日本大百科全書(ニッポニカ) 「シュリーフェン」の意味・わかりやすい解説 シュリーフェンしゅりーふぇんAlfred Graf von Schlieffen(1833―1913) プロイセンの陸軍元帥。参謀将校としてプロイセン・オーストリア戦争、プロイセン・フランス戦争に参加。1891年から1905年まで陸軍参謀総長。参謀将校の育成に多大の功績があった。モルトケ流の作戦をさらに進展させ、ドイツが東西二正面戦争を強いられることを想定して、それに対応する最高戦争指導法の立案に長年にわたって専念し、第一次世界大戦の緒戦におけるドイツ陸軍の作戦の基本となる「シュリーフェン・プラン」を策定した。[岡部健彦][参照項目] | シュリーフェン・プラン | プロイセン・オーストリア戦争 | プロイセン・フランス戦争 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「シュリーフェン」の意味・わかりやすい解説 シュリーフェンSchlieffen, Alfred, Graf von [生]1833.2.28. ベルリン[没]1913.1.4. ベルリンドイツの陸軍軍人。第1,2次世界大戦でドイツ戦略の基礎となったシュリーフェン・プランの立案者として著名。初め法律を学んだが,1854年軍に入り,65年参謀本部員となり,プロシア=オーストリア戦争 (1866) ,普仏戦争 (70~71) に出征。その後第1次槍騎兵連隊長として名声を博し,84年参謀本部戦史室長,88年参謀次長,91年参謀総長,1911年元帥となった。参謀総長として,対フランス,対ロシア作戦計画の作成や参謀将校の育成に努め,名参謀長といわれた。また彼の戦術論はアメリカ,ヨーロッパを通じて広く学ばれ,大きな影響を与えた。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報