ジェベ(その他表記)Jebe

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジェベ」の意味・わかりやすい解説

ジェベ
Jebe

[生]?
[没]1224
モンゴルの武将。ベスット氏族の出身。幼名はジルグアダイ。最初チンギス・ハンに敵対してその乗馬を射殺し,のちに降伏してジェベ (「やじり」の意) の名を与えられたという。 1211~16年,金国の征伐従軍。 18年,西遼に拠ったナイマン (乃蛮) 部クチュルク・ハンを征服。 19年からのチンギス・ハンの西征にスブタイ (速不台)とともに先鋒としてホラズム・シャー朝の王アラー・ウッディーン・ムハンマドを追撃してカフカスに入り,ジョチ (朮赤)の軍と協力してキプチャクを破り,23年頃アゾフ海に注ぐカルカ河畔に南ロシア諸侯の連合軍を破り,ドニエプル川クリミア半島にまでいたった。モンゴル帝国北西部の征服地はジョチの所領となり,ジェベはジョチに属することとなったが,ジェベは本国へ引揚げる途中死んだ。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「ジェベ」の意味・わかりやすい解説

ジェベ (者別/哲別
)
Jebe
生没年:?-1225

モンゴル,チンギス・ハーン勇将。ベスト族出身。チンギスに降ったのち,ナイマン族や西夏との戦闘で,常に先鋒として活躍し,金朝攻撃の際の戦功により千戸長となった。ナイマンの王子クチュルクを追討し(1218),翌年からの中央アジア遠征では,スブタイと共に,ホラズム・シャー朝のアラー・アッディーンムハンマドを追ってイラン各地を侵し,さらに,カスピ海西岸から南ロシア,キプチャク草原へ侵入して,カルカ(現,カリチク)河畔でロシア諸侯らの連合軍を破った(1223)。その後チンギス本隊と合流,帰国したが,まもなく没した。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「ジェベ」の解説

ジェベ
Jebe

?~1225

チンギス・カン指揮下の部将。ベスト族出身。ナイマン西夏を攻めた。モンゴル西征に参加し,スベエデイとともにホラズム・シャーを追跡。カフカース山脈を越えてキプチャク草原に入り,ルーシ諸公連合軍をカルカ河畔の戦いで破った。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android