スカトロジー(その他表記)scatology

翻訳|scatology

デジタル大辞泉 「スカトロジー」の意味・読み・例文・類語

スカトロジー(scatology)

糞尿ふんにょう排泄はいせつ行為についての話。また、それを好んで話題にする趣味、特に文学作品。スカトロ。

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精選版 日本国語大辞典 「スカトロジー」の意味・読み・例文・類語

スカトロジー

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] scatology ) 糞尿や排泄行為を好んで話題に取りあげるような趣味、嗜好。特に、文学における汚穢(おわい)趣味、糞尿のイメージによる表現方法をいう。
    1. [初出の実例]「スカトロジイの御趣味について一席ぶってたところだから」(出典:狂風記(1971‐80)〈石川淳〉五一)

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改訂新版 世界大百科事典 「スカトロジー」の意味・わかりやすい解説

スカトロジー
scatology

本来は〈糞便学〉を意味したが,転じて今日では〈糞尿趣味〉〈糞尿譚〉を意味する語。ギリシア語のskatos(糞便の)を語源とする。ちなみに糞便の臭気のもとである物質はスカトールscatoleという。スカトロジーという言葉が用いられるようになったのは19世紀後半であるが,糞尿への関心は古くから存在していた。神話や伝承にその例が見られ,たとえば《古事記》には,伊弉冉尊(いざなみのみこと)の大便小便から生まれた神(大便からは波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ)と波邇夜須毘売神(はにやすびめのかみ),小便からは弥都波能売神(みつはのめのかみ))が出てくる。しかしこの種のもの,あるいは糞尿や便所(厠)にまつわる土着信仰,迷信などはスカトロジーとは別の,広大な民俗学の分野に属しており,ここでは除外して,範囲をおもに近代以降の文学に限定して概観するにとどめたい。

 文学作品の中には,洋の東西を問わず,日常生活では汚物として嫌忌されている糞尿のイメージを意識的に用いたものがある。それを〈文学的スカトロジー〉と総称するとして,そこには大別して二つの異なる傾向,型が見られる。一つは〈解放型・ルネサンス型〉,もう一つは〈挫折型・実存型〉である。

 〈解放型〉の代表的な例としてはボッカッチョの《デカメロン》,チョーサーの《カンタベリー物語》,ラブレーの《ガルガンチュアパンタグリュエルの物語》,あるいはバルザックの《風流滑稽譚》(1832-37)などがある。たとえば《第一之書ガルガンチュア》の第13章〈尻をふく妙法を創案したガルガンチュアの優れた頭の働きをグラングゥジエが認めたこと〉では,産毛のもやもやしたガチョウの子の首をまたに挟んで尻をふくのが最高だ,といった話がながながと続く。また《風流滑稽譚》のなかの〈ルイ11世飄逸記〉には,宮廷に招いた客に下剤入りの酒を飲ませ,一方,便所は貴婦人をかたどった人形でふさいでおいて,激しい便意をこらえかねて垂れ流す客の様をながめて楽しむ,といった話が語られている(同じ趣向の話は,それよりも古い《今昔物語集》にすでに見られる)。なお,19世紀フランス文学では,バルザック以後フローベール,ゾラなど自然主義系統の作家の内に,スカトロジーの傾向を指摘することができる。このように〈解放型〉のスカトロジーにあっては,糞尿イメージは滑稽や笑いに結びついている。糞便を嫌忌すべきものとして隠ぺいするのでなく,自然な排泄行為の結果として肯定し,それをおおらかに笑うのである。スカトロジックな傾向をもつH.ミラーは,《暗い春》(1936)のなかで次のように書く。性とともに排泄あるいは肛門など人間の〈動物的起源〉を隠ぺいしようとする偽善的良識を笑うために,スカトロジックなイメージを利用するのだ,と。

