スチリコ(その他表記)Stilicho, Flavius

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スチリコ」の意味・わかりやすい解説

スチリコ
Stilicho, Flavius

[生]365頃
[没]408.8.22. ラベンナ
西ローマ帝国の将軍ホノリウス帝の義父。ローマ人とバンダル人の混血で,父は傭兵隊長だった。軍隊頭角を現し,383年にはペルシア王のもとへ使者としておもむく。やがてテオドシウス1世の姪セレナを妻とし,帝国軍最高司令官となる。テオドシウス命令でその子ホノリウスの後見人となり,395年の東西分裂後は西方の実際上の支配者となって帝国の防衛に活躍した。東方帝の後見人 F.ルフィヌスと不和となり,これを殺させたが,以後は南下侵入をはかる西ゴート王アラリック1世と宿命的な抗争を続けた。 397年ギリシアにあるアラリックを撃退しようとしたが失敗。同年アフリカの貴族ギルドの乱が生じたが鎮圧に成功。 402年アラリックがイタリアに侵入,かろうじて交渉の末,退去させた。 405年には東ゴート王ラダガイススがイタリアを劫略。これは打倒に成功して王を斬首し,ローマに記念の凱旋門を建設した。 407年念願のイリュリクム併合を目指して出軍するが,ブリタニアの反乱もあって失敗。逆にアラリックから金 4000ポンドの賠償を奪われた。ホノリウスに相次いで2人の娘を妃として与えたが,次第に影響力は弱まった。東方帝アルカディウスの死に際してコンスタンチノープル進出を主張して,息子エウケリウスを東方帝に立てようとする陰謀ありと噂され,ホノリウスの命令で捕えられた。ラベンナで斬首され,エウケリウスも続いて殺された。ローマのために生涯戦ったゲルマン系の将軍は彼以後2度と現れなかった。

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