コンスタンツァ(読み)こんすたんつぁ(英語表記)Constanţa

日本大百科全書(ニッポニカ) 「コンスタンツァ」の意味・わかりやすい解説

コンスタンツァ
こんすたんつぁ
Constanţa

ルーマニア南東部、コンスタンツァ県の県都。人口31万0526(2002)。黒海西岸に位置する同国最大の港湾都市。背後のカラス渓谷には、1984年にドナウ川右岸のチェルナボーダと黒海沿岸でコンスタンツァ南郊のアジジェアを結ぶ64.2キロメートルの運河が完成し、ドナウ航路が約400キロメートル短縮された(ドナウ・黒海運河)。機械、造船パルプ製紙、金属工業が発達する。黒海西岸沿いのママイア、エホリア、ナボダリ、マンガリアなど「黒海の真珠群」とよばれる保養地群を行政区域にもつ。紀元前6世紀にギリシアの植民地として建設され、トミスTomisとよばれた。その後、4世紀に、ローマのコンスタンティヌス帝のとき、ジェノバ人が移住してコンスタンティアナConstantianaとなった。15世紀以降オスマン帝国の支配下となり、キュステンジュKüstenceとよばれたが、町はさびれた。1878年のルーマニア独立後は港湾都市として急速に発展した。ローマ人の残した3、4世紀の遺跡が多い。

[佐々田誠之助]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コンスタンツァ」の意味・わかりやすい解説

コンスタンツァ
Constanţa

古代名トミス Tomis。ルーマニア南東端,コンスタンツァ県 (面積 7055km2。人口 74万 8000〈1992推計〉) の県都。黒海にのぞむルーマニアの主要港で,県と同格の特別都市。前7世紀にギリシア人の植民都市として建設された。ローマの詩人オウィディウスの流刑地 (9~17) として有名。町は4世紀ローマ皇帝コンスタンチヌス1世によって大幅に改造され,コンスタンチアナと改称トルコの治政下では衰退し,一漁村となったが,ルーマニア領となった 19世紀末に商港として復活し,20世紀に近代的な貿易港となり面目を一新した。北西約 220kmの石油工業の中心地プロイエシュチとの間にパイプラインが敷設され,ブカレストと鉄道,道路,空路によって結ばれている。石油,機械,農産物を輸出。造船,石油化学,パルプ,製紙,食品工業の一中心地。ギリシア・ローマ時代の発掘品が多い考古学博物館や水族館,劇場があり,郊外にはママイア,エフォリエ,マンガリアなど,国際的な海岸保養地が多い。人口 35万 476 (1992推計) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

マイナ保険証

マイナンバーカードを健康保険証として利用できるようにしたもの。マイナポータルなどで利用登録が必要。令和3年(2021)10月から本格運用開始。マイナンバー保険証。マイナンバーカード健康保険証。...

マイナ保険証の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android