ロシアの女性運動家、作家、外交官。ロシア帝国陸軍の将軍の娘として生まれるが、革命運動に関心を寄せ、離婚してスイスに留学。チューリヒ大学卒業後、社会民主党に入って活躍し、1915年ボリシェビキ派(共産党)に転じ、革命後、福祉人民委員、党婦人部長などの要職につき、1923年から世界最初の女性大使としてノルウェー、メキシコ、スウェーデンに駐在した。数か国語に精通した雄弁家として人気を博し、多くの著作を発表して女性解放運動の理念と実践に足跡を残している。「赤い恋」(原題「ワシリーサ・マルイギナ」)「三代の恋」「姉妹」からなる小説集『働き蜂(ばち)の恋』(1923)や、長編小説『偉大な恋』(1927)を通して、「性的欲望や恋愛の満足は、一杯の水を飲むようなものだ」といって性の自由を説く「水一杯理論」が、俗に「コロンタイズム」とよばれて世界に広まった。野上弥生子(やえこ)の『真知子(まちこ)』で知られるように、日本でも昭和初期の左翼運動のなかで「赤い恋」のことばが流行した。
[中本信幸]
『高山旭訳『働き蜂の恋』(1969・現代思潮社)』▽『A・M・イトキナ著、中山一郎訳『革命家・雄弁家・外交官 ロシア革命に生きたコロンタイ』(1971・大月書店)』▽『杉山秀子著『コロンタイと日本』(2001・新樹社)』
ロシアの女性革命家,外交官。ポーランド人将軍の娘としてペテルブルグに生まれ,自由主義的家庭教育をうける。21歳で結婚し,一児を生んだが,女子工場労働者の惨状を見て衝撃をうけ,1898年チューリヒに留学,社会民主主義者となった。文筆活動に従事し,《婦人問題の社会的基礎》(1909)はロシアにおけるマルクス主義的女性解放論の代表作。女性の自立を求めるコロンタイは政治活動でも自主性を貫き,1905年革命時はメンシェビキ,08年亡命後は第二インターで活動したが,第1次大戦中レーニン派に転じ,17年レーニンの〈四月テーゼ〉を最初にただ一人支持した。その知性と美貌,天性の弁舌に恵まれた自由な女コロンタイの人気は高く,十月革命後ソビエト政府の国家保護人民委員となった。しかしブレスト講和に反対して辞任,21年には〈労働者反対派〉の中心人物となり党から除名された。一方革命後妊娠中絶法の確立など母子保護や女性解放のために尽力し,結婚義務登録制廃止,性の解放,家事と育児の社会的共同化など大胆な変革を主張した。小説《赤い恋》(1923)は世界的に有名。23-45年は世界初の女性大使として外交官生活を送った。
執筆者:和田 あき子
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1872~1952
ロシアの女性革命家,外交官。ポーランド人将軍の娘。結婚後,社会の現実にめざめ,革命運動へ入り女性解放の理論家となる。十月革命後,国家保護人民委員。女性解放,母子保護のために活躍し,小説『赤い恋』(1923年)を書く。1923年からノルウェー,スウェーデン大使。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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