改訂新版 世界大百科事典 「ジヤール朝」の意味・わかりやすい解説
ジヤール朝 (ジヤールちょう)
Ziyār
カスピ海南岸地方を中心に,イラン北部を支配したイラン系王朝。927-1090年ころ。ダイラム西部のギーラーン地方の族長マルダーウィージュ・ブン・ジヤールMardāwīj b. Ziyār(在位927-935)が,仕えていたサーマーン朝の総督を倒し,その領地レイ,カズビーン,ザンジャーン,コムを奪って独立した。彼の時代が最盛期で,イスファハーンやハマダーンをも勢力下に置いた。しかし935年に,彼が配下のトルコ人奴隷によって暗殺されて以降は急速に衰退し,サーマーン朝,ガズナ朝の宗主権下に,カスピ海南岸部で辛うじて命脈を保つだけになった。7代目の君主カイ・カーウースKay Qā'ūsが63歳のとき(1082・83)に愛息に書き残した遺訓の書《カーブースの書Qābūsnāma》は,ペルシア文学の傑作として有名。
執筆者:清水 宏祐
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報