ザマの戦い(読み)ザマのたたかい

精選版 日本国語大辞典 「ザマの戦い」の意味・読み・例文・類語

ザマ‐の‐たたかい‥たたかひ【ザマの戦】

  1. ( ザマはZama ) 紀元前二〇二年、北アフリカカルタゴ西南のザマ(現在のチュニジア北西部のマクタル付近)で戦われた第二ポエニ戦争勝敗を決した戦い。ここでローマ将軍大スキピオハンニバルの率いるカルタゴ軍を破り、第二ポエニ戦争を終結させた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ザマの戦い」の意味・わかりやすい解説

ザマの戦い
ざまのたたかい

第二次ポエニ戦争(ハンニバル戦争)末期、カルタゴの本拠アフリカに侵攻した大スキピオアフリカヌス)指揮下のローマ軍(約2万9000)が、急遽(きゅうきょ)イタリア遠征から帰還したハンニバル指揮下のカルタゴ軍(約4万)を撃滅した戦い(前202)。その直後、カルタゴはローマに和を請い、翌紀元前201年春、講和条約が締結されて、前218年以来の第二次ポエニ戦争もついに終結した。ザマZamaの戦場といわれるものは、アルジェリアとの国境に近い現在のチュニジア西部の平原に位置したことは確かであるが、正確な場所に関しては複雑な論争があり、決着をみていない(「ザマ問題」)。すなわち、(1)この地方には古代に「ザマ」とよばれた場所が少なくとも二つあって、それぞれの位置に関して諸説があり、(2)この戦場の位置を「ザマ近郊」と記しているのは実は第二級史料にすぎず、主要史料では「マルガロン」Margaronあるいは「ナラッガラ」Naraggaraが戦場とされ、しかも「マルガロン」と「ナラッガラ」の異同前者の位置も不明なのである。したがって「ザマの戦い」という呼称自体、不適当といわねばならない。

[栗田伸子]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ザマの戦い」の意味・わかりやすい解説

ザマの戦い
ザマのたたかい
Battle of Zama

前 202年第2次ポエニ戦争帰趨を決した戦い。長駆敵の本拠地をつくためにスキピオ・アフリカヌス (大スキピオ) の率いるローマ艦隊がカルタゴに遠征。そのためローマ攻撃を急遽中止して帰還したハンニバルの軍とカルタゴ西南のザマで戦端を開き,巧みな作戦を駆使したスキピオが大勝,ローマに勝利をもたらし,第2次ポエニ戦争は終結した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ザマの戦い」の解説

ザマの戦い(ザマのたたかい)
Zama

前202年,第2次ポエニ戦争の勝敗を決した戦闘。ローマの将軍スキピオ(大)ハンニバルの率いるカルタゴ軍を撃破し,第2次ポエニ戦争を終結させた。ザマは北アフリカのカルタゴ西南の地。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ザマの戦い」の解説

ザマの戦い
ザマのたたかい
Zama

前202年,第2回ポエニ戦争の勝敗を決定した戦い
イタリア半島で行動中のハンニバルの虚をつき,大スキピオが遠征してカルタゴ本国を攻撃したため,急いで帰国したハンニバルは,これをカルタゴ南西のザマで迎撃したが,大敗した。

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