ミラノピッコロ座(読み)ミラノピッコロざ(その他表記)Piccolo Teatro di Milano

改訂新版 世界大百科事典 「ミラノピッコロ座」の意味・わかりやすい解説

ミラノ・ピッコロ座 (ミラノピッコロざ)
Piccolo Teatro di Milano

単に〈ピッコロ座〉,あるいは〈ピッコロ・テアトロ〉とも。1947年G.ストレーレルP.グラッシによって創設されたミラノ市立劇団。同時にその劇場をも指す。政治,文化,産業などの領域でいまだ中央集権化が行われていないイタリアでは,国立劇場,国立劇団がない。そのかわりに地方の主要な都市みずからの劇団を運営している。ミラノのピッコロ座はそうした地方劇団の一つで,戦後最初に設立されたものである。同劇団は,ストレーレルという創意豊かな演出家の指導のもとに,イタリアの演劇界においてめざましい活動を見せ,国外にまでその舞台は知られるようになった。幅広いレパートリーの中で特に高い評価を受けているのは,C.ゴルドーニ,W.シェークスピア,B.ブレヒトの作品である。特にブレヒトの《三文オペラ》(1955)と《ガリレイの生涯》(1963)の上演では,西ヨーロッパにおいて最も高い水準の舞台を作りあげ,ストレーレルによるブレヒトの演出は世界の脚光を浴びた。またピッコロ版シェークスピアも高い評価を受けており,なかでもストレーレル演出の《あらし》(1979)は画期的な舞台であった。ゴルドーニについては,《二人の主人一度に持つと》が47年の初演以来いまだ上演されており,すでに120以上の外国の都市で公演が行われている。日本でも,79年3月に東京で14回,4月に横浜で1回上演された。ピッコロ座の名称由来は,活動の本拠にする劇場が小さく,客席がわずか500しかなかったところからきている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のミラノピッコロ座の言及

【グラッシ】より

…18歳で演劇活動に入り,演出,劇評,ジャーナリズムで活躍。1947年G.ストレーレルとともにピッコロ・テアトロ(ミラノ・ピッコロ座)を創立,以後同座を25年指導し世界的水準の劇団とする。1972‐77年スカラ座の総監督となり,同座の民主的改革に努力。…

【ストレーレル】より

…45年のイタリア解放とともにミラノに戻り演劇活動を始める。47年にはP.グラッシとともにミラノ市当局に働きかけて〈ピッコロ・テアトロ〉(ミラノ・ピッコロ座)を設立。以後ヨーロッパ各国の古典,新作をきわめて高い水準で演出して,グラッシとともにピッコロ座を世界最高峰の劇団の一つに育て上げた。…

【ダミアーニ】より

…リズミックな空間造形と繊細な照明が特徴である。1952年以来ミラノ・ピッコロ座(ピッコロ・テアトロ)の装置家として活躍。おもな仕事としてB.ブレヒトの《三文オペラ》《ガリレイの生涯》《セチュアンの善人》,C.ゴルドーニの《キオッジャのもめごと》,L.ピランデロの《本日は即興劇を》,F.ガルシア・ロルカの《ベルナルダ・アルバの家》などがあり,つねにG.ストレーレルの演出の下に好評を得た。…

※「ミラノピッコロ座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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