コトシュ(その他表記)Kotosh

デジタル大辞泉 「コトシュ」の意味・読み・例文・類語

コトシュ(Kotosh)

ペルー中部の都市ワヌコ西郊にある遺跡。1960年代日本の調査団によって大規模な発掘調査が行われ、紀元前2000年頃のものとされる神殿をはじめ、十数層の遺構が見つかった。最古の遺跡はミト文化と命名され、のちのコトシュ文化・チャビン文化に続いたと考えられている。

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改訂新版 世界大百科事典 「コトシュ」の意味・わかりやすい解説

コトシュ
Kotosh

ペルー中部山岳地帯のワヌコ市西方5kmにある古代遺跡。ワヤガ川に注ぐイゲーラス河畔の台地上にひろがる大規模な建造物遺構群である。標高約2000m。四周の環境は長雨雨季と高温乾燥の乾季に分かれ,マゲイ(リュウゼツラン)とエスポストア(サボテン)の点在する荒地で,川に沿うわずかな緑地に農業が行われる。遺跡の中心をなすコトシュ(ケチュア語で〈石の小山〉の意)は径約100m,高さ14mを超え,十数層にわたる生活遺構が認められ,構築,修復,廃絶を繰り返す7文化期が知られる。最も重要なものは最下層土器を伴わない神殿遺構群で,階段で結ばれるテラスに独立して建てられ,なかでもシンボリックな〈交差した手〉の男女対のレリーフ壁龕(へきがん)に飾った9m×9m×2mの主神殿はミト文化と命名され,すでに世界に知られている。中央アンデス文化史上で,三つの節目をなすチャビンティアワナコ,インカの3文化の最初であるチャビン文化(前900年ころ)の生成に関連して,ペルー考古学の父J.C.テーヨはすでにコトシュ遺跡の重要性を説いていたが,泉靖一を団長とする東京大学アンデス地帯学術調査団は1960,63年の2回,大規模発掘調査を行い,予測を実証するとともに先行する無土器神殿文化(ミト文化)の存在を新しく確認した。この新知見はアンデス文明の起源を解明するうえで欠かすことのできない重要なものとなっている。
チャビン文化 →ティアワナコ文化
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「コトシュ」の意味・わかりやすい解説

コトシュ
ことしゅ
Kotosh

ペルー北高地、ワヤガ川上流イゲーラス川の右岸にある遺跡。ワヌコ市の西約1キロメートルの地点にあり、標高約2000メートル。1960年から3回にわたり、東京大学学術調査団によって発掘された。もっとも古い無土器層に対応する時代はミト期とよばれ、中央アンデスで最古の神殿の一つである「交差した手の神殿」「小ニッチの神殿」がこれに属する。年代は紀元前2000年前後とされ、それに続いて、特徴ある熱帯林文化系の土器をもったワイラヒルカ期がくる。その後コトシュ期を経て、チャビン期に至り、さらにサハラパタ期、イゲーラス期と続くが、紀元後になると文化の発展は停滞する。現在、無土器時代の神殿が保存されているが、管理がよくないため荒廃している。

[増田義郎]

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百科事典マイペディア 「コトシュ」の意味・わかりやすい解説

コトシュ

ペルーのアンデス山脈東斜面に位置する前2000年ころの遺跡。コトシュはケチュア語で〈石の小山〉の意。石造建築が廃墟となって高さ14m,径100mを超える丘状を呈している。最下層から発掘された交差した手の浮彫のある神殿はチャビン文化より古い時代のもので,アンデス文明の起源解明に重要な意義をもつ。

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世界大百科事典(旧版)内のコトシュの言及

【アンデス文明】より

…前2500年をすぎるとワタを栽培し,綿糸や綿布の製作もはじまった。山間部でも定住生活の方向が進み,前2千年紀初頭にはコトシュにみるように石造の神殿建築も現れる。形成期(前1800‐西暦紀元前後)の前期には土器や綿織物が普及し,中期(前1100‐前500)にはトウモロコシ,マニオク,ラッカセイなどが,灌漑設備をもつ畑で栽培され,標高4000mをこえる高原ではラマが家畜化され,アンデス地帯は食糧生産を生業の柱とするようになった。…

※「コトシュ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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