ミラー(読み)みらー(英語表記)William Hallowes Miller

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミラー」の意味・わかりやすい解説

ミラー(Arthur Miller)
みらー
Arthur Miller
(1915―2005)

アメリカの劇作家。10月17日、ニューヨークマンハッタンに生まれ、高校卒業後さまざまな職を転々としたのちミシガン大学に入学。在学中に書いた戯曲で賞を得て劇作家としての道を歩む。卒業後しばらくラジオドラマを手がけ、実験的作品を発表する。1947年、実業界の非人間性と良心の問題、父と子の対立を扱った『みんな我が子』でニューヨーク劇評家賞を受賞する。1949年に初演された『セールスマンの死』によって、ニューヨーク劇評家賞、ピュリッツァー賞をはじめ、そのほかおびただしい賞を受け、一躍世界的劇作家としての地位を築いた。この作品は、巨大な文明機構のもとで挫折(ざせつ)し敗北していく人間、家庭の崩壊、自己実現の可能性、人間の運命などの問題を、現実と幻想とが交錯する実験的な舞台空間を通じて描き出し、主題の普遍性とあわせて新鮮な舞台演出が注目を浴びた。ついで、17世紀植民地の魔女裁判に題材をとり、集団ヒステリーの狂暴な力とマッカーシズム(赤狩り)旋風下のアメリカの政治状況とを重ね合わせた『るつぼ』(1953)、ギリシア悲劇の骨格を借りて、人間のゆがんだ情念を歴史的眺望のうちに描いた『橋からの眺め』(1955。ピュリッツァー賞)などを発表したが、そのあとしばらく沈黙の時期が続く。その間、女優マリリン・モンローとの結婚と離婚で世間を驚かせた。1964年『転落の後に』『ビシーでの出来事』の2作を発表、前者は二度目の妻モンローをモデルにした自伝的作品とみなされ、後者はナチス支配下のユダヤ人問題を扱ったもので、ともに人間に内在する罪の意識を描いている点に特色がある。

 1968年の『代価』は、ミラー劇特有の家庭劇のスタイルで、家族の対立を描いている。ここでも、成功の代価としての罪悪感と、幸福の代価としての自己犠牲が対比される。1993年の『ザ・ラスト・ヤンキー』は風変わりな作品である。精神科病院の待合室を舞台に、現代の社会に充満しているストレス、個人と社会とのかかわり、家族関係が描かれていて、例によってミラーに特有の主題だが、作品のタイトルに象徴されるように、これはアメリカ国家の実像に対する批判が逆説的なかたちをとって表現されていることに注意を払う必要があるだろう。このほか小説、演劇論集があり、とくに現代における平凡人の悲劇を論じたエッセイ『悲劇と平凡人』(1949)は、大きな反響を呼び起こした。

 また、1987年には自伝『タイムベンズ』(邦訳『アーサー・ミラー自伝』)が出版された。このなかでミラーは時間を自由に飛躍させながら、彼が生きてきた時代の意味と、それまでに発表してきた作品との関連を位置づけようとする。これは自伝という形式にみられがちな単純な回想ではなく、芸術家としての自己主張が抑制のきいた、真摯(しんし)な筆致で表現されているのが特色である。一つの例をあげれば、マリリン・モンローとの結婚についてのゴシップを標的にする商業主義の堕落や偏見などに鋭い批判の目を向け、彼女を暖かい目で見守っている。あるいは、『セールスマンの死』で代表されるユダヤ的アイデンティティー(時間と空間の飛躍による歴史感覚)、人間の責任(罪と道徳)、家族の連帯と崩壊といったミラー劇に特有の主題がこの自伝でも明瞭(めいりょう)に語られているのである。

 ミラーはしばしば「アメリカのイプセン」とよばれた。それは、彼の作品が、いわゆる道徳的、倫理的リアリズムの系譜に属する主題が多いためである。同時に『セールスマンの死』にみられるように、彼は時間と空間の交錯という舞台技巧を駆使する実験的劇作家でもあった。こうした劇的リアリティーや劇的認識についての果敢な実験や試みが、ミラーの今日性を示すものである。

[有賀文康]

