ビールーニー(読み)びーるーにー(英語表記)Al-Bīrūnī

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ビールーニー」の意味・わかりやすい解説

ビールーニー
al-Bīrūnī, Abū al-Rayhān Muḥammad b. Aḥmad

[生]973. ホラズム
[没]1050頃.ガズニー
中世イスラム世界の最大の学者の一人。数学天文学,医学などの自然科学だけではなく,地理学,歴史学,言語学などにも秀で,著書,論文の数は百八十余に達した。故郷で教育を受け,998年頃ジュルジャーンにおもむき,ジヤール朝カーブースに仕え,古来暦法に関するすぐれた著書『いにしえより残りしもののあと』 al-Āthār al-Bāqiya `an al-Qurūn al-Khāliya (1000頃) を献呈した。 1008年頃ホラズムに戻ったが,17年ガズニー朝マフムードによるホラズム征服の際,捕虜としてガズニーに連行された。以後占星家としてマフムードに仕え,彼のインド遠征にも加わって,『インド誌』 Ta'rīkh al-Hind (30) を著わした。また天文学に関する『天体,天文についてのマスウードの法典』 al-Qānūn al-Mas`ūdī fī al-Hay'a wa al-Nujūm (30) を著わし,スルタン・マスウードに献呈している。彼は地球の自転説を唱え,地球の周囲の計測法を確立した。地球の周囲の長さについて彼が算出した測定値は,現在の天文学の測定値とほぼ一致している。ほか鉱物学薬学,数学に関する著書が知られている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ビールーニー」の意味・わかりやすい解説

ビールーニー
びーるーにー
Al-Bīrūnī
(973―1050?)

イラン人の学者。数学、地理学、天文学、占星術、暦学など多方面の才能で知られる。正称はムハンマド・ビン・アフマド・アル・ビールーニーMuhammad bin Ahmad al-Bīrūnīで、普通はアル・ビールーニーとよばれることが多い。のちにガズナ朝の支配下で優遇され、その首都ガズニー(ガズナ)で死んだ。彼の名を不朽にしたのは、インド旅行の体験に基づいて著した『ターリーフル・ヒンド』(インド史誌)という著作で、11世紀のインドの事情を知るうえでもっとも重要な文献の一つである。一般には、ドイツの東洋学者ザハウEdward C. Sachau(1845―1930)による英訳Alberuni's India』でヨーロッパ人の間に知られている。

[荒 松雄]

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