作家。東京の生れ。号,澄江堂主人など。俳号は我鬼。生後7ヵ月にして母の発狂のため,その実家芥川家に養育され,幼少年期を下町の本所に過ごす。養家は代々お数寄屋坊主を務め,その家系につたわる文人的・遊芸的気分はおのずからに彼の作風に影響を与え,その文人趣味とともにすぐれた鑑賞家の眼を育てた。府立三中,一高を経て1916年,東大英文科を卒業後,海軍機関学校の英語教官として19年まで勤めた。16年2月発刊の第4次《新思潮》に発表の《鼻》が,師夏目漱石の推挽を受け文壇に登場。翌17年には第1創作集《羅生門》を刊行。その多彩な文体の変化と巧緻をきわめた構想の妙を示す短編の数々に独自の世界をひらき,たちまちに大正文壇の寵児となった。その題材も《羅生門》(1915),《芋粥》(1916),《地獄変》(1918),《六の宮の姫君》(1922)など王朝の説話集に材をとった王朝もの,《奉教人の死》(1918)や《神神の微笑》(1922)のごとき切支丹もの,《戯作三昧》《或日の大石内蔵助》(以上1917)など江戸時代を舞台としたもの,《開化の殺人》(1918),《舞踏会》(1920)など明治初期に材をとった開化ものなどをはじめ多岐にわたったが,いずれもその鋭い人間批評とともに,また一面〈日本的優情〉とも呼ばれる繊細な抒情性をにじませ独自の短編世界を示した。そのすべてを作家のすぐれて意識的な試みと見る芸術観(《芸術その他》)は,やがて意識ならぬ無意識の世界,日常性そのものへの着目へと転移し,22年以後書き出される保吉もの(《保吉の手帳から》ほか)から《大導寺信輔の半生》(1925),《点鬼簿》(1926)などへと進むにつれ,己の出自をめぐる宿命への暗い凝視となる。その心身の衰弱のなかにも力編《玄鶴山房》や《河童》,珠玉の小品《蜃気楼》(以上1927)などに最後の光芒を見せつつ,やがて《或阿呆の一生》をはじめとする一連の遺稿の内にその作家的宿運の何たるかを語りつつ,27年7月24日未明,〈ぼんやりした不安〉の一句を遺書に残し,自裁の死をもって36年の生涯を閉じた。遺稿《歯車》や《西方の人》の語るその内なる西方と東方の相克,また日常性を“守らんとする”生活者の意識とこれを“超えんとする”芸術家の意識の葛藤などを基底とする,彼自身のいう“無数の分裂”こそは,芥川という作家の存在が,まさしく大正から昭和への架橋を意味していたことを告げるものであろう。
執筆者:佐藤 泰正
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(平岡敏夫)
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1892.3.1~1927.7.24
大正期の小説家。東京都出身。東大卒。乳児期に実母が発狂し,母方の実家で育てられた。東京帝国大学在学中の1914年(大正3)に第3次「新思潮」の同人となり,16年第4次「新思潮」の創刊号に発表した「鼻」が夏目漱石に絶賛され文壇にデビュー。初期作品には「羅生門(らしょうもん)」「芋粥(いもがゆ)」「地獄変」「奉教人の死」「戯作三昧(ざんまい)」「枯野抄」など古今東西の文献から材料をえて,さまざまなスタイルを工夫した技巧的作品が多い。その後しだいに現代小説や「点鬼簿」「歯車」など自己の周辺を描いた作品が増えていった。肉体や精神の衰弱,トラブル,自分の芸術への自信喪失などが重なり,27年(昭和2)自殺。
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…文芸春秋社を主宰していた菊池寛が旧友芥川竜之介を記念する意味と雑誌の発展,純文学の新人の発掘をめざして設定した文学賞。年2回。…
…芥川竜之介の短編小説。1927年(昭和2)3月《改造》に掲載。…
…ただ大正期に入ってこれら理想主義,人道主義の流れとは別にキリスト教思想とのかかわりが,より実存的な深さを示すようになる。すなわち〈浄罪詩篇〉を含む《月に吠える》(1917)によって現代詩への発端をひらいた萩原朔太郎や,遺稿《歯車》や《西方の人》に聖書によって問われる人間の実存的苦悩を描いた芥川竜之介などの登場が注目される。この系譜は昭和に入っては中原中也や太宰治の文学につながり,芥川における東方と西方の対立はその弟子堀辰雄を経て戦後の福永武彦や遠藤周作まで受け継がれてゆくこととなる。…
…
[影響]
