コロコトロニス(読み)ころことろにす(英語表記)Theodoros Kolokotronis

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コロコトロニス」の意味・わかりやすい解説

コロコトロニス
Kolokotoronis, Theodoros

[生]1770. メッセニア
[没]1843.2.15. アテネ
ペロポネソス半島生れのギリシアの軍事指導者。秘密結社「フィリキ・エテリア」の一員。 1805~06年オスマン帝国の攻撃を受けた際にイオニア諸島へ渡り,イギリスの召集軍隊に勤務し,軍事経験を積む。 1822年8月にはドラマリス・パシャに勝利するが,同年1月にエピダウロスで設立された国民議会政府に反抗したために 24~25年に投獄される。解放後も数々の軍事的勝利を収める。のちのカポジストリアスの政府では親ロシア派の指導者となる。オソンの摂政政治期に政府と対立し,投獄,死刑宣告されるが執行猶予となる。晩年回想録を口述筆記,ギリシア語と英語で出版された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「コロコトロニス」の意味・わかりやすい解説

コロコトロニス
ころことろにす
Theodoros Kolokotronis
(1770―1843)

ギリシア独立戦争の猛将モレア(ペロポネソス半島)の指導的クレフテス匪賊(ひぞく))としてトルコの支配に反抗。イオニア諸島に亡命中イギリス軍隊の経験をもち、1821年1月マニ地方に戻り、3月23日(旧暦カラマタを占領してギリシア本土蜂起(ほうき)の戦端を開いた。以後ペロポネソス長老会の路線で軍事の才能を発揮したが、新政府の統一を乱し、24年には内戦を誘発させた。大統領カポディストリアス暗殺後、臨時政府の三人委員の一員であったが、反政府的行動をとって死刑の宣告を受け、のち赦(ゆる)されてアテネで余生を送った。

[馬場恵二]

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