黒海沿岸にあるルーマニアの港湾都市で,同名県の県都。人口30万6860(2005)。標高31m,年平均気温11.3℃,平均年降水量385mm。ギリシア時代にはトミスTomis,トミTomi,ローマ・ビザンティン時代にはコンスタンティアナConstantiana,オスマン・トルコ時代にはキュステンジェKüstenceと呼ばれていた。伝説では,ギリシア時代の英雄トモスが小アジアから移住し,トミスの基礎を造ったといわれる。前6世紀,小アジアから多数のギリシア人が移住してきた。記録によれば,トミスの北にあったヒストリアが土砂の堆積で港の機能を失ったので,ここが開発され,黒海で屈指の港になった。前1世紀以後ローマの支配下に入り,コンスタンティヌス帝のとき多数のローマ人が移住した。つづくビザンティン時代もひきつづき繁栄した。ビザンティン帝国崩壊とともに,一時ジェノバ商人の活動拠点になった。15世紀以降オスマン・トルコの支配するところとなったが,この時代には町はさびれる一方で,1856年にはわずか2000人程度の町になった。77年,ルーマニア独立戦争のとき,コンスタンツァを含むドブロジャ地方はルーマニアと統一され,以後,港湾都市として急速に発展した。現在,輸出入貨物量の半分以上を占めるルーマニア最大の港である。行政区域は広く,黒海沿岸沿いのママイアMamaia,エホリエ,マンガリア,ナボダリ,テキルギオールなど,ルーマニアの誇る〈黒海の真珠〉と呼ばれる保養地群をかかえている。ヨーロッパ各地から海水浴客が集まる。コンスタンツァ南郊のアジジェアと背後のカラス渓谷を経て,ドナウ川のチェルナボーダCernavodǎとの間に1984年運河が開通すると,黒海とルーマニア平原とが直接結ばれる。機械工業をはじめ,造船,パルプ・製紙,食品などの工業が発達する。ローマ時代のモザイク模様の床をもつ建物をはじめ,3~4世紀の建造物が多数残る。
執筆者:佐々田 誠之助
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ルーマニア南東部、コンスタンツァ県の県都。人口31万0526(2002)。黒海西岸に位置する同国最大の港湾都市。背後のカラス渓谷には、1984年にドナウ川右岸のチェルナボーダと黒海沿岸でコンスタンツァ南郊のアジジェアを結ぶ64.2キロメートルの運河が完成し、ドナウ航路が約400キロメートル短縮された(ドナウ・黒海運河)。機械、造船、パルプ、製紙、金属工業が発達する。黒海西岸沿いのママイア、エホリア、ナボダリ、マンガリアなど「黒海の真珠群」とよばれる保養地群を行政区域にもつ。紀元前6世紀にギリシアの植民地として建設され、トミスTomisとよばれた。その後、4世紀に、ローマのコンスタンティヌス帝のとき、ジェノバ人が移住してコンスタンティアナConstantianaとなった。15世紀以降オスマン帝国の支配下となり、キュステンジュKüstenceとよばれたが、町はさびれた。1878年のルーマニア独立後は港湾都市として急速に発展した。ローマ人の残した3、4世紀の遺跡が多い。
[佐々田誠之助]
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…ティサ川,サバ川など大支流合流後のドナウ川は3~5月にピークが出現するものの,年間を通じて豊富な流量を維持することができ,内陸運河としての条件を備えている。ルーマニア第1の貿易港で黒海に臨むコンスタンツァから,西に延びてドナウ川に至る運河が1984年開通した。またチェコ東部で支流のモラバ川とバルト海へ注ぐオーデル川を結ぶドナウ・オーデル運河が計画され,ドイツ南部でマイン川を介してライン川と結ぶライン・マイン・ドナウ運河は92年に完成した。…
※「コンスタンツァ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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