『倉橋健訳『アーサー・ミラー全集』全6巻(1974~98・早川書房)』『倉橋健訳『アーサー・ミラー自伝』上下(1996・早川書房)』『有泉学宙訳『アーサー・ミラー小説集』(1994・鷹書房プレス)』『佐多真徳著『アーサー・ミラー――劇作家への道』(1984・研究社出版)』『トーマス・E・ポーター著、有泉学宙・有賀文康訳『神話と現代アメリカ演劇』(1997・国書刊行会)』『川野美智子著『現代史を告発する――アーサー・ミラーの半世紀』(2000・英宝社)』


ミラー(Henry Miller)
みらー
Henry Miller
(1891―1980)

アメリカの小説家。12月26日ニューヨーク州ヨークビルに生まれ、ブルックリンで育った。ニューヨーク市立大学を中退後、国内を放浪、1917年、26歳のときビートリス・ウィケンズと結婚、1920年から1924年までウェスタン・ユニオン電信会社の雇用主任を勤めた。しかし、1923年、彼に大きな影響を与えることになるジューン・スミスと出会い、ビートリスと離婚したあとジューンと結婚、定職にはつかないまま、貧困と闘いつつ、創作の修業に励んだ。国籍離脱者の「失われた世代(ロスト・ジェネレーション)」たちが本国帰還を行っていた1930年、パリに出かけて行き、『北回帰線』(フランス1934、アメリカ1961)の出版によって作家としての地歩を築く。1939年帰国、1942年からは、ビッグ・サーなどカリフォルニア州から終生離れることなく、1967年には日本人のジャズ・ピアニスト徳田浩子(ホキ徳田)を五度目の妻に迎えて日本への関心を深めたが、1980年6月7日没した。その作品は、ラブレー的な語りに作家自身の情感、信念、感覚をちりばめた本質的に自伝的なもので、強烈な個人主義、自由や自然な衝動への愛、人間普遍の衝動を阻害するすべてのものに対する嫌悪、知的神秘的な冒険の追求、機械文明の非人間化の圧力に対する呪詛(じゅそ)などで一貫している。

 なかでももっとも有名な小説『北回帰線』は、パリでのボヘミアン生活を超現実主義、平板な現実主義的手法による挿話、作者自身の印象、観想の列挙などで描いたもので、その根底には「何よりわいせつなのは無気力である」という主張があふれている。さらに超現実主義的な色彩を濃くした文体で、二度目の妻ジューン・スミスとの熱烈な恋愛、その愛による自己の精神的な蘇生(そせい)を描いたのが『南回帰線』(1939)である。『セクサス』(1949)、『プレクサス』(1953)、『ネクサス』前編(1960)からなる『薔薇色の十字架』三部作は、もっと平易な、一部小説風、一部エッセイ風の文体で、『南回帰線』と同時期の作家の愛の生活を語ったもの。これらはその大胆な性描写のためアメリカでは発禁となったが、1965年に至って禁が解かれた。これら自伝小説のほか、旅行記『マルーシの巨像』(1941)、『冷房装置の悪夢』(1945)、『追憶への追憶』(1947)、あるいはエッセイ集『心情の英智(えいち)』(1941)などにおいて、非人間化と自然な情動の発露の阻止と人間疎外を強いる現代文明を批判罵倒(ばとう)し、真の個性の形成と新しい生命の源を追求している。また水彩画家としてもよく知られ、画集も出版されている。

[筒井正明]

『大久保康雄他訳『ヘンリー・ミラー全集』全13巻(1965~1971・新潮社)』


ミラー(Merton Howard Miller)
みらー
Merton Howard Miller
(1923―2000)

アメリカの経済学者。ボストン生まれ。ハーバード大学に学び、1952年にジョンズ・ホプキンズ大学で博士号を取得。ジョンズ・ホプキンズ大学、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス、カーネギー工科大学(現カーネギー・メロン大学)を経て、1965年にシカゴ大学教授に就任。1976年にはアメリカ・ファイナンス学会会長も務めた。1990年に、H・M・マルコビッツ、W・F・シャープとともにノーベル経済学賞を受賞した。受賞理由は「モディリアーニ‐ミラー理論によって企業金融理論の基礎を構築したことへの貢献」であった。