 他方,〈挫折型〉においては,スカトロジーは滑稽というよりもむしろ陰惨であり,かならずしも笑いとは結びつかない。〈解放型〉を〈陽〉とすれば,こちらは〈陰〉である。この代表がスウィフトで,《ガリバー旅行記》はあまりにも有名である。全身黄色に染まって糞便の食品化の実験に没頭する科学者,糞便の色,におい,味,濃度などによって人間の思想を判断しうると考える教授など,スカトロジックなエピソードがふんだんに出てくる。しかしここには,人間の欲望の解放にともなう明るい笑いはない。それは作者が自己の深い挫折感,ペシミズム,人間憎悪などの感情のはけ口を糞尿のイメージに求めているからだと解釈できる。この型に属するもうひとりの作家としてサドを挙げることができる。彼もまた当時の社会に対するラディカルな反逆児であり,それゆえ深い疎外感を抱いていた。サドの場合は,糞尿は性的要素とからみ合っている。この特徴はその後のフランスのスカトロジーに共通するものとなった。20世紀後半に入ると,実存主義文学がこれと結びつく。ジュネ,セリーヌ,G.バタイユらがその例である。現代アメリカ文学におけるスカトロジックな傾向も見落とせない。例えばN.メーラーがそうである。アメリカ社会での人間疎外がブラック・ユーモアを生み出し,その一要素としてしばしば糞尿のイメージが用いられている。また,現代韓国の詩人,金芝河の長編譚詩《糞氏物語》(1973?)も注目すべき作品である。妓生観光に訪れた日本人が,朝鮮民族の英雄の銅像のてっぺんから多量の糞便を垂れ流すというイメージは,たんなる社会風刺でなく,この詩人の深い挫折感(〈恨(ハン)〉)と結びついたスカトロジーとして評価されるべきであろう。

 最後に,日本文学におけるスカトロジーについて概観しよう。日本社会には,糞尿との親近性,糞尿への寛容とでも呼ぶべき文化的伝統があり,それを背景として,江戸の川柳をはじめ,落語や小話がいわば無自覚的に糞尿や屁(へ)を扱ってきた。もっとも,18世紀には平賀源内(風来山人)が〈憤激と自棄〉を動機とした《放屁論》(1774)を著している。日本における〈挫折型〉スカトロジーの先駆的作品といえるだろう。また近代に入ると,《今昔物語集》に材を求めて芥川竜之介が《好色》(1923)を,谷崎潤一郎が《少将滋幹の母》(1950)を書く。しかし糞尿のイメージを,趣味的にでなく,作家の内面の象徴として意識的に用いたのは火野葦平の《糞尿譚》(1937)や,戦後の武田泰淳《愛′のかたち》(1948),田中英光《酔いどれ船》(1949),高見順《この神のへど》(1954)などである。これらに共通するのは,挫折した主人公の自己否定の衝動のはけ口として,糞尿イメージが用いられている点である。《酔いどれ船》と《この神のへど》の主人公は戦中の共産主義運動からの脱落者,《愛′のかたち》の主人公も敗戦による深い挫折感を抱く人間である。自己を忌むべきものとして糞便にまみれさせたい,という自己破壊欲という点で,スウィフトにつながる型と見てよい。このほかに〈糞尿学者(スカトロジスト)ビン〉にスカトロジーについての考察を行わせている野坂昭如《てろてろ》(1971)などが興味深い。また,古今東西のスカトロジー文学を考察したエッセーとして山田稔の《スカトロジア》(1966)があり,1980年には《放屁抄》の作者安岡章太郎によってスカトロジーのアンソロジーというべき《ウィタ・フンニョアリス》が編まれた。
尿 →(ふん) →(へ)
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世界大百科事典(旧版)内のスカトロジーの言及

【糞】より

…なお,混濁,渾濁(こんだく)と同義にも用いられる溷濁は,元来は糞尿のような汚濁をいう。 糞便およびそのイメージを愛好したり,はなはだしきは好んで食べる人(これを食糞coprophagiaという)がおり,スカトロジー(糞便学)や精神医学の対象となる。アフリカのバクツ族のように,女性が家畜の糞や粘土を油で練って全身に塗り,臭気ただよう陰部を男性に見せて求愛し,男がこれに性欲をそそられるというのは性風俗の際だった違いと映るが,もともと哺乳動物の性器は肛門の近くにあって,性器のにおいと糞便のにおいは混じり合うから,人間の糞便愛好もあながち異常と断じきれない。…

※「スカトロジー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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