改訂新版 世界大百科事典 の解説
フリウリ・ベネチア・ジュリア[州]
Friuli-Venezia Giulia
イタリア北東部の州。広範な自治権を有する特別州の一つで,州都はトリエステである。面積7845km2,人口120万5000(2004)。州の北部にオーストリアとイタリアを分かつアルプス山脈が東西にのび,中部はなだらかな丘陵地帯と平野が占め,地中海に面した南部は沼沢地の多い平野である。北にアルプス山脈をひかえているが気候は全体的に温暖で,山岳部は年平均気温が6℃,平野部は13℃である。トリエステとゴリツィアを除いて工業は乏しく,農業,畜産業,手工芸品の生産が州の経済を支えているイタリアでも比較的貧しい州である。
フリウリ地方とベネチア・ジュリア地方に二分できる。現在のウディネ県に一致するフリウリ地方には,石器時代,青銅器時代を通じてリグリア人が居住していた。ビラノーバやタルチェントでその遺跡が発見されている。フリウリの名は現在のチビダレ市のローマ時代の呼称Forum Julii(前52年にユリウス・カエサルが建設)に由来する。フン族のアクイレイア略奪ののち,6世紀にランゴバルド族が要塞都市チビダレに公国を建設し,スラブ族やアバール族の侵攻に備えたが,7世紀初頭アバール族に征服された。ランゴバルド族がバイエルンに避難したのち,フランク王国の辺境伯領が置かれ,11世紀にアクイレイア総大司教国が建てられた。15世紀,ベネチア共和国はウディネやチビダレの内紛に干渉し,16世紀に入りゴリツィア伯爵領を含めフリウリ地方を統治した。ナポレオン,オーストリアによる領有ののち,1866年フリウリは統一国家イタリアに帰属した。1918年ベネト州に編入されたが,第2次大戦後,ベネト州から再び分離し,ベネチア・ジュリア地方とともに1州を形成している。
ベネチア・ジュリア地方は現在のゴリツィア県とトリエステ地区であるが,第1次大戦後,イタリアが獲得した地域である。古代ローマの帝政時代,この地方とクロアチアおよびスロベニアのイストラ半島(イストリア半島)はイストリア管区と呼ばれ,ユリウス・カエサルに由来する市名が少なくない。ランゴバルド族の支配を受けたが,7世紀にビザンティン帝国がこの地を奪回した。11世紀にアクイレイア総大司教国に組み入れられ,15世紀初頭,フリウリ地方と同様にベネチア共和国の領土となった。一時ナポレオンに征服されたが,彼の失脚後の1815年,ウィーン会議でオーストリアに併合されることが決まった。第1次大戦後の1919年イタリア領となってベネチア・ジュリア州が設けられたが,新たに建国されたユーゴスラビア王国とのあいだに国境問題,とくにフィウメ(現,リエカ)市の併合問題(フィウメ占領)が生じた。第2次大戦後はゴリツィア,トリエステ地区を残し,ベネチア・ジュリアの大部分はユーゴスラビア領土となり,47年,フリウリ地方と合併した。
執筆者:町田 亘
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報