コンピューター産業(読み)コンピューターさんぎょう

改訂新版 世界大百科事典 「コンピューター産業」の意味・わかりやすい解説

コンピューター産業 (コンピューターさんぎょう)

電子計算機(コンピューター)の製造,およびその電子計算機が多くの異なる仕事を自動処理するのに必要なプログラムの提供を行う産業。後者をソフトウェア産業と呼ぶ場合もある。

 半導体技術の驚異的な進歩でコンピューターの小型化,高性能化,低価格化が進行し,大型・中型・小型の汎用コンピューターに加えて新たにミニコンピューター(ミニコン),オフィスコンピューター(オフコン),パーソナルコンピューター(パソコン),スモールビジネスコンピューターなどが出現している。しかも,これらコンピューターの分類は,急速な性能の向上につれて,しだいに不明確になってきている。たとえば,最近のパソコンは一時代前の小型汎用コンピューターなみの能力があり,用途もホビー用からビジネス用へと移ってきている。しかし現在でもコンピューターといえば,汎用コンピューターを指す場合が多い。汎用コンピューターは使われる電子素子やアーキテクチャー(設計思想)などの違いから,第1世代(真空管),第2世代(トランジスター),第3世代(IC),第3.5世代(LSI),第4世代(超LSI)と世代区分でき,現在は第4世代への移行期といわれている。なお1990年代初めころを目途に,推論,学習,知識データベース,知的インターフェースなど従来のコンピューターにない機能をもつ第5世代コンピューターを開発しようと,通産省は1982年に研究開発の主体となる新世代コンピューター技術開発機構(ICOT)を発足させ,研究活動を開始した(1993年終結)。これには工業技術院電子技術総合研究所,電電公社(現,NTT),民間企業8社の技術者が参加していた。

日本でのコンピューター研究は,1952-53年ころから一部の研究者の間で行われるようになった。54年に後藤英一が真空管より性能のよいパラメトロンを発明し,研究はパラメトロン式とトランジスター式が並行して進められた。前者によるコンピューターに57年開発の武蔵野Ⅰ号,後者に56年開発のETL・マークⅢ,57年完成のETL・マークⅣがある。また,すでに技術の確立していた真空管を回路素子に使ったコンピューターに,富士写真フイルムの岡崎文次が56年に完成したFUJICがある。これは日本最初の実用機で,記憶装置に水銀の遅延回路を使い,二極管500本,その他の真空管1200本で回路が構成された。また,東京大学と東京芝浦電気(現,東芝)が1952年ころから共同開発を始めた真空管式のTACは,59年に開発を終えたが,実用機としては使われなかった。政府は,コンピューターの開発に最先端の技術を要し,その利用は産業全般に計り知れない影響を与えるという認識に基づいて,1957年〈電子工業振興臨時措置法〉を制定し,コンピューター産業に対する政策的位置づけを明確にした。60-61年ころになると,パラメトロンはトランジスターに比べ速度が遅く消費電力が大きいため,コンピューターの回路素子に用いられなくなり,回路素子の主流はトランジスターとなった。トランジスター式コンピューターは59年に東芝のTOSBAC2100型,日立製作所のHITAC301型,日本電気のNEAC2203型が開発され,60年沖電気工業のOKITAC5090型,61年富士通のFACOM222型が開発され,これらは証券会社や商事会社,生命保険会社などに納入された。なかでも1960年完成の日本最初のオンライン・リアルタイム・システムである国鉄の自動座席予約装置,MARS-1は,最新のコンピューター利用法として評判が高かった。

 IBM社が60年生産開始の7000シリーズは全面的にトランジスターを使った第2世代の実用機で傑作といわれ,国産機の性能が著しく劣ることとなった。さらに特許関係の問題もあって,国産メーカー各社は60年12月にIBMと基本特許使用契約を結ぶとともに,IBMとの対抗上アメリカの有力メーカーとの技術提携に踏み切った。61年日立がRCA社,62年日電がハネウェル社,三菱電機がTRW社,63年沖電気がスペリーランド社,64年東芝がGE社と技術提携し,これにより国産メーカーはすばやくIBMの対抗機を販売することができた。IBMは64年にICを使った第3世代の360シリーズを発表した。360シリーズの名称は360度,円のように全方位に向けて利用可能であるという意味が込められており,画期的なコンピューターであった。一方,国産メーカー各社も第3世代機を相次いで発表し,需要を刺激したことから,日本のコンピューター産業は65年ころから加速度的に発展した。その生産額は65年から75年にかけて年率31%の伸びを続け,75年には5412億円に達した。コンピューターの利用面でもオンライン化が急速に進展し,1965年に三井銀行が日本最初のオンライン・リアルタイム・バンキングを完成した。IBMは70年にLSIを使った第3.5世代の370シリーズを発表し,あわせてハードウェアソフトウェアの価格分離(アンバンドリング)を打ち出した。アンバンドリングによってハードウェアとの抱合せがなくなり,ソフトウェアだけの販売が行えるようになったことから,ソフトウェア産業がひとり立ちする道が開かれた。71年に日本政府は,日米間の懸案であったコンピューター,周辺装置,技術導入等の資本および輸入自由化スケジュールを決定した。これを受けて通産省は,IBM対抗機の開発を促進するため,行政指導を行って国産メーカーを富士通-日立,三菱-沖,日電-東芝の3グループに再編し,鉱工業技術研究組合法に基づいて,この3グループにコンピューター開発のための組合をつくらせ補助金を交付した。こうして国産メーカーは74年に,Mシリーズ,COSMOシリーズ,ACOSシリーズの発表にこぎつけた。

