古代ローマの詩人。中部イタリアの町スルモ(現スルモナ)の富裕な騎士階級の家に生まれる。カエサルが暗殺された翌年である。一つ違いの兄とともに修学のために早くからローマに送られ、法律や修辞学を学んだ。このころのローマはすでにアウグストゥスの天下統一によって苦しい内乱の時代を終え、未曽有(みぞう)の平和と繁栄を迎えようとしていた。彼はここで当代の優れた修辞学者たちについて学んだが、とりわけ、華麗な技巧をもって聞こえるアジアニズム派の代表者アウレリウス・フスクスから少なからぬ影響を受けた。彼の詩作の天分はすでに著しく、後年の述懐によれば、議会や法廷向きの演説を書こうとしても、「ことばはひとりでに詩になった」という。しかし、息子に世間並みの出世の夢を託する父の期待を裏切るわけにもいかず(勤勉な兄は若くして他界した)、勉学のコースを完成するためさらにアテネに留学したが、その帰途、若い詩人アエミリウス・マケルとともに小アジアからシチリア島にかけて長途の旅を試みた。
帰国後、予定どおり法曹の道に進み、一、二の公職にもついたが、このような堅苦しい職業はもとより肌にあわず、早くから当時の有力な文芸のパトロン、メッサラ・コルウィヌスを中心とする詩人たちのサークルに加わり、その指導的地位にあったティブルスをはじめ多くの若い詩人たちと交わり、華やかな社交界にも出入りした。彼の詩作活動はまず、当時流行のエレゲイア調恋愛詩の分野で華々しく開花し、架空の恋人コリンナに寄せる恋情を軽妙に歌った『恋の歌』Amoresが出世作となった。ついで、神話伝説で名高いヒロインたちが恋人や夫にあてた手紙という奇抜な趣向で、女性の恋愛心理を巧みに描いた『名婦の書簡』Heroidesで人気を博した。しかしその後に書かれ、彼の恋愛詩の代表作となった『アルス・アマトリア』(愛の技術)は彼の名声を高めると同時に、風俗紊乱(びんらん)の書として一部のひんしゅくを買うことにもなった。このジャンルの作としてはほかに『女の化粧法』De Medicamine Faciei Femineae(一部のみ残存)、前記『アルス・アマトリア』の解毒剤的続編『愛の療法』Remedia Amorisがある。
その後、恋愛詩と決別した詩人は長編の物語詩の制作に意欲を燃やし、大作『転身譜』Metamorphoses15巻をほぼ完成、さらにアウグストゥス帝に献呈の予定で、ローマの古伝承や宗教的行事を題材とした『祭暦』Fastiを制作中の紀元後8年、突然その皇帝から黒海沿岸のトミス(現ルーマニアのコンスタンツァ)へ追放を命じられた。首都ローマでの華やかな社交と安楽に浸ってきた詩人にとって、追放地での生活はこのうえもなく悲惨であった。しかし、幾度となく繰り返された愁訴嘆願もかいなく、10年をこの地で過ごして没した。この間に書かれたものでは、故国の知己や有力者にあてた『嘆きの歌』Tristia、『黒海便り』Ex Pontoなどが伝存し、詩人の生伝を知るうえでも貴重な資料となっている。
[松本克己]
『オウィディウス著『転身物語』(1981・人文書院)』▽『オウィディウス著『恋の技法』(1995・平凡社)』▽『オウィディウス著『悲しみの歌/黒海からの手紙』(1998・京都大学学術出版会)』▽『オウィディウス著『変身物語』上下巻(岩波文庫)』
古代ローマの詩人。中部イタリアのスルモ(現,スルモナ)の生れ。ローマで学び,アテナイに留学して政治家になるための素養を身につけ,雄弁の才は抜群であったが,詩的天分を自覚して詩人になった。文学サロンで初めて自作を朗読したときから好評で,たちまち社交界の寵児になり,次々に新作を発表した。
最初の詩集《恋の歌》3巻は,さまざまなテーマの詩から成るが,中心はティブルスやプロペルティウスから継承した恋愛エレゲイア詩で,コリンナに対する彼の恋を歌ったものが多い。しかし先輩たちの強烈な感情に代わって,やや冷めたアイロニーが見られ,体験の詩であるよりは,想像と修辞の産物である。続く《名婦の書簡》は,神話の有名な女性たちの名による恋文で,修辞のみならず,優れた心理分析と性格描写の才を示した。恋愛詩の最後は,美顔術と化粧法を説く《女の顔の手入れについて》,恋人を獲得するための技法を教える《アルス・アマトリア》3巻,およびその逆の忠告をする《恋の治療法》の3編で,これらは教訓詩のパロディである。詩人は今や〈恋の教師〉となった。
