改訂新版 世界大百科事典 「石造建築」の意味・わかりやすい解説
石造建築 (せきぞうけんちく)
石塊あるいは石材を積んで築いた壁をもつ建築をいう。また,煉瓦壁の表面のみに石材を積んだ壁をもつ建物も,一般に石造と呼んでおり,16世紀以降の石造建築の大半はこの種のものである。
石造建築がつくられる理由は二つある。第1に,石以外に適当な建築材料がわずかしか入手できない地方では,付近から採集した石塊や石片を積んで原始的な家をつくることが古くから行われていた。また第2に,建築をりっぱに,かつ耐久性のあるものにするため,石材を用いることは,適当な建築用石材が入手できるほとんどすべての文明圏で行われてきた。たとえば,インドでは前2世紀ころから木造から石造への移行が認められ,ストゥーパや石窟仏教寺院の建造がさかんになるが,本格的な石造建築が発展するのは,7世紀以降のヒンドゥー教およびジャイナ教の建築からで,雄大魁偉なシカラ,複雑精妙な彫刻装飾を特色としている(ヒンドゥー教美術,寺院建築)。またメキシコおよび中央アメリカのマヤ文明では,4世紀から9世紀まで,壮大なピラミッド神殿を含む多数の石造建築が建てられ,12~15世紀のアステカ文明も類似のピラミッド型石造神殿を発展させた。建築用石材として用いられる石は,主として石灰岩,砂岩,凝灰岩,花コウ岩で,まれに安山岩なども用いられる。大理石は,とくに上質で緻密・美麗な各種の熱変成をうけた石灰岩の呼称であり,古来最高の建築用石材とみなされた。〈大理石および石〉というように,他の石材から区別されて,別格扱いされてきている。
西洋
最古の石造建造物は,エジプトのサッカラにある第3王朝のジェセル王の階段ピラミッドとその付属建造物(前2600ころ)で,それまでの日乾煉瓦造の建築からの飛躍的な発展を示している。著名なギーザの第4王朝のピラミッド群(前2500ころ),とくにクフ王の大ピラミッドは,今日から見ても驚嘆すべき施工精度でつくられ,以後のエジプト神殿とともに,きわめて耐久力に富んだ巨石建造物の典型といえよう。エジプト神殿の石造建築としての特色は,壁体はもちろん,柱,梁,天井(屋根)に至るまで,建物の全部分に石材が一貫して用いられていることで,後世では,このような建造法はむしろ特殊な例となる。すなわち,石造建築といっても,主として壁や柱の部分のみのことで,床や天井や屋根の小屋組みは,ほとんどすべて木材でつくられるのが通例だったからである。
ギリシア人は,はじめ日乾煉瓦と木材で建てていたが,前7世紀末ごろから石造の神殿を建てはじめるようになった。通例は多孔質の醜い石材でつくられたので,表面に大理石粉を混ぜたしっくいを塗り,彩色して仕上げた。しかしアテナイとその近傍では,前5世紀の中ごろから採掘されるようになった良質の白色大理石を用いて,総大理石造の神殿を建てるようになった。著名なアテナイのアクロポリスの建築群(前5世紀後半)は,そのような特例である。
古代ローマでは,共和政時代にはほぼギリシアと同様な建て方をしていたが,前1世紀ごろから,石,煉瓦,コンクリートなどを複合して建てるようになり,煉瓦壁に大理石を張る工法が普及し,神殿以外の建築はおおむねこの方法で建てられ,ときには神殿建築の一部分にも応用された。
古代建築では,石材の接合にはモルタルを用いず,鉄や青銅の千切(ちぎり),鎹(かすがい)を鉛で固定する方法がとられたが,中世の建築では,石材の寸法が小さくなるにともない,千切や鎹を用いず,石灰モルタルで接着した。厚い壁は二重壁にし,中間の空隙には粗石コンクリートを充てんした。中世の代表的な石造建築である大聖堂建築では,木造の天井を石造のボールト(丸天井)につくり換える技術が熱心に研究され,後期ゴシック期には,石造技術の極致というべき精妙な技巧に到達した。
ルネサンス・バロックの建築では,石造建築の基本は再びローマ風の各種材料の複合に戻り,煉瓦造の軀体に石材を化粧張りする方法が一般的となった。また,しっくい細工(スタッコ)で塗り上げて,表面仕上げによって石造に見せかけるという技巧も高度に発達した。また,煉瓦造建築の普及にともない,壁面は煉瓦壁を露出させ,戸口や窓や軒回りのみを石材でつくる方法も一般化したが,これらは通例煉瓦造と呼び,石造の部類には入れない。近代に入ってからは,鉄骨造や鉄筋コンクリート造の出現により,材料の複合がさらに複雑化されたので,純粋な石造か,ルネサンス・バロック式の石造でないかぎり,たとえ表面がすべて石材で張られていても,石造とは呼ばなくなった。
日本
日本では古墳時代後期に,大陸から横穴式石室が伝えられ,石舞台古墳のように巨大な石材を用いたものや,束明神古墳のような整備された切石積みのもの,また石材を持送りで積んでボールトを模したものなどがつくられた。しかしアーチ,ボールト共に形態は伝わったものの,建築技術としては江戸時代まで伝えられず,ひんぱんな大地震ともあいまって古墳石室のほかは仏堂の基壇,灯籠などを石材で築くにとどまった。しかし,鎌倉時代に石材に対する関心が高まり,石造の神祠,仏龕や,十三重石塔・五輪塔などのような簡易な石塔が多数つくられた。江戸時代には,中国から石造技術が伝わり,九州地方を中心に黄檗系寺院の門や橋梁の建造にアーチが用いられている。また長崎などの港町には石造の倉が建てられた。明治以降,西洋建築を模して,木骨造石張り,煉瓦造石張りの建物が試みられ,明治30年ころには,耐震補強を施した石造建築の技術が一応完成された。しかし,鉄筋コンクリート造の発展,近代建築運動の影響,関東大震災の被害経験により,煉瓦造石張りの建築を放棄したため,現在では,石材はもっぱら鉄骨鉄筋コンクリート造建築の内外装材としてのみ用いられている。
→石垣 →石工 →石積み
執筆者:桐敷 真次郎
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