 75-76年ころから業界ではIBMが超LSIを使った第4世代機を80年ころに発表するといううわさが広がり,国産メーカーは対抗機を至急開発する必要が生じた。とくに中核技術となる超LSIの研究開発費は巨額にのぼるので,通産省はナショナル・プロジェクトとして,1976年度から4ヵ年計画で富士通-日立-三菱,日電-東芝の2グループからなる超エル・エス・アイ技術研究組合を発足させ,研究開発を推進させた。この共同開発は大成功を収め,国産機メーカーのなかにはハードウェアの面でIBM社と比肩しうるまでに技術力をつけたものも出てきた。事実,コンピューター・メーカーの売上げランキングで富士通が79年度から日本アイ・ビー・エムを抑えて首位に立っている(日本アイ・ビー・エムの日本市場におけるシェアは低下を続けている)。またそのころから富士通や日立は,提携先の海外有力メーカーに対する大型汎用コンピューターOEM供給を開始し,欧米を中心とする海外市場でも販売実績をあげるようになった。

 このような状況のなかで起こったのが82年のIBM産業スパイ事件である。IBMの通報を受けてFBI(アメリカ連邦捜査局)がおとり捜査を計画し,81年11月から秘密捜査官が日立と三菱の社員に接触を始め,日立は機密情報を得るため秘密捜査官に11回,計62万2000ドル,三菱は2万6000ドルを支払った。証拠固めを終えたFBIは82年6月に日立,三菱などの社員6人を逮捕,12人に逮捕状を出した。日立,三菱両社とも入手情報が盗品であることを知らなかったと主張したが,カリフォルニア州サンノゼ連邦地裁の連邦大陪審は日立本社と同社員ら17人について,引きつづいて三菱関係についても,盗品移送共謀罪などで起訴した。裁判は83年,司法取引により日立,三菱とも有罪を認め全面和解したため終了した。この和解に基づいて日立は,IBMが開発した超大型コンピューターの基本ソフト〈MVS/SP〉の使用料をIBMに支払うことになった。一方,三菱は同社のIBM互換機商品化計画の見直しを迫られ,計画が大幅に遅れる見通しとなった。また同様にIBM互換機路線(コンパチ路線)を歩む(こうしたメーカーを互換機メーカーあるいはコンパチメーカーという)富士通も,基本ソフト使用料支払契約をIBMと締結するに至った。この事件によって日立,富士通等のIBM互換機路線は大きく揺らいだが,その後,日立,富士通はIBMとの対抗上,ソフト開発に全力を入れている。なお日電などは互換機路線をとっていない。

(1)IBM社によるガリバー型寡占産業である。IBMの市場シェアを設置額でみると,アメリカ市場で70%,世界市場で50%を超えている。このためIBMはしばしば〈コンピューターの巨人〉と形容される。IBMはほとんどの主要国で市場の過半を制しているが,例外は日本とイギリスで,日本市場では汎用コンピューターで24%,パソコンで10%の市場シェアとなっている(1995年度)。なお日本市場では富士通,日立,日電のシェアが高い。(2)研究開発費が巨額である。日本のコンピューター産業では研究開発費の対売上高比率は9%前後となっており,製造業平均の約2%を大幅に上回っている。よくコンピューター産業は技術革新が激しいといわれるが,この背景には巨額の研究開発費を長期にわたり継続的に支出するといった企業活動があったことは見逃せない。(3)リース・レンタル制が普及している。ユーザーにとってリースやレンタルは巨額の投資をしなくてもコンピューターを利用でき,新機種の発売によって陳腐化が一気に進んでも,解約して新機種に切り替えることができる,といったメリットがある。一方,コンピューターメーカーも,売切りで販売すると需要が機種の交代期に集中し,収入が不安定になるが,リース,レンタルだとユーザーが使用しつづけるかぎり一定の収入を確保できる,といったメリットがある。(4)今後も高成長が期待できる。これは,研究開発の成果によりコンピューターのコスト・パフォーマンス(費用性能比)が飛躍的に向上しているため,コンピューターの適用分野が広がるとともに,いままで採算にのらなかった情報処理分野でも利用されるようになったことによる。このため,日本のコンピューターおよび関連機器の生産額は,1975-82年に年率18%で伸びつづけ,その間1979年には1兆円の大台にのり,82年には1兆7333億円,95年には5兆1959億円に達した。
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百科事典マイペディア 「コンピューター産業」の意味・わかりやすい解説

コンピューター産業【コンピューターさんぎょう】

ハードウェアと称されるコンピューター本体と端末装置を製造する産業で,利用技術であるソフトウェアを一体として商品化している点に特色がある。今や全産業の中核的存在にまで発展し,電子工業内でも最高の技術水準を要する独自の分野となっている。1970年代までは大型コンピューターが主流で世界的にIBMの独占度が高かった。日本では1957年に生産開始。半導体技術の発展で1970年代後半からパーソナルコンピューターが登場。大衆化することで市場が急拡大した。さらに1980年代末より,パーソナルコンピューターの性能が飛躍的に向上し,以前は大型汎用機でしかこなせなかった処理がパーソナルコンピューターでできるようになった(ダウンサイジング)。ダウンサイジングは,大型汎用機を収益の柱としてきたIBMやユニシスなどの経営を圧迫したが,一方で多くのパソコンメーカーを生み出した。またIBMや日本の日立,富士通など大型機メーカーも次々とパソコン分野に参入し,さらに市場を拡大している。
→関連項目コンピューター

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