日本大百科全書(ニッポニカ) の解説
ジョンソン(Ben (Benjamin) Jonson)
じょんそん
Ben (Benjamin) Jonson
(1572―1637)
イギリスの詩人、劇作家。シェークスピアと並んでエリザベス朝演劇を代表する。多数の宮廷仮面劇も書いた。とくに喜劇の領域に独自の領域を開拓し、また詩人としても一派をなして文壇の大御所となった。ロンドンに牧師の息子として生まれたが、早く父を失い、れんが職人を継父として育った。ウェストミンスター校で教育を受けたが、そこで生涯にわたる古典への向学心を植え付けられた。そのあと、継父の徒弟となったが長続きせず、オランダに行ってしばらく軍隊生活を送ったのち、ロンドンに戻り、1590年代なかばごろには俳優や脚本書きの仕事をして、演劇にかかわるようになっていた。1598年シェークスピアのいた宮内大臣一座のために書いた『みな癖(くせ)を出し』という風俗喜劇が上演されて、成功を収めた。そのあと続けて書かれた『みな癖が治り』(1599)などの風刺喜劇は、ジョンソン独得の作風を確立するための過渡期の実験的作品である。その後、悲劇に手を染めて、『シジェイナス』(1603)を書いたが、世評は芳しくなく、ふたたび喜劇執筆に戻り、円熟期の作品を次々に発表した。『ボルポーネ』(1606)、『エピシーン――無口な女』(1609)、『錬金術師』(1610)、『バーソロミュー市(いち)』(1614)の四大喜劇は、人間を動物的欲望の次元から戯画的に描くことによって、その愚かしさと偽善とをえぐり出したいずれ劣らぬ傑作である。功成り名遂げたのちは、執筆のかたわら、スコットランドに旅したり、あるいは宮廷仮面劇のあり方をめぐって、舞台装置家のイニゴー・ジョーンズInigo Jones(1573―1652)と対立したりもした。晩年の劇作はおおむね想像力の衰えをみせているとされるが、ジェームズ1世の死後、不遇と不運のうちにありながら、エリザベス女王時代への郷愁のうかがえる作品を残した。総じて古典主義の理論家でありながら、ときに傲慢(ごうまん)、闘争心に富み、エリザベス朝人の野放図な生命力をあわせもった作家であった。
[柴田稔彦]
『和田勇一著『ベン・ジョンソン』(1963・研究社出版)』