ゴジンジエム(読み)ごじんじえむ(英語表記)Ngo Dinh Diem

精選版 日本国語大辞典 「ゴジンジエム」の意味・読み・例文・類語

ゴ‐ジン‐ジエム

  1. ( Ngo Dinh Diem ) ベトナム共和国政治家アンナン王国内相となったが、バオダイ帝の親仏政策に反対し、辞任。一九五五年アメリカの後援をうけ、国民投票元首となり、初代大統領に就任。徹底した反共主義者で、一九六三年の軍部クーデターで殺された。(一九〇一‐六三

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ゴジンジエム」の意味・わかりやすい解説

ゴ・ジン・ジエム
ごじんじえむ
Ngo Dinh Diem
(1901―1963)

南ベトナムの政治家。アンナン王国の名家に生まれ、ハノイの法律行政学校に学ぶ。1932年アンナン王国内相に就任したが、バオ・ダイ帝の親仏政策に反対して同年辞職。1945年日本軍政下の越南帝国首班に推挙されたが固辞。1950年渡米、1954年7月ベトナム南北分断を意図するアメリカの影響下にバオ・ダイ治下の南ベトナム首相となる。1955年の国民投票でバオ・ダイ帝を破り、共和国を宣するとともに初代大統領に就任。ホー・チ・ミンの率いるベトナム民主共和国(北ベトナム)の勝利を恐れて、南北にまたがる総選挙の実施を求めた1954年7月のジュネーブ協定最終宣言への署名を拒否、アメリカの支援を受けつつ徹底した反共警察国家への道をたどった。弟ゴ・ジンヌー諜報(ちょうほう)担当の政治顧問に登用南ベトナム解放民族戦線仏教徒の反政府運動を弾圧し続けたが、1963年11月その専横腐敗を批判するドン・バン・ミン将軍らの軍部クーデターで弟ヌーともども殺害された。

[黒柳米司]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ゴジンジエム」の意味・わかりやすい解説

ゴ・ジン・ジェム
Ngo Dinh Diem

[生]1901.1.2. ユエ
[没]1963.11.2. サイゴン
ベトナムの政治家。アンナン王朝の高級官吏の家に生れた。 1929年ファンチェット省知事,33年内相となったが,フランスの植民地政策と対立してすぐに辞任。第2次世界大戦中フランスに逮捕され,日本軍によって救出された。戦後は強固な反共民族主義者として勢力を拡大し,54年アメリカの支持のもとにバオ・ダイ政権の首相に就任,55年 10月共和制を宣言してベトナム共和国 (南) の初代大統領となった。 61年再選されたが,63年ズオン・バン・ミンらのクーデターで失脚,弟のゴ・ジン・ヌーとともに殺された。

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20世紀西洋人名事典 「ゴジンジエム」の解説

ゴ・ジン・ジエム
Ngo Dinh Diem


1901 - 1963
ベトナム(南ベトナム)の政治家。
元南ベトナム大統領首相兼国防相。
アンナン王国の名家にうまれる。1932年アンナン王国内相。バオダイ帝を破り、’55〜63年南ベトナム初代大統領を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のゴジンジエムの言及

【ゴ・ディン・ジェム】より

…ベトナム共和国(南ベトナム)の初代大統領。フエのカトリック系官人の出身で,早くから親米反共民族主義者として知られた。1954年バオダイ・ベトナム国の首相に任命され,55年国民投票によりベトナム共和国大統領に就任した。その出身,宗教のせいか大衆の支持が得られず,同族,カトリックによる反共ファッショ体制をとった。外交ではジュネーブ協定を無視し,アメリカの援助に依存してベトナム民主共和国(北ベトナム)を敵視する政策をとった。…

※「ゴジンジエム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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