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ホラズム生れのペルシア人科学者,哲学者,旅行家。シーア派に属し,反アラブ的感情は終生変わらなかった。数学者アブー・アルワファーの弟子について数学を学び,ジュルジャーン,レイに出て,天文学・医学を修めた後,再び故郷に帰った。ガズナ朝の君主マフムードが来攻した時に捕らえられて彼に仕え,インド征服にも同伴してこの地に長くとどまり,ガズナに帰って没した。彼の旺盛な知的好奇心と鋭い批判的精神とは,中世を通じて並ぶ者がない。180にも及ぶ著作の中で,インドの宗教,科学,習俗を語った《インド誌》は,貴重な歴史的記録である。天文学的百科全書《マスウード典範》は,医学におけるイブン・シーナーの《医学典範》と同様に,天文学における基準的書物である。イブン・シーナーとは異なり,彼の著作はラテン語訳されなかったため,西欧世界に影響を与えることはなかったが,イスラム世界では常に高い尊敬をかち得てきた。
執筆者:伊東 俊太郎
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イラン人の学者。数学、地理学、天文学、占星術、暦学など多方面の才能で知られる。正称はムハンマド・ビン・アフマド・アル・ビールーニーMuhammad bin Ahmad al-Bīrūnīで、普通はアル・ビールーニーとよばれることが多い。のちにガズナ朝の支配下で優遇され、その首都ガズニー(ガズナ)で死んだ。彼の名を不朽にしたのは、インド旅行の体験に基づいて著した『ターリーフル・ヒンド』(インド史誌)という著作で、11世紀のインドの事情を知るうえでもっとも重要な文献の一つである。一般には、ドイツの東洋学者ザハウEdward C. Sachau(1845―1930)による英訳『Alberuni's India』でヨーロッパ人の間に知られている。
[荒 松雄]
973~1050?
イラン系のイスラーム学者。ヒヴァ郊外に生まれたが,その地がガズナ朝の支配下に入るとともに,1016年頃捕われてガズナに移り,学者としてマフムードに仕えた。インド各地を旅行し,大著『インド誌』を著したが,それにはインドの歴史,地理,哲学,風俗,習慣などが記されており,当時のインドを知るうえでの貴重な文献史料である。その他にも重要な著述が多い。
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…この時代には東はバグダード,ブハラ,ガズナ,西はコルドバ,南はカイロを中心に,アラビア科学が全イスラム的規模で百花繚乱と咲き乱れる黄金時代がつくられた。この絶頂期の科学は,ビールーニーとイブン・シーナーとイブン・アルハイサムによって代表させることができよう。この3人はそれぞれ異なった意味でアラビア科学の最高をきわめた。…
…イスラム地理学者たちは,インド洋を〈インドの海〉〈ザンジュの海〉〈エチオピアの海〉とよび,インド洋を内海とは見なさなかったが,プトレマイオスの影響は根強く,彼らの地理書では,アフリカの南端は中国の対岸までずっと東に延ばされている。ビールーニーal‐Bīrūnī(11世紀)になると,この東への延びは半島規模に縮小され,インド洋と大西洋を結ぶ水路の存在がアフリカ南部に予測されている。そしてバスコ・ダ・ガマのインド洋横断の水先案内人を務めたといわれるイブン・マージドは,それ以前にすでに上述の水路の存在をより明確に予測していた。…
※「ビールーニー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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