 1958年、F・モディリアーニ(1985年にノーベル経済学賞受賞)との共同論文「The Cost of Capital, Corporation Finance, and the Theory of Investment.」において、企業金融、財務分析での基本理論である「モディリアーニ‐ミラー理論」(MM理論)を発表する。企業の価値が資本構成や配当政策に依存せず、投資計画は資本コストに無関係に決定されるとする法則を導き出した。

 デリバティブ取引の意義を強調し、デリバティブが有する金融取引のリスク管理手段、リスクと収益の調整手段、市場における価格発見機能の役割を高く評価する。

[金子邦彦]

『齋藤治彦訳『デリバティブとは何か』(2001・東洋経済新報社)』


ミラー(George Armitage Miller)
みらー
George Armitage Miller
(1920―2012)

アメリカの心理学者。ウェスト・バージニア州のチャールストンの生まれ。1940年アラバマ大学卒業後、ハーバード大学で心理学を専攻、1946年学位をとり、続いて同大学助手、準教授を務め、1951~1955年マサチューセッツ工科大学準教授、その後、ハーバード大学、プリンストン大学マサチューセッツ工科大学などに所属。研究分野は聴覚、言語、コミュニケーション理論、心理言語学、認知説などを含む幅広い領域である。共同研究者のなかにはチョムスキーがおり、またギャランターEugene Harrison Galanter(1924―2016)、プリブラムKarl Harry Pribram(1919―2015)との共同研究からは、TOTE(test-operate-test-exit)を単位とする行動システムの構想が生まれた。著書に『心理学の認識』(1962)などがある。

[宇津木保 2018年11月19日]

『戸田壱子・新田倫義訳『心理学の認識――ミラーの心理学入門』(1967・白揚社)』『G・A・ミラー著、高田洋一郎訳『心理学への情報科学的アプローチ』(1972・培風館)』『G・A・ミラー他著、十島雍蔵他訳『プランと行動の構造――心理サイバネティクス序説』(1980・誠信書房)』『G・A・ミラー著、無藤隆・久慈洋子訳『入門ことばの科学』(1983・誠信書房)』『ミラー著、無藤隆・青木多寿子・柏崎秀子訳『ことばの科学――単語の形成と機能』(1997・東京化学同人)』


ミラー(Neal Elgar Miller)
みらー
Neal Elgar Miller
(1909―2002)

アメリカの心理学者。ウィスコンシン州ミルウォーキーの生まれ。ワシントン大学、スタンフォード大学に学び、1935年エール大学で学位をとり、1936年までウィーンの精神分析学研究所に留学し、その後は主としてエール大学の人間関係研究所に所属、1966年からロックフェラー大学教授。1930年代から1940年代にかけてのエール大学の人間関係研究所はC・L・ハルをリーダーとして数多くの優れた心理学者を集めたが、ミラーはその中心人物の一人であった。彼の研究には精神分析的な考え方の影響が強く、刺激‐反応理論を拡張して葛藤(かっとう)行動や動機づけや社会的学習の領域にまでそれを適用しようとした共同研究が多い。著書に『欲求不満と暴力』(1939)、『社会的学習と模倣』(1941)、『人格と心理療法』(1950)などがある。

[宇津木保]

『山内光哉他訳『社会的学習と模倣』(1956・理想社)』『宇津木保訳『欲求不満と暴力』(1959・誠信書房)』『河合伊六他訳『人格と心理療法』(1972・誠信書房)』


ミラー(Mitch Miller)
みらー
Mitch Miller
(1911―2010)

