サンタクルス(読み)さんたくるす(英語表記)Santa Cruz

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「サンタクルス」の意味・わかりやすい解説

サンタクルス
Santa Cruz

正式名称はサンタクルスデラシエラ Santa Cruz de la Sierra。ボリビア東部,サンタクルス県の県都。ラパスの東南東約 550km,アンデス山脈東麓の熱帯低地にあり,標高約 420m。 1560年代初めパラグアイからやってきたスペイン人により約 250km東,現在のサンホセデチキトスの地に建設されたが,インディオにたびたび攻撃されたため,95年アマゾン川水系ピライ川にのぞむ現在地に移転。 1950年コチャバンバからの道路が通じ,周辺での油田開発が進むとともに急速に発展,現在ラパスに次ぐ同国第2の大都市となっている。肥沃な農業地帯の中心地として,サトウキビ,米,コーヒー,タバコなどを集散するほか,市内にはたばこ,皮革製品,アルコール,製糖石油精製などの工業が立地。ガブリエル・レネ・モレノ大学 (1880) 所在地。現在道路のほか鉄道も通じ,ラパス,ブラジルアルゼンチンの各方面と連絡。国際空港もある。人口 69万 4616 (1992推計) 。

サンタ・クルス
Santa Cruz, Andrés

[生]1792.11.30. ラパス近郊
[没]1865.9.23. サンナゼル
ボリビアの軍人,政治家。スペイン軍人と先住民 (インディオ) とのメスティーソで,母親はインカ皇帝の末孫といわれる。スペイン軍に入隊し,ラテンアメリカの独立戦争勃発 (1810) 当初は王党軍に服属していたが,1820年独立派に転じた。 25年ボリビアの独立達成後共和国随一の実力者となり,29年大統領に就任。在職中,商業,手工業の発展,教育の普及,公共事業の拡充など進歩的政策を実施したが,生来の強烈な権力欲からペルー支配を画策し,35年ペルーの混乱に乗じて武力介入を行い,ペルー=ボリビア連合国を設立して大統領となった。しかし同年連合国の成立に反対するチリとの間に戦争が勃発し,39年ユンガイの戦いで敗れフランスに亡命した。ラテンアメリカの代表的カウディリョの一人。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「サンタクルス」の意味・わかりやすい解説

サンタ・クルス(ボリビア)
さんたくるす
Santa Cruz

南アメリカ、ボリビア南東部の都市。サンタ・クルス州(人口202万9471。2001)の州都。コルディエラ・オリエンタル山脈の東に広がる広大な平原地域に位置する。人口113万5526(2001)。アマゾン川流域の湿地帯の中にあり雨期には泥の町となる。1561年に建設されて以来、長い間孤立状態にあったが、第二次世界大戦後、付近で油田が発見されてから急速に発展した。西方約300キロメートルのコチャバンバからの舗装道路が完成し、鉄道でパラグアイ川沿岸のブラジルのコルンバと連絡し、さらにサン・パウロに通じる。砂糖、米、コーヒーの集散地で、精糖、石油精製などの工場がある。また鉄鉱石マンガンの鉱山が発見され開発計画が進んでいる。住民の大部分は白人で混血はごく少ない。歩道に屋根が雁木(がんぎ)状にせり出した町並みに特色がみられる。

[山本正三]


サンタ・クルス(スペイン領カナリア諸島)
さんたくるす
Santa Cruz de Tenerife

アフリカ北西岸、モロッコの西方約100キロメートルの大西洋上に浮かぶスペイン領カナリア諸島にある都市。テネリフェ島北東岸に位置する。サンタ・クルス・デ・テネリフェ県の県都。人口18万8477(2001)。同諸島最大の都市であり、最大の港。農産物の輸出港として、荷扱い量は年平均1300万トンに上る。大西洋定期航路の寄港地で、また遠洋漁業基地としても発展している。気候温暖なため観光地でもあり、空港の出入り客も多い。大石油精製所が立地する。16世紀初めには港(1494建設)をもつ一漁村にすぎなかったが、18~19世紀を通じて港湾機能の重要性が増し、1927年まで諸島全域の行政中心都市であった。16世紀の教会がある。

[田辺 裕・滝沢由美子]

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