,商業,サービス業が定着しつつある。
執筆者:山田 睦男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ブラジルの首都。ブラジル南東部の大西洋岸から約1000キロメートル内陸に建設された計画都市である。陸路では、サン・パウロから1015キロメートル、リオ・デ・ジャネイロから1129キロメートル、また都市の創設と同時に開通したベレン・ブラジリア道路を通じてベレンからは2118キロメートルの距離にある。人口205万1146(2000)。七つの行政地域とともに、面積5822.1平方キロメートルの連邦地区(ディストリート・フェデラルDistrito Federal)を構成している。連邦地区内には中心部から20~50キロメートル圏内に、タグアティンガなど10以上の衛星都市が分布している。トカンティンス、サンフランシスコ、パラナの三大河川の分水界付近、ブラジル高原中央部の標高1100メートルの高所に位置し、年平均気温は20.7℃、気温年較差3℃と比較的しのぎやすい気候下にある。年降水量は1478.1ミリメートルであるが、雨期(10~4月)と乾期(5~9月)が明確に分かれており、周囲にはセラード原野が広がっている。
ブラジルでは、すでに18世紀からブラジル高原中央部に新首都を建設しようとする動きがあり、1891年の第一次共和国憲法にこの方針が明記され検討が続けられてきた。1956年、ジュセリーノ・クビチェック大統領が新首都建設を議会に提案し承認され、都市の基本プランが公募された。当選したルシオ・コスタのプランに基づき翌57年に建設に着手し、60年4月21日、それまでのリオ・デ・ジャネイロにかわる首都として発足した。市街地は、十字架のイメージから導かれた航空機の形にデザインされ、東西、南北二つの軸から構成されている。また、都市内諸機能の空間的分離、人と車の分離など都市設計上の新しい概念にも注意が払われている。
東方、パラノア川をせき止めた人造湖に向いた航空機の胴体部にあたる東西軸には、国会議事堂、大統領府、最高裁判所が集まる三権広場に始まり、モヌメンタル大通りに沿って東から西へ、政府官庁群、教会、国立劇場と銀行地区、ショッピング・センターとバス・ターミナル、商業地区、ホテル地区、マスコミ施設(テレビ局など)、スポーツ施設、地方行政機関、軍事施設、軽工業地区が並んでいる。建築家オスカー・ニーマイヤーの設計による斬新(ざんしん)なデザインの建物が多い。一方、弓なりに湾曲した翼の部分にあたる南北軸には、平行に走る大小7本の道路に沿って集合住宅群が配置されている。この都市は1987年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[松本栄次]
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クビシェッキ政権時代(1956~61年)に建設され,1960年4月21日にリオ・デ・ジャネイロから遷都したブラジル連邦共和国の首都。都市計画はルシオ・コスタ。建物の設計はオスカル・ニーマイヤーが行った。リオから北西約960kmの内陸にある。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…55年の大統領選挙では,バルガスの創立した社会民主党(PSD)とブラジル労働党(PTB)の支持を受けて当選した。就任後新首都ブラジリアの建設に着手し,60年リオ・デ・ジャネイロからの遷都を実現した。〈50年の進歩を5年で〉というスローガンの下に,道路,水力発電所などの産業基盤の整備と造船,自動車,製鉄などの基幹産業の育成確立に努め,また,北東部の地域開発機関SUDENEを創設するなどの業績があったが,インフレを悪化させた。…
…1936年ル・コルビュジエをブラジルに招き,彼の基本構想のもとにO.ニーマイヤーらの若手建築家を文部省建設プロジェクトに参加させる。50年からの新首都ブラジリア建設の主任建築監督としてマスタープランを作成した。【加藤 薫】。…
※「ブラジリア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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