出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
ボリビアの初代大統領。在任1826-28年。ベネズエラのクマナに生まれ,早くから独立革命軍に参加し,16歳で大佐に昇進。1822年エクアドルを解放したピチンチャの戦に勝利した。23年ボリーバルに随行してペルーへ転戦し,翌年12月9日アヤクチョの戦でペルー王党軍を撃破,14年にわたる大陸北部の解放戦争を終結させた。その後,ラ・パスの王党軍を破り,25年2月ラ・パスにおいてアルト・ペルー(現,ボリビア)の独立を宣言,翌年終身の初代大統領に任命されたが,2年で辞任し,ボゴタに帰還した。30年グラン・コロンビアの制憲議会議長に選出されたが,連邦主義者と中央集権主義者との溝は埋めがたく,共和国は実質的に崩壊。永住地と定めたキトに向かう途中,コロンビア南部パスト近郊で暗殺された。
執筆者:上谷 博
ボリビア中部に位置する都市で,チュキサカ州の主都。人口23万8374(2005),標高2600m。ラ・プラタ,チュキサカ,チャルカスの名で呼ばれたが,1839年から初代大統領にちなんで現在名となった。ボリビア共和国の憲法上の首都で,最高裁判所があるが,他の政治・行政機関は1900年以降ラ・パスに移された。1825年のボリビア独立宣言はここで行われた。気候は温暖で,1538年に建設され,植民地時代は繁栄したが,今は当時の古い建物を多く残した静かな都市である。1624年創立の大学や国立図書館,古文書館もあり,文化的に重要である。
執筆者:中川 文雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
南アメリカ、ボリビア中南部の都市。同国の憲法上の首都。チュキサカ州Chuquisaca(人口53万1522。2001)の州都。首都ラ・パスの南東420キロメートル、標高2600メートルの高原盆地に位置する。人口21万5778(2001)。1538年に建設され、旧称はチュキサカといったが、1839年ボリビアの首都となり、初代大統領アントニオ・ホセ・デ・スクレにちなんで現名に改称した。立法府と行政府は1900年にラ・パスに移り、現在は最高裁判所だけが残っている。植民地時代の町並みをよく残しており、市の法令で住民にコロニアル・スタイルを維持することが義務づけられている。南アメリカ最古のサン・ミゲル教会をはじめ、聖ザビエル大学、17世紀に建てられた大聖堂、立法宮、人類学および植民地時代の資料を多数陳列する博物館などがある。付近では石油や穀物、果実を産し、精油、食品加工などの工業が発達している。木工細工や木彫りも有名である。1991年には町全体が古都スクレとして世界遺産の文化遺産に登録されている(世界文化遺産)。
[山本正三]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
1795~1830
南アメリカ独立の指導者。ベネズエラ生まれ。1810年独立戦争に参加し,ボリーバルの副官としてベネズエラの解放に貢献。エクアドルに転戦してピチンチャの戦いに勝利した。さらにペルーに進攻し,24年12月アヤクーチョの戦いで勝利を収めてペルーの独立を確立した。さらにボリビアを独立に導き初代大統領(在任1826~28)となり,中央集権制のもとでの自由主義政策を進めた。大コロンビア崩壊の年,暗殺された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…正式名称=エクアドル共和国República del Ecuador面積=27万2045km2人口=(1996)=1170万人首都=キトQuito(日本との時差=-14時間)主要言語=スペイン語通貨=スクレSucre南アメリカ大陸北部の太平洋岸に面した共和国で,赤道直下にあるため,国名も〈赤道〉にちなんでつけられた。北をコロンビア,南と東をペルーにはさまれた小国で,太平洋上のガラパゴス諸島を領有している。…
…正式名称=ボリビア共和国República de Bolivia面積=109万8581km2人口(1996)=759万人首都=スクレSucre(政府所在地はラ・パスLa Paz)(日本との時差=-13時間)主要言語=スペイン語,ケチュア語,アイマラ語通貨=ボリビアノBoliviano南アメリカ大陸の中央部に位置する共和国。ブラジル,ペルー,チリ,アルゼンチン,パラグアイの5ヵ国に囲まれた内陸国である。…
※「スクレ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新