円熟期の彼は,ギリシア,ローマ,オリエントの神話と歴史伝説から,人間が動植物や星に変わる物語を集めて,これを宇宙生成からアウグストゥス神化の予言に至るまで,時代順に,しかも切れ目なくつなぎ合わせた叙事詩《転身物語》15巻に取り組み,並行して,ローマの祭日と祭礼を,それに関係のある神話伝説とともに,暦の順に説明する縁起物語風の《祭暦》(予定では12巻)の執筆を始めた。しかし《転身物語》の初稿を完了し,《祭暦》の6巻まで脱稿したところで,紀元後8年,アウグストゥスによりトミス(現,ルーマニアのコンスタンツァ)への追放を言い渡された。真の理由は不明であるが,《アルス・アマトリア》などの〈淫乱な〉内容が当局の風紀政策に触れたことが一因であろう。文明の中心から荒涼とした辺境に移された詩人は,ひたすら帰国を願い,悲嘆と切望に満ちた懇願と弁明の詩を書いては,皇帝と有力者と友人たちと妻に送り続けた。《悲歌》5巻と《黒海からの手紙》4巻は,それらの詩から成る。しかしついに帰国を許されなかった。
このような晩年の不幸にもかかわらず,陽気で軽く,遊戯的で優雅で,機知とアイロニーに富んだ彼の詩は,ホラティウス亡きあとのローマで最高の人気を博し,愛読され続けた。とくに,ギリシア神話を生き返らせ,人間化した功績によって,中世にはウェルギリウスと並び称され,神話学の師として研究,模倣された。近世以後にも計り知れぬ影響を与え,アリオスト,シェークスピア,ゲーテ,グリルパルツァーなどの詩人によって応用されただけでなく,ミケランジェロ,ティツィアーノ,ラファエロ,コレッジョ,ルーベンス,ベルニーニ,レンブラントなど無数の画家や彫刻家に題材を提供した。
執筆者:中山 恒夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
前43~後17?
古代ローマのアウグストゥス時代の詩人。軽妙な作品でローマ社交界の寵児となったが,アウグストゥスによって追放され黒海沿岸のトミスで客死した。主な作品は『アルス・アマトリア』『変身物語』『祭暦』『悲歌』など。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…ローマの詩人オウィディウスによって西暦元年ころ作られた作品で〈恋愛術〉を意味する。エレゲイアの詩形による3巻,計2330行から成り立ち,最初の2巻は男性を対象として書かれ,その反響にこたえて第3巻が女性に向けて書かれた。…
…先述の経緯で,ローマの作家も資料として無視しえない。ウェルギリウス,ホラティウスの作品,とくに,オウィディウスの《転身物語》はローマ的変質も大きいが,後に及ぼした影響も大きい。また中世ビザンティン時代の学者によりなされた,古代の書物の要約,抜粋も重要な資料となる。…
…さらに下って2世紀に活躍した天文学者プトレマイオスはその著作《アルマゲスト》の第7,第8の2巻を星表とし,ここに48星座を記録している。またローマの詩人オウィディウスは叙事詩《転身物語》でギリシア神話の神々や英雄の物語を述べているが,今日語りつがれている星座の神話はこの著作に負うところが多い。 《アルマゲスト》のギリシア語写本はイスラム文化圏に渡り,9世紀にアラビア語への翻訳が行われ,このアラビア語版が中世世界に流布した。…
…ローマの恋愛詩人オウィディウスが残した唯一の叙事詩。全15巻。…
…ローマの農業論は大カトー,ウァロなどの詳記するところとなっているが,農事暦そのものを枠組みにした文学作品は伝わっていない。ウェルギリウスの《農耕詩》には暦についてはわずかな言及が含まれているにすぎず,オウィディウスの《祭暦》も神話,伝説の宝庫ではあるものの農事とはかかわりが薄い。【久保 正彰】
[近世]
ヨーロッパの農事暦は地理上の位置の南・北,農耕・牧畜地域の相違などでかなり異なるが,以下,16世紀ごろまでのイングランドを中心にその概略を記す。…
…だが,死後も学者としてその名を広く知られ,後2世紀に編まれた天文学事典および神話学事典には編者として彼の名が冠せられた。詩人オウィディウスとは友人の関係にあり,オウィディウスが流刑地での作品《悲歌》第3巻14歌で呼びかけているのはこのヒュギヌスであると考えられている。【三浦 尤三】。…
…失恋は彼自身の体験であるかもしれないが,それ以上に喜劇の要素を取り入れた恋愛詩のしきたりなのである。 この点は最後の恋愛詩人オウィディウスに至って明瞭になる。彼は体験ではなく,知識と想像力と修辞によって恋愛詩を書いた。…
※「オウィディウス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新