フランスの言語学者。言語地理学の創始者。スイス生まれ。22歳のときパリの高等学術実地学校École pratique des Hautes Étudesに入学した。1883年ダルメステテルA.Darmesteterのあとをつぎ,死に至るまで母校のロマンス語,方言学の講座の担当者であった。97年から4年間,助手のエドモンE.Edmont(1854-1926。くしくもジリエロンと生没年が同じ)によって,フランス全域と周辺のフランス語地域638地点を一定の調査項目について実地に面接調査させ,その結果を1946葉(コルシカ島を含む)の言語地図にして発表した。これが《フランス言語図巻Atlas linguistique de la France》35巻(1902-14)および補遺1巻(1920)である。〈いなか者〉の武骨さがわざわいして母校内の人間関係はよくなかったし,学界でも新しい分野の開拓者として孤立しがちだった。教室の学生も留学生が多かったが,やがて言語地理学は留学生たちの故国で盛んになった。最後はスイスに帰り,そこで息を引き取る。
→言語地理学
執筆者:柴田 武
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
スイス生まれのフランスの言語学者。ドイツのウェンケルG. Wenker(1852―1911)と並んで、言語地理学の創始者とされる。民間の方言研究家を調査員として、フランス国内639地点で実地調査を行い、その資料を単語ごとに約2000枚の地図にし、『フランス言語図巻(ALF)』Atlas Linguistique de la France(1902~1912)として出版した。その結果わかった方言の地理的分布を基に多くの論文を書き、場所による言語の違いがどんな原因で生まれたかを説明しようとした。当時の言語学者が考えたような、例外のない規則的な発音の変化だけでなく、もっといろいろな原因でことばが変わると主張した。この影響で、欧米各国で方言の地理的分布を調べることが盛んになった。
[井上史雄 2018年6月19日]
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