ヨーロッパの伝説に語られる永遠に呪われた放浪者。中世末期に広まった伝説によれば,十字架を担って刑場におもむくキリストがアハスエルス(アハシュエロス)Ahasuerusなる靴屋の家の前で休息をもとめたとき,彼はこれを拒絶した。そのときキリストは〈汝,我の来たるを待て〉と答えて立ち去り,それ以後アハスエルスは故郷と安息とを失い,〈最後の審判〉の日まで地上をさまよう運命を負わされたという。また,聖アルバン修道院の年代記(13世紀初頭)によれば,ピラトの下で裁判所の門衛をつとめるカルタフィルスCartaphilusという者が,キリストを打擲(ちようちやく)したため,同じ罰を受けることになったという。彼は100年ごとに昏睡におち,30歳ほどの若者となって目ざめるという伝説も生じた。ドイツではブッタダエウスButtadaeusという人物と結びつけられ,アントワープでは16世紀までに3度その姿が目撃され,最後に現れたのは1774年のブリュッセルといわれる。フランスではラケドンLaquedonあるいはラケディオンLakedionの名で語られる。オイディプスのように古代より放浪を宿命づけられた王の伝説があり,ユダヤ人の歴史的体験(ディアスポラ)そのものが素材を提供していると考えられるが,より端的にはヨーロッパに根強い反ユダヤ人意識の伝説化といえよう。なおイギリスではシマフムラサキツユクサ等数種の植物,不吉な鳴き声を立てる鳥タゲリをwandering jewと呼ぶ。
執筆者:荒俣 宏
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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ヨーロッパに流布した伝説上の人物で、エルサレムの靴屋、アハシェロスという名のユダヤ人。彼は、十字架を担って刑吏に引かれて刑場ゴルゴタ(カルバリ)の丘へ向かう途上のイエス・キリストが彼の軒先でしばらく休もうとしたところ、イエスをののしり石を投げて追い立てた。そのときイエスが、「私がこの世にふたたびくるときまで、あなたは休む間なく、死ぬことすら許されず、地上をさまよい続けるであろう」と述べて、そこを立ち去った、という。
この伝説は、1602年オランダのライデンに、この男に実際会ったという者が現れ、その証言集ともいうべき『アハシェロスという名のユダヤ人の話』と題するパンフレットが出回ってから、ヨーロッパ一円に広まった。ちなみに、すでに13世紀ごろ、イエスの十字架刑を許可したことで知られるローマ総督ピラトの下僕、カルタフィリスという人物についてもよく似た伝説がある。
これらのユダヤ人は、紀元前6世紀に亡国の民となって以来、離散・放浪を余儀なくされたユダヤ民族の象徴であり、ヨーロッパ世界のユダヤ人差別の反映である。
[定形日佐雄]
…また不老ないし不死の獲得が人間にとりいちがいに好ましい状態であるとも断言できず,事実ヨーロッパでは悪魔に魂を売ったり神罰を受けた者は死ぬことができなくなり,永遠にこの世をさすらう。〈さまよえるユダヤ人〉の伝説や,C.R.マチューリンのゴシック・ロマンス《放浪者メルモス》の主人公などがその例で,ファウスト伝説もこれに含まれよう。しかし一般には,不老と不死を同時に獲得することが幸福の永続を意味すると考えられ,古来盛んにその方法が探究された。…
※「さまよえるユダヤ人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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