活(い)きた人間を用いてえがき出した絵画という意味で,タブロー・ビバンtableaux vivantsの訳。人間を画中の人物のように扮飾配置させ,歴史や文学の一場面や名画などを模擬的に表出する一種のショー。西洋では18世紀から19世紀前半にかけて盛んに行われた。日本では江戸末期の寄席(よせ)芸に類似のものがあったが,独立した存在となったのは近代以後,西洋の影響を受けてからである。明治初年,まず名画を模したものが紹介され,中期の欧化主義時代から流行,初めは外国人の手によったが,1903年教育家下田歌子が実践女学校創立のため開催した水交社(海軍将校の社交団体)の園遊会で余興に試みてから,女学校や小学校の学芸会などに流行した。また1948年,第2次世界大戦後の東京の帝都座などに,〈額縁ショー〉と称する裸体活人画が生まれて一時流行し,のちのストリップショーの先駆となった。歌舞伎のだんまりの中の見得(みえ)や幕切れの絵面(えめん)の見得,ゴーゴリの風刺喜劇《検察官》の突然の静止による最終場面なども広義の活人画といえよう。
執筆者:河竹 登志夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
名画や歴史上の名場面を生きた人間が無言静止の状態で模擬的に演じるもの。リビング・ピクチュアliving pictureと称して欧米では社交界の夜会などの余興として18~19世紀に流行した。日本で本式に紹介されたのは1887年(明治20)3月12日、東京の工科大学講堂における日本赤十字社主催の慈善興行が最初とされている。のち女学校の学芸会などでも演じられたが、最近はほとんどみられない。第二次世界大戦後の1947年(昭和22)東京・新宿の帝都座で裸女を使って内外の名画を模した「額縁ショー」が公演されて評判となり、これがストリップショー流行の一つのきっかけになった。
[向井爽也]
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