出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…北海岸ではモチカの伝統をひくチムー,南海岸ではナスカの系統のイカなど大きな王国ができ,高地では,カハマルカ,ワンカ,チャンカ,ルパカなど諸民族が支配圏の拡大を競っていた。そのような抗争のなかから,南高地のクスコの谷間に生まれたインカ族が強力になり,15世紀後半にはペルー・アンデスの全土をはじめ,それまでのアンデス文明の範囲をこえて,コロンビアからチリにまたがる地域を征服し,インカ帝国を建設した。しかし,インカ帝国は,1532年F.ピサロを筆頭にしたスペイン人によって征服され,それとともにアンデス文明の歴史も終わる。…
…ピサロの率いるスペイン人が侵入したのは,ちょうどそのころで,奸計によりアタワルパ王は捕らえられ,莫大な身代金を積んだにもかかわらず処刑され(1532),大帝国はもろくも滅びた。 インカ帝国は皇帝を頂点とし,底辺の広いピラミッド形の社会組織をとる。血縁者である貴族,占領地の王族,族長,戦功あった指揮官から昇格した貴族,そして人民の大部分を占める農民の階層から成る。…
…太陽の女神,天照大神を皇室の祖神とする日本もその一例である。南アメリカでは太陽崇拝はインカ帝国で発達しており,太陽は王家の祖先神とみなされていたし,またインカ帝国は征服した諸民族にも太陽崇拝を強制した。インカの支配領域のいたるところに,太陽神のための神殿が建てられたが,帝国の首都クスコの太陽神殿では,太陽は巨大な黄金の円盤で表されていた。…
… 新大陸におけるもう一つの高文明地帯である中央アンデス地域でも,海岸地帯などでは古い時代からトウモロコシ耕作を基礎とする農耕文化が発達してきた。また,15世紀に中央アンデスのほぼ全域を統一したインカ帝国は,中心地こそ寒冷な高地にあったが,周辺の温暖な谷間を利用して階段耕作によりトウモロコシの大量栽培が行われていた。このトウモロコシ栽培用の階段耕地はきわめて大規模で,しかもインカの石積み技術を駆使して精巧につくられたものが多かった。…
…インカ帝国8代目の皇帝とされる人物。ビラコチャ神が夢の中で加護を約束したことから,この名を名のった。…
…独特の利用法としては,南アメリカのアンデス山地標高3000~4000mのチチカカ湖周辺で,原住民のシマラ族はそこに生えるフトイの1種のトトラS.californicus Palla ssp.totora (Kunth) T.Koyamaの茎を多数束ねてカヌー式のボートを作ったり,彼らの住居の屋根や壁にしたりするほか,根茎も食用にしている。インカ帝国でもこの根茎が食用とされていたことが最近明らかにされた。【小山 鉄夫】。…
…紀元後9世紀から11世紀にかけて,このティアワナコ文化は中央アンデス全域に広まった。15世紀に入るとアイマラ族はケチュア族のインカに征服され,同地はインカ帝国領となった。インカ帝国は1533年にピサロの率いるスペイン軍に征服され,スペイン植民地となった。…
※「インカ帝国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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