18世紀に刊行されるまではきわめて限られた読者しかもたなかったらしく,直接の影響が認められる作品を見いだすのは困難である。近世の読本(よみほん)などには資料として用いられているが,一般にその文学としての価値が認められるのは近代に入ってからのことであり,とくに,芥川竜之介の作品や,〈野性の美〉を本書に見いだした彼の評論に触発されてのことである。説話文学【出雲路 修】。…
…芥川竜之介の短編小説。1918年(大正7)5月1~22日,《大阪毎日新聞》に連載。…
…その主流はロマンティックな未明童話を頂点とする物語性のゆたかなメルヘンで,子どもの現実生活をリアルに描いた作品は少なかった。代表的な作家には,秋田雨雀,芥川竜之介,有島武郎,宇野浩二,佐藤春夫,豊島与志雄たちがいる。 大正期には児童中心主義の児童観に応ずる童心文学の主張が支配的で,それが典型的に現れたのは北原白秋,西条八十,野口雨情に代表される童謡においてであるが,この近代的詩形が日本の伝承童謡の復興を詩の精神としたことは注目すべきである。…
…概してフランスの推理小説はなぞ解きパズルよりは,人間心理や物語性,社会・風俗に重点を置いている。
[歴史――日本]
明治時代の黒岩涙香などの翻訳・翻案によってイギリス,アメリカ,フランスの探偵小説(と当時は呼ばれていた)が日本に紹介されたが,創作の優れた作品といえば,大正期の谷崎潤一郎《途上》(1920),芥川竜之介《藪の中》(1922),佐藤春夫《女誡扇綺譚》(1925)などを待たねばならない。これらの作家はもちろん推理小説的作品だけを書いたわけではないが,後に日本最初の推理小説作家と呼ばれた江戸川乱歩,横溝正史(1902‐81)らは,上記の作品によって大きな刺激を受け,とくに怪奇,幻想の特色を受け継いだのであった。…
…だから〈象の鼻は長い〉と〈天狗の鼻は高い〉は日本語の枠組みの中でしか意味をもたないことになる。プトレマイオス朝エジプト最後の女王クレオパトラ7世の鼻が〈もう少し“短かった”ならeût été plus court〉世界の顔は変わっていただろうというパスカルのことばも,長短でなく高低で形容する日本人芥川竜之介は〈クレオパトラの鼻が“曲って”ゐたとすれば,世界の歴史はその為に一変してゐたかも知れないとは名高いパスカルの警句である〉(《侏儒の言葉》)と,court(短い)をcourbe(曲がった)に取り違えてしまった。プルタルコスの《英雄伝》はクレオパトラを魅力ある会話と交際術にたけた数ヵ国語を操る才媛(さいえん)として描いているが,美貌というほどではないとし,鼻には言及していない。…
…のち増補して《悪魔の辞典The Devil’s Dictionary》,1911)に発揮されて今日も読まれているが,一時はサンフランシスコやロンドンで華々しいジャーナリストとしての活躍ぶりを見せ,生前にみずから編集した12巻の全集(1909‐12)まで出版している作家であることを考えると,今日,上記の2冊のほかはあまり読まれないのは寂しい。芥川竜之介が早くからビアスに共鳴して日本に紹介したのは,みずからの資質に似たものをビアスに見たからであろう。【後藤 昭次】。…
…ブラウニングの詩は,複雑難解な事件や極度の抽象性,安易なオプティミズムなどの欠点はあるが,当時の科学進歩思想もとり入れ,非個性的な劇的性格やプロットの創造,作品にちりばめられた抒情詩の小品で重要な貢献をした。芥川竜之介の《袈裟(けさ)と盛遠》(1918)は,事件の核心を複数の人物が独自の立場から述べるブラウニングの〈劇的独白〉の形式を用いている。ブラウニングが詩的〈腹話術師〉といわれるのも無理はない。…
…芥川竜之介の短編小説。1915年11月《帝国文学》に掲載。…
…黒沢明監督作品。芥川竜之介の短編小説《藪の中》を基に,《羅生門》からのエピソードも加えて,橋本忍と黒沢が共同で脚本を書いた。平安の乱世の時代,都に近い山科のやぶのなかで起きた殺人をめぐる関係者と目撃者それぞれのくいちがう告白を,それぞれの視点で描き,それをオムニバス映画のように構成するという類のないユニークなスタイルで見せて,〈事実〉というものの多面性を浮き上がらせた。…
※「芥川竜之介」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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