アメリカの指揮者、編曲家、プロデューサー、オーボエ奏者。ニューヨーク州ロチェスター生まれ。本名ミッチェル・ウィリアムズMitchell Williams。12歳からオーボエを吹く。1932年イーストマン音楽学校を卒業後、ロチェスター交響楽団のオーボエ奏者となり、1936年から11年間CBS放送管弦楽団でオーボエ独奏者を務めた。1948年からジャズを含む多くの録音に参加。マーキュリー・レコードを経て、1950年からコロンビア・レコードでプロデューサーを務める。フランキー・レインFrankie Laine(1913―2007)、ローズマリー・クルーニーRosemary Clooney(1928―2002)などの歌手のプロデュースを手がけ多くのヒットを生んだ。1955年に合唱を使った『テキサスの黄色いバラ』The Yellow Rose of Texasが大ヒット。1958年に男声合唱団「ギャング」(仲間の意)を結成、アルバム『ミッチと歌おう』Sing-Along with Mitchがミリオン・セラーを記録する。NBCテレビで1961年1月から1966年9月まで人気番組「ミッチと歌おう」を放映。懐かしい名曲を素朴なスタイルで合唱して親しまれたが、70年代に現役を引退した。

[青木 啓]


ミラー(Oskar von Miller)
みらー
Oskar von Miller
(1855―1934)

ドイツの電気工学者。ミュンヘンに生まれ、同地の技術高等学校に学んだ。バイエルンの土木実習技師として1881年パリ電気博覧会を視察、電気技術の重要性を知り、翌1882年ミュンヘン電気博覧会を成功させた。1883年、ラーテナウとともにAEG(アーエーゲー)社の前身ドイツ・エジソン応用電気会社を設立。1891年のフランクフルト電気博覧会で175キロメートルの遠距離送電実験を成功させるなど、ドイツ電気事業の発展に貢献した。1903年以来ドイツ博物館の設立を準備し、1925年開館、館長に就任。1929年(昭和4)日本主催の万国工業会議に来日、技術博物館の重要性を強調した。

[高橋智子]


ミラー(Willoughby Dayton Miller)
みらー
Willoughby Dayton Miller
(1853―1907)

アメリカの歯科医学者。オハイオ州生まれ。ミシガン大学理学部に学び、ついでエジンバラ大学ベルリン大学に留学した。ベルリンでは、のちにペンシルベニア大学歯学部長となったトルーマンJames Truman(1826―1914)やアメリカ人歯科医アボットFrank Abott(1836―1897)と交際、歯科医学に興味をもち、1877年にアメリカに帰り、ペンシルベニア大学で歯科医学を修め、再度ベルリンに行き、R・コッホのもとで細菌学の研究に従事し、やがてベルリン大学歯科の教授となった。多くの業績のなかでも『口腔(こうくう)の微生物学』(1889)は広く知られる。彼の研究は歯科医学を自然科学として成立させるのに貢献した。1907年、ミシガン大学歯学部長就任のためにアメリカに帰ったが病死した。

[本間邦則]


ミラー(William Hallowes Miller)
みらー
William Hallowes Miller
(1801―1880)

イギリスの鉱物学者。ウェールズに生まれる。ケンブリッジ大学を卒業。1832~1870年ケンブリッジ大学の鉱物学教授を務める。結晶学のほか、流体力学、静水力学に関する研究がある。とくに結晶面を定義づける指数(h,k,l)を最初に使用した。これを「ミラー指数」あるいは「ミラー記号」とよぶ。主著に『結晶学論』Treatise on Crystallography(1839)がある。英国学士院会員。フランス科学アカデミー会員。

[松原 聰]


ミラー(Glenn Miller)
みらー
Glenn Miller
(1904―1944)

アメリカのジャズ・トロンボーン奏者、編曲者、指揮者。アイオワ州生まれ。1926年ベン・ポラック楽団に参加。編曲者として注目され、37年に楽団を結成。クラリネットがリードするサックス群とブラス群を対応させた独自のスタイルを確立し、『ムーンライト・セレナード』『イン・ザ・ムード』などのヒットで高い人気を得た。第二次世界大戦で軍楽隊の指揮者になり、パリへ飛ぶ途中に行方不明。その後もミラー楽団は活動を続行している。伝記映画『グレン・ミラー物語』(1953)がある。

[青木 啓]

『G・サイモン著、柳生すみまろ訳『グレン・ミラー物語』(1987・晶文社)』


ミラー(Perry Miller)
みらー
Perry Miller
(1905―1963)

アメリカの批評家。ハーバード大学教授。アメリカのピューリタニズムおよびその文学への影響の研究で知られる。主著は『ニューイングランドの精神』二巻(第一巻『17世紀』1939、第二巻『植民地より地方へ』1953)。そのほか『ジョナサン・エドワーズ』(1949)、『アメリカ清教徒』(1956)、ポーやメルビル期の文学的状況を論じた『烏(からす)と鯨』(1956)、アメリカ超絶主義作家の作品選集(1957)などがある。

[牧野有通]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ミラー」の意味・わかりやすい解説

ミラー
Miller, Merton H.

