スボボダ(読み)すぼぼだ(英語表記)Ludvík Svoboda

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「スボボダ」の意味・わかりやすい解説

スボボダ
Svoboda, Ludvík

[生]1895.11.25. モラビア,フロズナティーン
[没]1979.9.20. プラハ
チェコスロバキアの軍人,政治家。小農の家に生れ,第1次世界大戦に従軍しロシアに投降,同地で結成されたチェコスロバキア軍の中隊長となった。建国後軍事アカデミーの教官に就任,ナチスによる占領後は東モラビアで地下抵抗運動に参加。 1939年にポーランドを経てソ連へ行き,チェコスロバキア部隊を組織,ソ連軍とともに西部戦線を歴戦,45年コシツェ臨時政府とともに祖国に帰り,国防相に就任した。 48年共産党に入党,中央委員となったが,粛清のため追放され,52年に投獄された。釈放後 55~59年に軍事アカデミー院長,65年ソ連邦英雄の称号を受けた。 68年4月改革派に推されて大統領に就任,8月の5ヵ国軍侵入に際し,A.ドプチェクら指導者の釈放を求めてモスクワに乗込み,強硬に交渉した。その後,旧体制の復活した状況のもとで,事態の悪化を最小限に押える考慮から大統領の職にとどまっていたが,75年5月病気と老齢を理由に地位を G.フサークに譲った。

スボボダ
Svoboda, Josef

[生]1920.5.10. チャスラフ
[没]2002.4.8. プラハ
チェコの舞台装置家。装置と照明舞台芸術の有機的な要素と考え,さまざまな機器や技術を駆使して実験的な舞台づくりに取り組んだ。 1948年チェコ国立劇場の首席デザイナー。 1958年ブリュッセルの万国博覧会で行なった,映画の画面と実際の舞台の演技とを交互に見せながら物語を展開する「ラテルナ・マギカ」で知られる。イギリスのナショナル・シアターをはじめ,国際的にも活躍した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「スボボダ」の意味・わかりやすい解説

スボボダ(Ludvík Svoboda)
すぼぼだ
Ludvík Svoboda
(1895―1979)

旧チェコスロバキアの軍人、政治家。モラビアの山村の出。第一次世界大戦中ロシア戦線で捕虜となり、帰国後将校になった。1939年には当時のソ連に逃れ、同地でチェコスロバキア連隊を結成、1945年3月に成立した政権の国防相に就任した。1951年に副首相になったが、スターリン主義の犠牲になり翌1952年逮捕、投獄された。1968年3月に国民の声望を背に大統領に就任した。8月ソ連が軍事介入し、親ソ政権の樹立を要求したが、頑として拒否した。その後の「正常化」過程でも職にとどまったが、1975年に病気のため地位を退いた。

[木戸 蓊]


スボボダ(Josef Svoboda)
すぼぼだ
Josef Svoboda
(1920―2002)

チェコの舞台照明家、舞台美術家。ボヘミア地方の家具職人の家に生まれる。1951年産業美術大学卒業。照明、建築技師の資格をもちプラハの国立劇場の主任デザイナー、技術監督となる。チェコ・アバンギャルド演劇の伝統を踏まえた、オペラ、バレエ、ドラマの各ジャンルの舞台空間の処理は、作品への創造的解読力の卓抜さにより、世界の驚異となる。照明、構造、機械学、数学、光学の機能を駆使し、58年のブリュッセル万国博覧会の「ラテルナ・マギカ(映像と演技者の共演)」、67年のモントリオール万国博覧会の「ディア・ポリエクラン」方式では話題をよぶ。舞台美術にセノグラフィーscenographyの用語を新造し、全上演空間の処理を強調した。劇場芸術国際組織(OISTAT)の事務局長を務めたこともある。1973年にはプラハのラテルナ・マギカ劇場の芸術監督に就任した。

[村井志摩子]

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