[生]1923.5.16. マサチューセッツ,ボストン
[没]2000.6.3. イリノイ,シカゴ
マートン・H.ミラー。アメリカ合衆国の経済学者。フルネーム Merton Howard Miller。フランコ・モジリアーニ(1985年ノーベル経済学賞受賞)とともに提唱した,企業の資本構成に関するモジリアーニ=ミラー理論(MM理論)で知られる。1990年ハリー・マーコウィッツ,ウィリアム・F.シャープとともにノーベル経済学賞(→ノーベル賞)受賞。
1944年ハーバード大学を卒業後,財務省に勤務。1952年ジョンズ・ホプキンズ大学で経済学の博士号を取得。カーネギー工科大学(現カーネギー・メロン大学)で教えたあと,1961年にシカゴ大学経営大学院に招かれ金融学教授となる。1976年アメリカ金融協会会長,1983~85年シカゴ商品取引所部長,1990~2000年はシカゴ・マーカンタイル取引所理事を歴任。1958年にマサチューセッツ工科大学のモジリアーニとともに発表した MM理論では企業の資本構成や配当政策,企業価値,資本コストの関係を説明した。つまり製造企業がその運営資金をどのように調達するかは企業活動における収益性よりも重要ではないということである。ミラーの研究の基礎は,マーコウィッツとシャープに負うところが多く,二人とともに長年にわたる金融理論での功績によってノーベル経済学賞が授与された。主著に E.F.ファーマンと共著の『金融理論』 The Theory of Finance (1972) などがある。

ミラー
Miller, Bode

[生]1977.10.12. ニューハンプシャー,イーストン
アメリカ合衆国のアルペンスキー選手。フルネーム Samuel Bode Miller。ホワイト山地の奥深くに生まれ,自称ヒッピーの両親のもと電気も水道もない森の奥の家で育ち,小学校4年生まで家庭で教育を受けた。天性の運動能力に恵まれ,高校時代にはサッカーとテニスの州大会で優勝し,ゴルフにも熱中。スノーボードも得意だったが,最終的にスキーに的を絞る。2002年ソルトレークシティー・オリンピック冬季競技大会大回転および複合で銀メダルを獲得。2003年の世界選手権大会では大回転と複合で金メダルを勝ちとり,世界選手権の同一大会で二冠に輝いた初のアメリカ人選手となった。2005年にはワールドカップで総合優勝。2006年のトリノ・オリンピック冬季競技大会では 5種目に出場したがメダルを逃す。2008年にはワールドカップで 28勝目を記録してフィル・メーアのアメリカ記録を更新し,2度目のワールドカップ総合優勝も達成した。ミラーはワールドカップ 32勝の記録を打ち立てたが,この記録は 2010年にリンゼー・ボンに破られている。2010年のバンクーバー・オリンピック冬季競技大会では複合で初のオリンピック金メダル,スーパー大回転で銀メダル,滑降で銅メダルを獲得した。

ミラー
Miller, Arthur

[生]1915.10.17. ニューヨーク
[没]2005.2.10. コネティカット,ロックスベリー
アメリカの劇作家。ミシガン大学在学中から戯曲を書いたが,第2次世界大戦中の軍需工場主と息子の対立を扱った『みんな我が子』 All My Sons (1947) でニューヨーク劇評家賞を獲得,次いで老セールスマンの挫折と破滅を描いた『セールスマンの死』 Death of a Salesman (1949) でニューヨーク劇評家賞とピュリッツァー賞を受賞し,戦後のアメリカを代表する劇作家として地位を確立した。その後 17世紀に実際に起こったセーレムの魔女裁判を題材にジョゼフ・マッカーシー議員の「赤狩り」を批判した『るつぼ』 The Crucible (1953) ,移民の問題を題材にした『橋からの眺め』A View from the Bridge (1955,ピュリッツァー賞) ,2度目の妻マリリン・モンローとの生活の破局を描いた半自伝的戯曲『転落の後に』 After the Fall (1964) ,ナチスのユダヤ人狩りから人間の原罪を考察した『ヴィシーでの出来事』 Incident at Vichy (1964) ,巡査の兄と成功した外科医の弟との心理的葛藤に焦点をあてた『代価』 Price (1968) などを発表。一貫して社会と個人との関係,人間の尊厳を追求した。ほかに小説,ラジオ・ドラマ,評論などがある。

ミラー
Miller, Henry (Valentine)

[生]1891.12.26. ニューヨーク
[没]1980.6.7. カリフォルニア,パシフィックパリセーズ
アメリカの小説家。ニューヨーク市立大学を中退後,さまざまな職業に従事しながら国内を放浪した。 1930年にヨーロッパに渡り,パリで飢餓と隣合せの生活をおくる。その間,自伝的小説『北回帰線』 Tropic of Cancer (1934) ,『黒い春』 Black Spring (36) ,『南回帰線』 Tropic of Capricorn (39) などを書いた。 40年帰国,各地を転々としたのちカリフォルニア州ビッグサーに定住。『セクサス』 Sexus (49) ,『プレクサス』 Plexus (53) ,『ネクサス』 Nexus (60) から成る3部作『ばら色の十字架』 The Rosy Crucifixionや『クリシーの静かな日々』 Quiet Days in Clichy (56) ,評論『性の世界』 The World of Sex (40,新版 57) ,ギリシア紀行『マルーシの巨像』 The Colossus of Maroussi (41) ,アメリカ文明論『冷房装置付きの悪夢』 The Air-Conditioned Nightmare (45) および『思い出すために覚えておけ』 Remember to Remember (47) ,『わが生涯の読書』 The Books in My Life (52) などを発表した。水彩画家としても知られ絵画論がある。大胆な性描写により代表作のほとんどが発禁処分を受けたが,ビート・ジェネレーションなど若い作家たちに大きな影響を与えた。 67年に日本人ピアニスト,ホキ徳田と5度目の結婚をした。

ミラー
Miller, Stanley Lloyd

[生]1930.3.7. カリフォルニア,オークランド
[没]2007.5.20. カリフォルニア,サンディエゴ
アメリカ合衆国の生化学者。 1951年カリフォルニア大学卒業,1954年シカゴ大学で博士号取得。カリフォルニア大学サンディエゴ校の助教授 (1958~60) ,准教授 (1960~68) ,1968年から教授。アレクサンドル・I.オパーリンによると地球上に最初の生物が出現するためには,それ以前に,原始大気中にアミノ酸などの有機物が存在していなければならない。ミラーはそれが十分に可能であることをハロルド・C.ユーリー指導のもとに,1953年に実験によって証明した。ミラーは原始地球の大気を想定してつくった,水素,水蒸気,メタン,アンモニアからなる混合気体を容器に封じ込め,その中で雷の代わりに火花放電を行なって,アミノ酸や乳酸を生じさせた。これはオパーリン説に対して有力な論拠を提供したばかりでなく,生命の起原に関する問題を実験によって研究する道を開いた。

ミラー
Miller, David Hunter

[生]1875.1.2. ニューヨーク
[没]1961.7.21. ワシントンD.C.
アメリカの国際法専門家。ニューヨーク法学院卒業。 1911~29年法律実務につき,その間パリ講和会議 (1917~19) の資料準備にたずさわり,同会議のアメリカ代表団法律顧問として国際連盟規約の起草に協力した。 29~44年国務省に勤務,30年ハーグで開かれた国際法典編纂会議のアメリカ代表にもなった。『パリ講和会議日記』 My Diary at the Conference of Paris,with Documents (24~26) の著者,『合衆国条約集』 Treaties and Other International Acts of the United States of America (31~48) の編者でもある。

ミラー
Miller, Joaquin

[生]1837.9.8. インディアナ,リバティ付近
[没]1913.2.17. カリフォルニア,オークランド
アメリカの詩人。本名 Cincinnatus Hiner (Heine) Miller。家族とともに西部に移住,インディアンと生活したり,新聞記者や判事をつとめたりしたが,1868年,西部の地方色豊かな詩集『標本』 Specimensを発表。 70年イギリスに渡り,『シエラ山脈の歌』 Songs of the Sierras (1871) などで好評を得,「オレゴン州のバイロン」といわれたが,アメリカではロマンチックにすぎるとして不評だった。ほかに,戯曲,自伝,小説など。

ミラー
Miller, Neal E(lgar)

[生]1909.8.3. ウィスコンシン,ミルウォーキー
[没]2002.3.23. コネティカット,ハムデン
アメリカの心理学者。エール大学教授を経て,1966年ロックフェラー大学教授。 C.L.ハルの門下生であるが,ウィーンの精神分析学研究所に学んだ影響で,S=R (刺激=反応) 理論に立ちながら,不安,動機,パーソナリティ研究に従事。主著『フラストレーションと攻撃』 Frustration and Aggression (1939,J.ドラードと共著) ,『社会的学習と模倣』 Social Learning and Imitation (1941,J.ドラードと共著) 。

ミラー
Miller, Glenn

[生]1904.3.1. アイオワ,クラリンダ
[没]1944.12.15.
アメリカのジャズ楽団指揮者,トロンボーン奏者。 1920年代後半からジャズ・トロンボーン奏者として活躍,1937年に楽団を結成し,全米最高の人気を博した。 42年に応召して空軍バンドを指揮,44年空軍大尉としてイギリスからパリに向う途中,飛行機事故で死亡した。 53年には伝記映画が制作された。サックス・セクションを中心にした甘美な編曲や『セント・ルイス・ブルース』などのジャズの名曲をマーチに編曲したことで知られる。代表作『ムーンライト・セレナーデ』『茶色の小びん』。

ミラー
Miller, Jonathan (Wolfe)

[生]1934.7.21. ロンドン
イギリスの俳優,作家,演出家。精神科医と小説家の両親のもとに生れ,ロンドン大学で医学を学ぶ。4人の登場人物によるレビュー『ビヨンド・ザ・フリンジ』 Beyond the Fringe (1961) の共作者の一人となり,みずから出演もして成功。 1973~75年ナショナル・シアターの演出家をつとめ,『フィガロの結婚』 (74) などを演出。その後オペラを多く手がける一方,医学書"The Body in Question" (78) を出版するなど幅広く活躍する。 88年オールド・ビック劇場の芸術監督に就任。

ミラー
Miller, Samuel Freeman

[生]1816.4.5. ケンタッキー,リッチモンド
[没]1890.10.13. ワシントンD.C.
アメリカの法律家。初めケンタッキーで医者を開業。 1847年以降弁護士として活躍。 50年奴隷州を嫌ってアイオワに移り,同地の共和党の結成に尽力しその指導者となる。 62~90年最高裁判所判事をつとめ,連邦憲法修正第 14条を連邦政府の規制から実業を保護するために利用することに強く反対。また連邦政府の権限は黒人の政治的・社会的平等の問題には及ばないという判断を示したが,黒人の投票権を連邦が保護することを支持した。

ミラー
Millar, Gertie

[生]1879.2.21. ヨークシャー,ブラッドフォード
[没]1952.4.25. チディングフォード
イギリスの女優。子役として出発し,1899年ロンドンでデビュー。 1901年から7年間ゲイエティ劇場で,ゲイエティ・ガールズの花形として人気を集めた。 18年に引退。ダッドリー伯爵夫人。

ミラー
Miller, Gerard Friedrich

[生]1705
[没]1783
ドイツの歴史家,古文書学者。 1725年ペテルブルグ学士院の研究生となり,33年 V.ベーリングの第2回探検に参加。その間おもに地理,歴史に関する文献を収集するかたわら,シベリア先住民の生活を研究した。主著『シベリア史』 Istoriya Sibiri。

ミラー
Miller, William

[生]1782.2.15.
[没]1849.12.20.
アメリカの熱狂的宗教家。キリストの間近な再臨を信仰の中心におく「ミラー主義」運動の指導者。主著『時のしるし』 Signs of the Times,『真夜中の叫び』 Midnight Cry。

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